◎『ダイヤ語・ドイツ語辞典』(1859)は稀覯書
安田徳太郎の『万葉集の謎』(カッパブックス、1955)から、「あとがき」を紹介している。本日は、その二回目。
文中、( )内に示されたアルファベットのうち、特殊な文字については、代替のものを用いた。
四、フォン・デ・ワル『マレイ語・オランダ語辞典』 H. von Wall, Maleisch- Nederlandsche Woordenboek. Batavia, 1880.
バーディングス『マレイ語・オランダ語辞典』 A. H. L.Badings, Maleisch- Woordenboek. Zwolle, 1915.
ジャワはオランダの古い植民地であったから、インドネシア語をしらべるためには、やはり『マレイ語・オランダ語辞典』によらねばならないので、右の辞典によって、いちおうしらべてみた。オランダ語はドイツ語と同じであるから、それほどむずかしいものではない。
あとの辞典の中に、ヅルジャ(derdja)という言葉があって、顔(gelaat, gezicht, aangezicht)となっていて、アラビア語だと書いてある。このヅルジャは、たしかに日本語のツラ(面)の祖形であるが、もしこの辞典だけによった学者なら、アラビア系のジャワ語が、紀元前に日本列島に持ちこまれたというのはインチキだ、とさっそくたたいて来られると思う。しかし、ジャワ語のヅルジャがアラビア語の借用語だとするのはまちがいである。サンスクリットのダルサ(darsa)、ヒンディー語のダルス(dars)やダラス(daras)はちゃんと顔になっているから、ジャワ語のヅルジャは、アラビア語でなく、サンスクリットかヒンディー語でなくてはならない。ところが、また一方、サンスクリットのダルサが紀元前に日本へはいってツラになったのは、これまたおかしいとたたく人もあろう。たしかにわたくしもおかしいと思った。そこで念のためにと『チベット語辞典』を見たら、顔のカ(ka)の敬語は、ちゃんとザル(zal)、ゾル、ツラになっていた。このことから、天孫族がチベット語のザルを持ちこんで、これがツラになったのが、はっきりした。それにしても、天孫族が持ってきた敬語としてのツラが、「どのツラさげて来やがった。」というように、今日では、ひじように卑しい言葉に変わっているのはおもしろい。
五、ハルデラント『ダイヤ語・ドイツ語辞典』August Hardeland, Dajacksche- Deutsches Wörterbuch. Amsterdam, 1859.
これはひじょうな稀覯書【きこうしよ】で、アメリカのエール大学のラーダー教授から、マイクロフィルムにしていただいたものである。
なおラーダー教授は目下『日本語の比較研究』『日本文化誌叢』Johannes Rahder, Comparative Treatment of the Japanese Language, Ⅲ, IV, Monument Nipponica, 1953—1954. という大がかりな仕事をしておられる。この研究はむしろ南方語と日本語の比較研究であるが、わたくしはラーダー教授に手紙を出して、南方語がかたづいたなら、レプチャ語を中心として、チベット語とサンスクリットへ進まれるよう、すすめている。
六、バルビエ『安南語・フランス語辞典』V. Barbir, Dictionnaire Annamite- Français. Hanoi-Haiphong, 1940.
安南語には日本語と同系の言葉は思ったよりはすくない。しかし、シャーオ(sao)は竿【さお】、ドク(doc)は紐【ひも】をとく、コム(com)は米になっていて、たしかに日本語と同じである。じつは日本語のトクをレプチャ語やチベット語で探したが、どうしても見つからなかったから、やはり安南語であると思う。
七、リュネ・ド・ラジョンキエール『北部トンキンの民俗学』E. Lunet de Lajonquière, Ethnographie du Tonkin septentrional. Paris, 1906.
この中に、各地の稲にかんする言葉と数詞の対照表があがっている。こういう言葉は日本語と比較して、ひじょうに大切である。【以下、次回】
※本日未明、東の空に、新月と明けの明星とが、タテに並んでいるのが見えました。