◎訳註は、もっぱら訳者の婆心に基く(久留間・細川)
久留間鮫造・細川嘉六訳『猶太人問題を論ず』(同人社書店、一九二五年初版)から、「訳者はしがき」を紹介している。本日は、その後半。
何よりも先づ此意味に於て、私は本書を、真にマルクスを理解しやうと欲する人々に紹介したい。収むる所の書館一通、及猶太人問題論両篇は、いづれも皆、彼の思想の発展上に於ける最も画期的な事件として上記の『序言』中に指摘せられてゐる所の、彼を『苦しめた疑惑の解決の為めに企てられた労作』の一部であり、此目的の為めの『最初の労作』たる『ヘーゲル法律哲学批判の序論』と相並んで、一八四四年発行の『独仏年誌』上に掲載せられたものである。
『独仏年誌』は、当時の独逸に於ける極端な言論圧迫の結果、巴里で発行せられた急進的雑誌である。アーノルド・ルーゲ及マルクスの共同の計画にかゝる。此計画は不幸にして、種々の障碍の為め直ちに頓挫のやむなきに至つたが、発行をみた第一及第二の合本は、前述の意味に於て、吾々に取り最も貴重な材料を遺してゐる。それか発行せられた一八四四年は、マルクスが数へ歳二十七歳の時に当る。当時は、恰も〈アタカモ〉彼が、へーゲルへの『沈潜』から、時事問題への接触とフオイエルバツハの影響とを通して、独自の立場に到達した時であり、同時に亦、双の生涯の事業であつた科学的社会主義の建設に向つての、出発点に立つてゐた時である。
此出発点に立てるマルクスを最も如実に示すものは、本書の冒頭に訳載する彼の書簡である。吾々は其中に於て、門出に勇躍する彼の心臓の鼓動を感じ得ると同時に、斯る機会に於てのみ最も明かに表示せられ得るたぐひの、行途〈コウト〉一般に関する彼の根本的抱負を覗ふことができるであらう。
猶太人問題論両篇は、此興奮と此抱負とを以つて印せられた、彼の最初の足跡の一つである。其中に吾々は、唯物史観と経済学批判とに必然的に導いた、彼の行程の意味深い第一歩を見出すことができるであらう。
此等の一般的意義ある外、更に猶太人問題論の前篇は、我国刻下の問題たる運動の徹底的自覚の為めに、又其後篇は、後に発展せられたマルクス価値論の根本的特徴の理解の為めに、夫々〈ソレゾレ〉特殊の意義を包蔵してゐる。
たゞ遺憾とする所は、文章の難解であるが、熱心なる読者は、恐らく最後には、其労の報ゐらるゝ所ありしことを発見するであらう。訳文の難解は主として原文の性質に基因するも、訳者の無能に帰せらるべきものも亦多きを免れないであらう。後者に就いては、大方の叱正に依り是正の機会あらむことを切望する。
訳文中、最初の書簡及猶太人問題論の前篇は久留間の訳にかゝり、其中前者は『我等』に、後者は『大原社会問題研究所雑誌』に、夫々当初発表せられたものである。猶太人問題論の後篇は細川の訳にかゝり、同じく最初『大原社会問題研究所雑誌』に発表せられたものである。本書への収録に際し、夫々多少の訂正が加へられてゐる。なほ吾々は、此機会に於て、此等の諸篇の転載を許諾せられた両誌の当事者に、深甚の謝意を表したい。
夫々の篇末に収めた訳註は、専ら訳者の婆心〈バシン〉に基く。或は有用であり、或は蛇足の嫌があるであらう。読者の見解に従ひ、適宜に取捨せらむことを望む。
原本『独仏年誌』中に字間を隔てゝ植字しある部分をば、訳文に於ては、字側にヽヽヽヽを附して之を表はした。又原本中イタリツクにて印刷せられある部分に就いては、意味の強調の為めにせられしものをば同じく側点を以つて之を表はし、之に反して、国語又は格言の引用の為めにせられしものをば、「 」を以つて之を表はした。
一九二五年八月 訳 者
以上が、「訳者はしがき」である。明日は、話題を変える。
今日の名言 2021・6・19
◎ユダヤ人問題論両篇は、マルクスの最初の足跡の一つである
久留間鮫造・細川嘉六訳『猶太人問題を論ず』の「訳者はしがき」にある言葉。上記コラム参照。