礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

柳宗玄の「種樹郭橐駝伝」を読む

2021-03-20 00:05:57 | コラムと名言

◎柳宗玄の「種樹郭橐駝伝」を読む

 十年ほど前に、『漢文講義録 第四号』(大日本漢文学会出版部、一九二四)と題された本を入手した。数日前、これに目を通していたところ、高校時代、漢文の授業で読んだ文章が載っていた。柳宗玄の「種樹郭橐駝伝(しゅじゅかくたくだのでん)」である。
 読んでいくうちに、授業の光景が蘇ってきた。そしてこれが、たいへんな「名文」であることに、改めて気づかされた。一方、この講義録の解説が、実に懇切丁寧なのにも驚いた。この講義録は、隠れた名著ではないかと思った。
 同講義録の同号は、本文が四四六ページで、その全ページを使って、『古文真宝後集』を解説している。そのほかに、「質疑応答」欄が一六ページあり、また、「文苑」・「会員詞藻」と題された会員の投稿欄が、都合四ページある。柳宗玄の「種樹郭橐駝伝」は、『古文真宝後集』の中の一篇として紹介されている。ただし同号は、『古文真宝後集』の全篇を収録しているというわけではない。
 本日以降、同講義録の解説に依りながら、「種樹郭橐駝伝」を紹介してみたい。
 原著においては、最初に、簡潔な導入があって、そのあと、「種樹郭橐駝伝」を四つの段落に区切り、段落ごとに「講義」がなされている。
 その講義の手法だが、最初に、返り点・送り仮名のついた漢文が示され、続いて、その〔訓読〕が示される。さらに、〔字義〕、〔講義〕という形で、詳しい解説がおこなわれる。〔字義〕と〔講義〕との間に、〔大意〕が示される場合もある。
 返り点・送り仮名のついた漢文を再現するのは、当ブログでは難しい。そこで、最初に〔白文〕を示し、次に、その白文に句読点のみを施したものを示すことにしたい。

〔白文〕郭橐駝不知始何名病僂隆然伏行有類橐駝者故鄕人號曰駝駝聞之曰甚善名我固當因捨其名亦自謂橐駝云其鄕曰豐樂鄕在長安西駝業種樹凡長安豪家富人爲觀游及賣果者皆爭迎取養視駝所種樹或移徙無不活且碩茂蚤實以蕃他植者雖窺伺傚慕莫能如也

郭橐駝不知始何名。病僂、隆然伏行、有類橐駝者。故鄕人號曰駝。駝聞之曰、甚善、名我固當。 因捨其名、亦自謂橐駝云。其鄕曰豐樂鄕、在長安西、駝業種樹。凡長安豪家富人爲觀游、及賣果者、皆爭迎取養視。駝所種樹或遷徙、無不活且碩茂、蚤實以蕃、他植者雖窺伺傚慕、莫能如也。

 こんな感じである。同講義録では、これを、次のように訓読する。【 】内は、原ルビである。

訓読〕郭槖駝は始め何の名たるかを知らず。僂【る】を病み、隆然として伏し行き、槖駝に類する者あり。故に鄕人號して駝と曰ふ。駝之を聞いて曰く、甚だ善し、我れに名づくる固【まこと】に當れりと。因て其の名を捨てゝ亦自ら槖駝と謂ふと云ふ。其の鄕を豐樂鄕と曰ひ、長安の西に在り。駝種樹を業とす。凡そ長安の豪家富人【ふうじん】、觀游を爲し及び果を賣る者、皆な爭ひ迎へ取つて養視せしむ。駝の種樹し或は遷徙【せんし】する所は、活き且つ碩茂【せきも】し、蚤【はや】く實つて以て蕃【しげ】からざる無し。他の植うる者窺伺傚慕【きしかうぼ】すと雖も、能く如く莫【な】きなり。

 このあとに、〔字義〕があるが、これは割愛する。
 最後に、〔講義〕がある。この講義録で、最も特徴的なのは、この〔講義〕である。原文を、こなれた文章で口語訳したものだが、そこには、注釈も織り込まれている。わかりやすく有益な〔講義〕になっているのには、感心させられた。
 ここでは、これを、現代かな使いに直した上で紹介することにする。漢字による表記を、ひらがな、カタカナに直した場合もある。

講義〕郭槖駝は最初、いかなる名であったか判らぬ。ただその傴僂の病にかかって、とびでた背中をむくむくさせて伏し歩くありさまが、さながらラクダの形に似たところがある。それゆえ、その村人たちは、これにアダナをつけて号して駝といった。彼は自分を駝と呼ばれたのを聞いていうには、ひどくよろしい、ワシにつけた名としては、たしかに適当な名であるというわけで、従来の名を捨て、自分自身にもまた、槖駝が槖駝がと称するようになったということである。この郭槖駝の郷里は豊楽郷といって、長安の都の西方にある。槖駝はここにおって、植木屋を職業にしている。およそ長安の豪家富人で、觀游をなすために庭園林泉の結構を尽す者、および果物を売るために果樹類を栽培する者は、みな競争して槖駝を迎えてきて、そして植木を培養せしむる。いったい槖駝の手にかけて植え付けたり移植した苗・大木は、庭木ならばひとつとして善く根づき且つ肥り茂らぬことはなく、また果樹ならば木の若いのに早く実を結び、そしてその数が多い、収穫が多いという好結果を示さぬことはない。他の植木屋どもは、彼の植え付けの様子を覗き伺い倣い慕うて羨むのであるけれども、誰ひとりとしてそのマネのできる者はない。

 ここまでが第一段落である。以下の各段落も、同様の形で、この「講義」を紹介してゆきたい。

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