礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

五十年後に本棚の片すみにこの本をふと見つけた人が……(桑原武夫)

2019-10-15 04:28:25 | コラムと名言

◎五十年後に本棚の片すみにこの本をふと見つけた人が……(桑原武夫)

 昨日の話の続きである。桑原武夫『現代日本文化の反省』(白日書院、一九四七年五月)の目次は、次のようになっている。

  目  次
日本現代小説の弱点
模倣について
中村光夫氏の批評に答ふ
文学修行
三好達治君への手紙
第二芸術――現代俳句について
山口誓子氏に
芭蕉について
谷崎氏のインエイ・ライサン
横光氏の秋の日
趣味判断
断想
文芸俗話
文化院の問題
文化の将来
ものいひについて
むつかしすぎる
ブウルデル雑記
西洋文学研究における孤立化について
あとがき
発表の所と時

 本日はこのうち、「あとがき」と「発表の所と時」を紹介したい。

   あ と が き
敗戦に発表したもののうちから、フランス文学に関するものをのぞき(これはそのうち別にまとめる)、その残りのすべてを集めて、この本をつくつた。評論、感想、談話など、長短、精粗さまざまだが、書いた気持は一貫しているので、あえて「現代日本文化の反省」と題した。文化はもとより文芸のみではないから、この題は少し大げさに見えるかもしれないが、私は主として文芸の問題を取りあつかいつゝも、文芸が文化一般に密接につらなり、またその重要な一分野をなしていることを、いつも意識していたつもりである。
こゝ一年あまり、私は本業の余暇のほとんどすべてをあげて、これだけの仕事をした。説の当否は時によつて、やがて厳しくさばかれるだろうが、その結果いかんにかゝわらず、私に悔いはない。そして万一、五十年後に本棚の片すみにこの本をふと見つけた人が、一九四六年ごろには、もうこんなにも自明なことを力説していた人間もあつたのか、と笑つて、この本を焚きつけにでもするとしたら、地下から私は満足の笑をもらすだろう。そうありたい。
カナヅカイは、近ごろ書いたものは新式、前のものは旧式で、まちまちだが、そのまゝにしておいた。統一の労をいとつた訳ではなく、旧カナヅカイで発想した文章をいまになつてカナだけ新式に改めることは不自然だと思つたからである。カナヅカイはおのずと文章を規制する。新カナヅカイで書いていると、気のきいた言いまわしをしようなどといふ気持ちがだんだんなくなるものである。
一九四七年二月       桑 原 武 夫

  発表の所と時
小説の弱点日本現代             人 間  昭和二十一年二月号
模倣について               世界文学  昭和二十一年五・六月号
中村光夫氏の批評に答ふ          帝大新聞  昭和二十一年六月十一日号
文学修行                  新 潮  昭和二十一年二月号
三好達治君への手紙             新 潮  昭和二十一年十一月号
第二芸術                  世 界  昭和二十一年十一月号
山口誓子氏に             大阪毎日新聞  昭和二十二年一月六日号
芭蕉について               東北文学  昭和二十二年四月号
谷崎氏のインエイ・ライサン         文 藝  昭和二十二年三月号
横光氏の秋の日               文 藝  昭和二十二年四月号
趣味判断                  世 界  昭和二十一年一月号
断 想                   郡 山  昭和二十一年二月号
文芸俗話               東北学生新聞  昭和二十一年六月―~十月
文化院の問題               朝日新聞  昭和二十一年十月十四日号
文化の将来                河北新報  昭和二十一年九月二日号 
ものいひについて             せんてつ  昭和二十一年四月号 
むつかしすぎる               講 演
ブウルデル雑記               美 術  昭和二十一年六月号
西洋文学研究における孤立化について     人 間  昭和二十一年八月号

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