◎テルグ語のテープと教科書は28万円だった
田中孝顕氏の『よみがえる大野 日本語=タミル語接触言語説』(幻冬舎メディアコンサルティング、2023年8月)を拾い読みしながら、大野晋の「日本語・タミル語」学説を再読しなくては、と思った。
大野の「日本語・タミル語」学説を紹介している本や雑誌は、関心を持って読んできた。大野のインド訪問を映したテレビ番組も視聴した記憶がある。
大野晋『日本語の形成』(岩波書店、2000)は、大野晋の「日本語・タミル語」学説を集大成したものとして知られるが、これは、まだ読んでいない。大野晋『日本語の源流を求めて』(岩波新書、2007)は、『日本語の形成』のダイジェスト版ともいうべき本だが、これは読んだことがある。
いま机上に、大野晋の『日本語の教室』(岩波新書、2002)がある。この本は、問答体で書かれた本で、非常にわかりやすく、かつ高度な内容が盛られている。質問者は、岩波書店編集部の部員だという。
本日は、同書のうちから、(質問4)と、その回答を紹介してみよう。ただし、回答のほうは、その前半のみの紹介となろう。
( 質 問 4 )
『日本語の起源 新版』には、日本語は南インドのタミル語から来たとあるそうですが、そんなに遠い国の言葉が、ニ〇〇〇年も前にどうして古代の日本に来たのか。ちょっと信じられません。どうしてそういう意見を持つようになったのか、お話し下さいませんか。
これまでの経過をはじめからお話ししましょう。
古代日本語はどこから来たのかというような長らく解けなかった問題に一つの答えが出るときには、二つの場合があると思うんです。一つは、昔から推測されていた地域の言語を忠実に研究して行って、ついに日本語との関係の立証に至る場合です。もう一つは、偶然のことから従来一般に問題にされなかった言語に気がつく場合です。例えばレントゲン線発見の話は有名ですね。一つの実験を行なっていたところ、無関係と思われる、少し離れた机の上にあった白金シアン化バリウムを塗ったスクリーン用の紙が、放電するたびに明るい蛍光を発する。これは何か目に見えない未知の放射線が働いているにちがいないと、そこから研究を進めてレン卜ゲン線を発見したといいます。もちろんレントゲン氏は物理学の専門家として関係のある研究をしていたのですが、これはいわば偶然の発見だったということです。
私がタミル語という、自分でも正体を知らない言語が日本語と関係しているだろうという見込みを持ったのも、一つのきっかけからでした。一九七九年学習院大学では江実【ごうみのる】先生に日本語の系統の講義をして頂いていました。先生はアルタイ語のすぐれた研究家として知られ、『蒙古源流』の翻訳などもされて、日本語の系統の探求に努力しておいででした。その結果は、「蒙古語からは(日本語と対応する)単語は出ないよ」ということでしたが、ある日、江先生が言われるには、「南インドのドラヴィダ語族は文法の構造が大体日本語と似ている。だからこれは要注意なんだ。ところでこの間そのドラヴィダ語族の中のテルグ語のテープと教科書を売りに来たが、大野君、やってみる気はないかね」とのこと。ドラヴィダ語の地域は、インド亜大陸南端を占めていて、その総人口は一億二〇〇〇万人といわれています。テルグ語は、その東北部に位置します。
私は日本語と関係の深い言語は南方にあるだろう」と旧版の『日本語の起源』(岩波新書、一九五七年)に書いて以来、南方に心を寄せていましたから、気持か動いて、おいくらかを伺うと、二八万円とのこと。ずいぶん高いものだと思いましたが買いました。そして解説書を読むと、たしかに文法構造はアルタイ語とも日本語とも似ている。
そこで辞書が必要と思い、日本橋の丸善に訊いてみました。すると「テルグ語のは今ありませんが、テルグ語を含むドラヴィダ語の辞書ならあります。注文ならば店までおいで下さい」という。そこで丸善に行き、「ドラヴィダ語の辞書をお願いしたいのですが」と頼むと、係りの人は奥に引っ込みました。しばらくすると、一冊の辞書を持って出て来ました。「これはカバーが破れておりますから新規にご注文下さい」という。私は本のカバーは棄ててしまう習慣ですから、カバーが無くて十分でした。それを手に入れたこと、これが私のタミル語研究にかかわる第一の偶然でした。【以下、次回】
医師・文明史家の安田徳太郎(1898~1983)は、1955年(昭和30)に『万葉集の謎』を出版し、「日本語・レプチャ語」説を唱えたが、そのキッカケは、1950年代の初めに、マナーリング(G. B. Mainwaring)の『レプチャ語辞典』( Dictionary of the Lepcha- Language. Berlin, 1898.)を入手したことだった。
国語学者の大野晋(1919~2008)は、1979年(昭和54)に、日本橋の丸善で『ドラヴィダ語語源辞典』( A Dravidian Etymological Dictionary. Oxford, 1961.)」を買い求め、これがキッカケとなって、タミル語研究に没頭することになった。
安田徳太郎と大野晋は、それぞれ、「日本語の起源」について、大胆な新説を唱えたが、両人とも、その研究のキッカケが「一冊の辞書」だったというのは興味深い。