◎桑原武夫「文化の将来」(1946年9月)
桑原武夫の『現代日本文化の反省』(白日書院、一九四七年五月)に、「文化の将来」というエッセイが載っている。これは、一九四六年(昭和二一年)九月二日の『河北新報』に載ったものである。話題となった論文「第二芸術」が発表されたのは、雑誌『世界』の同年十一月号だが、すでに桑原は、このエッセイでも俳諧に触れている(『世界』の論文を予告している記述もある)。
本日は、そのエッセイ「文化の将来」を紹介してみたい。ただし、紹介は前半のみ。
文 化 の 将 来
「それぢや先生は、俳諧などなくなつてもかまはん、とおつしやるのですか。先生の話をきいてゐると、俳諧だけではなくて、日本独特の古い伝統といふやうなものは、みんな亡びてしまふことになるやうに思ひますが、先生はそれでもよいのですか」
思ひつめたような語調で、いさゝか声をふるわせて、さういつたのは、復員者ふうの服装をした、いかにも健康にあふれ、見るからに誠実さうな青年だつた。それはある夏期講座で私が文学論をやつたあとでの質問である。私は話のなかで、俳諧精神といつたものが明治以後の日本の小説家のうちに残つてゐて、それが近代小説の発達をさまたげる原因の一つになつてゐるといふことから、俳諧などといふものを一応忘れた方が、これからの文学のためにもよく、また国民生活のためにもよろしからう。少なくとも国民学校の教育からは俳諧をしめ出してもらひたい、といふやうなことをいつたのである。(その説はいづれそのうち発表する。)私はその青年のそばへ行つて応答した。
「ものいへば唇さむし秋の風、といふやうな精神はボクメツした方がいゝと思ふけれども、俳諧全体をボクメツしろなどといふのではありません。たゞ近ごろの雑誌などにのつてゐる俳句は、いはゆる現代の大家の俳句でも、私は芸術的に大したものだとは思ひません。なくなつても一向をしいとは感じません。それはちやうど、シューバートやベートーヴェンやドビッシーの音楽が、日本でもつと理解されてきて、そのために長唄や新内が亡びても一向をしくない、といふのと同じ気持です。『吉原雀』や『蘭蝶』を禁止しろといふのではないが、国民学校では西洋音楽を教へえてもらひたいですな」
「国語問題も漢字廃也ですか」
「さうです」
果せるかなといふ表情を自づとうかべて、
「それぢや古い文学をすてることになります。それから支那文学とは絶縁せよといふことですか」
「古い文学を必ずしもすてることではない。万葉集を今日万葉仮名で読む人はないでせう。それでも美しい。
ふたりゆけど ゆきすぎかたき あきやまを いかでかきみが ひとりこえなん
これは私の好きな歌ですが、これは、会津八一流に仮名ばかりで書いてあつても美しいですよ、そうぢやありませんか。それから支那文学とおつしやるが、あなたはいままでになにをお読みですか」
「……唐詩選」
「岩波文庫でせう。あの訳は悪いのですが。それから」
「……」【以下、略】
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