礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

津久井龍雄から見た平沼騏一郎と国本社

2013-11-04 05:26:45 | 日記

◎津久井龍雄から見た平沼騏一郎と国本社

 昨日の続きである。津久井龍雄の『右翼』(昭和書房、一九五二)から、「国本社」〈コクホンシャ〉について論じている部分を引用する。

 性格不明の国本社
 国本社は平沼騏一郎〈キイチロウ〉が大正十二年の難波大助事件〔虎ノ門事件〕に痛感するところがあって創立したといわれ、久しく政界における無気味な存在として知られ、一時は日本フアッショの総本山のように云われたものである。国本社は平沼が検察畑の人間であっただけに、その方面に大勢力を有し、その運営の中堅的人物は後に平沼内閣の書記官長となり文部大臣となった太田耕造、司法大臣たりし塩野季彦〈スエヒコ〉、法政大学総長になった竹内賀久治〈カクジ〉等であるが、顧問として名を列ねたものは実に多種多様で、軍人、官僚、財閥政党等の大物を網羅し、宛然〈エンゼン〉既成勢力の展覧会の観があった。たとえばその中には斎藤実〈マコト〉、宇垣一成〈ウガキ・カズシゲ〉、鈴木喜三郎〈キサブロウ〉、結城豊太郎〈ユウキ・トヨタロウ〉、池田成彬〈シゲアキ〉等があり、これがひどく物騒な日本フアッショの総本山だというのは一寸〈チョット〉受取れない話であるが、これもフアッショという言葉の定義が日本でいかに誤用され濫用されているかの一つの見本と見られる。
 国本杜は政治団体と見るべきか、精神団体と見るべきかに異論があり、詮ずれば政治とは何ぞ精神とは何ぞを論議しなければならないこと後の〔大政〕翼賛会の場合と同じであろう。外国においてフアッショという場合は実にその概念がハッキリし、それは要する国家主義を標榜する民間の勢力が大いに躍進して既成の支配者層を倒し。みずから政権を掌握して、独裁の威力を内外に発揮するものをいうのだが。日本ては国情の相違からか、そのように簡明な経過をたどらず、貴族や軍人を戴く精神団体とも政治団体ともつかぬものが数多く存在し、それがいずれもフアッショ団体と呼ばれている。尤もこれらはいずれも自分からフアッショというものはないどころか、かく呼ばれることを極度に嫌い、国本杜の如きはそのフアッショに非ざる〈アラザル〉ことを度々釈明し、ついには世の誤解をおそれて遂にみずから解散してしまった。国本社の傍系団体に蓮沼門三〈ハスヌマ・モンゾウ〉の修養団があり、農村青年や一部工場の労働者等の間に大きな勢力を持っていたことは周知の通りである。

「性格不明の国本社」の節の全文である。「フアッショ」の表記は原文のまま。ちなみに、国本社の創立は一九二四年(大正三)、一九三六年(昭和一一)に解散。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 津久井龍雄の目に影じた石原莞爾 | トップ | 正常に戻った大川周明を中津... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事