礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2)」の紹介・その3

2018-07-20 01:54:40 | コラムと名言

◎「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2)」の紹介・その3

 桃井銀平さんの論文「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2)」を紹介している。本日は、その三回目。

② 原告の意見書・陳述書より
 原告Fは第1審で3通の陳述書・意見書と1回の尋問調書を残している。控訴審・上告審では各1通の意見書を提出している。ここでは、原告の原初的な思想・良心を、第1審の書面をもとにして、上記の最高裁法廷意見の整理にしたがって、再構成する。

A、 最高裁法廷意見の論点(a)に関して
 この点は、本人尋問陳述書 (2003.5.22) に詳しい。
「(2)歌詞の意味の側面から
「君が代」の元歌は、「わが君は」の初句に始まる形ですが10世紀の「古今和歌集」 にあります。家長の長寿を願う意味、あるいは、ラブソングとも解釈できます。近世には箏曲、地歌、長唄などに入って代表的な祝賀の歌詞になっていた「君が代は」の歌に、明治になって曲がつけられました。修身の教科書にもあるように「天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年もつづいて、おさかえになりますやうに。」という意味です。
 この歌詞は、明らかに憲法の主権在民の精神に反しています。そして、ひとりを讃 えることは身分社会を作り、差別をうみだします。戦後、この「君」の意味の解釈について変遷があったのは、ご存知のことと思います。ですから「歌詞を変えて」あるいは「奏楽のみ」という主張があるのも、憲法を守りたいという想いを有している人達からすれば極めて当然のことなのです。
(3)歴史的役割の側面から
 1893年(明治26年)、学校の儀式で用いるべき曲として「君が代」が「紀元節」の歌などと共に学校に持ち込まれます。そして、日本のアジアへの侵略戦争を推し進め、正当化することを目的として、儀式や修身をはじめとする教科で、唱歌(「紀元節」、「ヒノマル」、「日の丸行進曲」など)や、軍歌(「黄海の戦」、「旅順口の戦」、「開城の進撃」、「勇敢なる水兵」など)と共に、皇民化教育のために使われました。侵略された国の人々にとって「君が代」は「侵略の歌」そのものなのです。天皇陛下の名のもとに、言葉を奪われ、名を奪われ、土地を奪われ、そして命まで奪われたことの象徴とも言えるのではないでしょうか。」〔19〕
 原告は、「君が代」の歌詞の内容が主権在民に反していること、侵略戦争を推し進め正当化するために利用されてきたこと、を理由に「君が代」に対しては強い否定的評価を持っている。ここからは、当然原告自身が歌い演奏することに対する忌避感を有していることは推測できるが、しかし、意外なことに他の書面を見ても、ここから直接に伴奏拒否を導き出すような文章は多くはない〔20〕。この点、最高裁の上記要約とは若干の不整合が生じている。【以下、次回】

注〔19〕『全資料』p81
注〔20〕敢えてそれにあたるものに含めることができるのは以下の部分ぐらいである。2003年5月29日の本人尋問で原告側代理人の「思想信条上君が代のピアノ伴奏ができないのはなぜですか。」という質問に対して、日の丸・君が代に批判的な在日韓国人音楽家を話題にした上で「私は君が代を特にそういう方たちの前で公然と歌うことができないと、それが私の思想信条です。」と答え、続いて「ましてや、ピアノ伴奏を自分の手ですることはできないということですね。」という質問に対して「はい。」と答えている(『全記録』p102)。

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