礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

陛下の御意志が現われていない(つださうきち)

2024-07-12 00:04:34 | コラムと名言

◎陛下の御意志が現われていない(つださうきち)

『八月十五日と私』(角川文庫、1995)から、つださうきち「八月十五日のおもいで」を紹介している。本日は、その三回目。

 以上の二つが、告諭を読んだ時のわたくしの感じのおもなものであった。政府が真に自己の責任を知っていたならば、その告諭に於いてこういうことはいわず、従って詔勅の形によって公布せられた公文書の内容も、その字句も、はるかに違ったものになったであろうと思われた。もしまた詔勅という名称に重きを置いて、それに陛下の御意志を盛りこもうとしたならば、他に適切ないいかたもあり、また他にもっと大せつなこともあったろうに、これでは陛下の御意志が現われていないのではないか、と臆測せられもした。陛下は道徳的にみずから責めて国民に謝せられる御考があるのではないかと思ったのである。(どういう人が筆を執ったか知らぬが、文章もまずいと思った。)もっともこれには、いわゆる軍部を抑え軍隊を承服させるための心づかいから出たところもあろうが、そういう心づかいをしなくてはならないような状態に軍部や軍隊を置いたことの責任は、やはり政府にあったとしなくてはなるまい。そうしてその責任を明かにすることが、何よりもこの場合には必要であると思った。
 東久邇宮内閣の成立についても、皇族に内閣を組織させることは、政治上の責任を広義に於ける皇室に帰することになる虞〈オソレ〉がある、と考えられるので、それをよいこととは感じなかった。いつであったか、まだトゥキョウにいたころに、戦争を早くやめるには、軍部を抑えねばならず、それには皇族族の力による外は無い、王政維新の時に皇族が朝廷の首位に立たれた先例がある、というような考が或る方面に生じているように聞いて、それは事情が違うと思ったことがある。維新の時のは、いわゆる朝権回復という思想の上に立ってのことであったが、今日軍部を抑えることは、彼等によってふみにじられた憲法政治の精神を復活させることでなくてはならず、そうして皇族が政治の局に当られるのは、この精神に背く嫌いがある、と思ったのである。皇族の力、それは結局皇室の力、によらなくては軍部を抑えることができない、というような考えかたは、皇室を利用して権勢を振おうとした軍部の態度と通ずるものがある。どれだけか前にこういう考えかたのせられたのは、当時の情勢に於いて已む〈ヤム〉を得ないことでもあったろうが、しかし今でもやはりそうであろうかと疑われた。
 以上は、十五日と十六日とにその時の感想を断片的に書きとめておいた覚えがきが少しばかり遺っていたので、それをたよりに、おぼろげな記憶を呼び起してみた、その概要である。後から知ったことや考えたことのともすれば顔を出しそうになるのを、できるだけおしのけたつもりである。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2024・7・12(9位の古畑種基は久しぶり、8・10位に極めて珍しいものが)

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