◎橋本博士の学説は、文法学界の最高峰
橋本進吉博士著作集第二巻『国語法研究』(岩波書店、一九四八年一月)から、岩淵悦太郎執筆の「解説」を紹介している。本日は、その二回目。
昨日、紹介した部分のあと一行アキがあって、次のように続く。
博士が文法をどう考へられたかは、「国語学概論」(岩波講座「日本文学」所収、後に橋本進吉著作集第一冊に収む)や「国語学と国語教育」(岩波講座「国語教育」所収、後に著作集第一冊に収む)「国語学研究法」(「国語国文学講座」所収、後に著作集第一冊に収む)等に明かである。
すなはち、文法は、或る時代或る時期の一つの言語の構造を観察する時にあらはれて来るものである。言語の構造は、整然たる組織を有するもので、大小種々の単位があり、大きな単位は小さな単位から組立てられる。その単位には、(一)単音及び単音から組立てられた音節のやうな、言語の外形を形づくるものと、(二)単語又は文のやうな、意味上の或る単位を表はすものとがある。さうして大きな単位が、小さな単位から組立てられる際、(一)の音声に関するものとしては、音節は単音からどういふ風に構成されるか、普節が更に大きな音声上の単位を構成する時、どんな法則が行はれてゐるか、アクセントの性質は如何、アクセントにはどんな型があるか等の問題があり、(二)の意味に関するものとしては、単語の構成法にはどんな種類のものがあるか、活用にはどんな型があるか、活用した各各〈オノオノ〉の形は、どんな場合に用ゐられるか、よつて文を作る場合にどんな方法があり、どんなきまりがあるか等の問題がある。
このやうな言語の構造に見られる通則を、博士は文法と見られたのである(「国語学概論」)。しかし後に至つては、(一)の音声に関するものを文法の範囲から除かれた。さうして、文法を次のやうに定義して居られる。
《文法は一の言語の内に存する社会的のきまりであつて、意味を有する単位の構成に関する通則である。(「国語学と国語教育」)》
文法は意味に関するものである。従つて文法に於いて意味が根本の問題である事は言ふまでもないが、その意味は、音の形、アクセント、音調、語の順序等によつて表はされる。従つて、外形方面からの考察の必要であることは言をまたない。従来の研究は、意味の方面が主となつてゐて外形方面の考察が不十分であつたといふ考へから、博士は、外形方面からの観察に基づいて文法体系を組立てられた。ここに博士の文法学説の特異性がある。形式主義の文法と評される(時枝誠記氏「国語学史」)所以であるが、この形式主義といふ言葉から博士の立場が単に外形方面のみを重視するものであるやうに誤解してはならない。「助動詞の分類について」の中でも、
《文法は、意味を有する言語単位の構成に関するものであって、しかもその意味の方面に属するものではあるけれども、その意味が何らかの方法で形にあらはれたものでなければならない。その意味が、何等形にあらはれず、唯前後の意味の関係とか、又はその文が用ゐられた時の話手と聞手との立場といふやうな、純粋の言語以外の、思想とか事情とかによつてのみ明かになるやうなものは、勿論文法の範囲にははひらない。(本書一四〇頁)》
と述べて居られるやうに、意味が外形によつて表はされてはじめて言語の問題になるのであり、意味の種類にしても、単に意味の上に止まらず、外形の上に区別があらはれるに至つて、はじめて文法の問題になるといふのが博士の考へ方である。博士の文法学説は、とかく意味の面を重視しがちであつた従来の研究の欠点を改め、意味の標幟〈ヒョウシ〉たる外形の面をも考慮して考察されたものであつて、この点、従来の文法研究より一歩前進したものと言ふことが出来る。
とにかく博士の学説は、現在のところ、文法学界の最高峰をなすものと言つて過言ではあるまい。文法研究の一層の進展を求めるわれわれとしては、先づこの博士の文法学説の徹底的な理解消化から歩みをはじむべきである。【以下、次回】