礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「事と次第では私も相手になろう」中野清見

2022-05-10 04:42:58 | コラムと名言

◎「事と次第では私も相手になろう」中野清見

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その三十六回目で、第二部「農地改革」の9「再調査」を紹介している。同章の紹介としては五回目。

 その前に彼は、昨日役場で吏員から公務を妨害されたばかりでなく、自分の親を侮辱されたといっていた。それは前日のことであったが、例の大川原〔正吉〕という書記が、日中酔って役場に来た。遠藤がいるのを見て、「お前は葛巻の遠藤病院の息子ではないか。江刈を在郷(田舎)だと思って、あまり威張るなよ。お前のおやじは、江刈の人間のおかげで食ってるではないか」といったものである。それをこの席で言われ、さすがの大川原もしょげて黙っている。私もこれには困ったが、やむを得ないから、「あなたは葛巻の人なのに、この有名な呑んべえを知らんのか。こいつは酔ったときは誰にでもあんな口をきくが、醒めてしまえば、こんな猫みたいな奴だよ」といってごまかした。
 ところが酒が出ても彼はあまり呑まない。私は彼の気持をほぐそうと思い、冗談をいった。「心配しないで飲んで下さい。今日は大川原もごろつきませんから。」しかし私の意図に反し、彼の返事は意外であった。「私はごろつきは怖くない。腕力なら自信があります」というので、「そんなことを言うもんじゃない。自信があるのはあなただけではないのだ。この席にも大分いるし、かくいう私でも事と次第では相手にもなろう」といい終るや、山村〔繁蔵〕組合長が「俺も自信がある。やるなら相手になってやるぞ」とどなる。それにつづいて木下重助や、その他二、三人がどなりつけたので、酒席は再び妙な空気につつまれた。その後、彼は黙々としていたが、中途で酔って正体ないふりをして寝てしまった。一行のうち、彼だけが孤立し、他の三人は愉快に呑んだ。気の毒になったがやむをえなかった。実のところ、私の父が、死ぬ前に彼の病院に入院し彼の親たちには大分世話にもなっていることを知っていた、しかし今は私事ではない。【以下、次回】

 農地改革をめぐって厳しい対立があった当時の雰囲気がよく描かれている。それにしても、中野清見村長が「ケンカ好き」なのには驚く。

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