礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

在営者の給料を平均賃金並に増額すべきである

2018-10-03 02:51:45 | コラムと名言

◎在営者の給料を平均賃金並に増額すべきである
 
 松下芳男の『軍政改革論』(「民衆政治講座」第二二巻、青雲閣書房、一九二八)から、同書の第五章「兵役法の改正」の第四節「兵役法改正の要旨」を紹介している。本日は、その最後で、(ホ)、(ヘ)、(ト)を紹介する。

   (ホ) 給料と家族手当の増額
 之れも兵役法ではないが、附属規定として是非とも改正を要するは、兵役服務者の経済的苦痛を少なからしむることである。
 在営者の給料は余りに小額なことは、先きに示すが如くである。故に之れを増額して、少なくも当時の平均労働賃金並にすべきであらうと思ふ(実際はそれより衣食住の実費を除く)。神聖なる兵役を労働化せしむるものと憤つてはいけない。兵役を神聖ならしむるとは、兵卒に経済的苦痛を与ふるの謂【いひ】でない以上、又徴集を特に損害とせしめないとする以上、一個の人間の一日の収入程度に国家が之れを酬ゆるは当然なことではないか。兵役服務者に対する精神的感謝は、此給料増額に依つて相殺【そうさい】されるから、義務はどこまでも義務としておけといふものがある。併し感謝を精神的にのみ止めてをかねばならぬといふは、余りに冷淡にして単純な考ではないか。表向きは又世俗的正論としては聞えもいいだらうが、服務者当人にとつては、果して満足なものであらうか。此理を推し進めると金鵄勲章に付せられてゐる年金もいけないことになる。我々は今日果して金鵄勲章所持者に対して謝意相殺の念を以つて対するであらうか。我々は形式的な話を暫く遠ざけねばならぬ。併しながらまた斯くすれば人或はいふかも知れぬ。多額な金銭を支給すれば従つて浪費し、従つて軍人の美風とする質素を傷【きづつ】くるに至らんと。斯くの如きは余りに兵卒の人格を無視したものといはざるを得ない。若し然りとすれば、今日の二十歳前後の今日の労働者や勤人【つとめにん】の給料を、全部一ケ月四五円(それに衣食住の実費を加ふ)にせねばならぬではないか。質素の養成は又その途【みち】があるであらう。
 更に徴集者の家族の貧困者に対しては、夫【そ】れ夫れの救恤【きうじゆつ】方法を講ぜねばならぬ。此兵卒家族の救恤に関しては、大正六年軍事救護法を制定し、現役及び応召下士卒【かしそつ】の家族等の救護をなすことになつてはゐるが、その給与額は日額僅かに三十五銭であつて、到底生活を支ふることは出来ない。尤も徴集者の給料を増額すれば、之れでもいいかも知れないが、出来るならば有名無実に等しい三十五銭を増額して一円位にするか、それともその給与額に差額を付して、貧困の度に応じて給与すべきであると思ふ。
 尚ほ又此規定を予後備役の召集者に及ぼすべきは勿論であるが、簡閲点呼応召人に対しても相当の手当を給するを可とする。更に在郷軍人会の存続は幾多の疑問もあるが、仮りにどうしても存在せしめねばならぬとすれば、之れの費用は当然国庫の負担とすべきである。(今日も補助費はあるが、会費不要の程度とする)。
 而も人或はいふかも知れぬ。斯くの如きに至らば、国費は益々膨脹して国庫は遂にその負担に堪へぬであらうと。此言【このげん】は尤ものやうである。併しそれは本末顛倒の議論であつて、斯様【かやう】な兵役のための支出を、絶対的のものとせざるものの意見である。於々は之れを絶対的必要条件とする。我々は此条件が満されんがために、兵役税の制定と軍備縮少を断行せんとするである。
   (ヘ) 服役犠牲者の厚遇
 戦争に依る死傷は勿論、平時に於いても公務に依る死傷に対しては、充分に酬ゆるところがなくてはならぬ。死者遺族に対する救恤【きうじゆつ】、産廃痼者【はいこしや】恩給の増額はどうしても必須の急務である。国家のための一念に依つて、貴重なる生命及び生涯を犠牲にしたる者に対して、国家を怨ましむるが如きは、断じて当局者の責任である。
   (ト) 軍隊内部の改善
 兵役服務者の苦痛を軽減するためには、軍隊の内部を大に改善しなければならぬ。或は人事行政に於いて、或は内務行政に於いてである。併し之れは本論の範囲を脱するであらうから論及しない。

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