礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「ぼやぼやすると承知しないぞ」木下重助

2022-05-08 03:24:23 | コラムと名言

◎「ぼやぼやすると承知しないぞ」木下重助

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その三十四回目で、第二部「農地改革」の9「再調査」を紹介している。同章の紹介としては三回目。

 こんなふうにして、五キロばかり進んで行ったら雨が降り出して来た。それで私たちは、今日はこれで中止し、明日にしないかというと、三名はそうしようという。しかし遠藤はもっとやるという。おかしな奴だと思ったが、それには訳があった。彼は自分の親類である村木家に一行を泊める手筈をしていたのに、われわれは栗山部落にある農民組合長の家に宿泊の準備をしていた。そして今立ち止まっているところは、栗山部落の真後ろであり、村木家はもう一つ先の五日市部落なのだ。彼は、もう一つ先の部落まで行って、五日市小学校に集まり、今日の結果を検討し、皆で相談し合おうという。そうすることに決めて、また歩き出した。途中で、他の二人について歩いた連中に、どんなふうかときいてみた。どっちも大変よさそうだという。
 五日市小学校に着いて、教室に皆集まった。私がついていた男が代表で意見を述べることになった。岩手紫波〈シワ〉地方事務者の宍戸〈シシド〉という者だと自己紹介したのち、「今日見て来た場所はすべて開拓適地である。きけばこの村では農家の平均耕作面積は一町歩の由であるが、こんな寒冷地で、一町や二町ではどうにもなるものではない。貧困の原因はそこにある。自分の考えでは、少なくも五町の耕地は皆もたねばならない」と力強くやり出した。私は自分の代弁をしてもらっているような気がした。味方の連中は互いに顔を見合わせて、会心の笑を浮かべているが、地主の人々は不快の表情で黙している。宍戸の話しが終ったら、遠藤が立った。彼は今こそ地主たちの期待に応えねばならぬのだ。彼は自分が今日の調査団の主任だと前置きして、ここに自分のもっている試案を今読むから、それによって問題を決めようといい、数枚綴じた書類を高くかかげた。そこで私が、「一体それは誰が作った案なのか」ときいた。地主側の或る人だという。そんなものは何の役に立つかというものもあり、それは公文書なのかと聞くものもいた。しまいには木下重助という大男が、「何をおかしなものを振り回して。ぼやぼやすると承知しないぞ」とどなりつけ、一同が、「そうだっ」という。地主たちはみな沈黙していた。遠藤ももはや施こすすべがなくなって、うやむやに解散となった。【以下、次回】

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