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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

南北朝合一後は南朝も北朝もない(北畠治房)

2020-03-08 03:07:57 | コラムと名言

◎南北朝合一後は南朝も北朝もない(北畠治房)

 雑誌『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)、「南北正閏論」特集の紹介を続ける。本日、紹介するのは、北畠治房(きたばたけ・はるふさ)の「南朝正統論」である。この号には、同様の趣旨の文章がたくさん掲載されているが、北畠のものは、わかりやすく、しかも短めである。
 北畠治房(一八三三~一九二一)は、幕末の尊攘家。維新後は司法官となり、大阪控訴院長を務めた。

   南 朝 正 統 論       北 畠 治 房
 南朝の正統にして、北朝の閏位なるは、国論の既に一定して居る所。当時の人も論じ、義公〔徳川光圀〕も論じ、頼襄〔頼山陽〕も論じて、今又之を論ずるの余地殆ど無いではない乎〈カ〉。縦し〈ヨシ〉二三の曲学者あつても、如何して此定論を動かすことが出来るものか。甶来神器のある処は、皇位の存する処。北朝には、此神器が無つた為めに、後小松帝は南朝の後亀山天皇に対し、父子禅譲の礼を以て、謹むで其位を承けられたではない乎。この一事既に南朝の正統なるを証し得て余あるのだ。
 南北朝合一あつた以後は、又南朝の天子も無く、北朝の君主もなく、皇統は南朝より伝はつて、万世一系、海内を挙けて悉く蹇々〈ケンケン〉たる王臣であつた。故に合一以後の皇室を以て、北朝の後なりと称するか如きは、是れ皇統と御血統との区別さへ弁へざる無識の陋見であつて、殆と之を是非するの価値すら無いではない乎。
 若〈モシ〉夫れ〈ソレ〉論者にして、我が説を否み我が主張を疑ふ者あらば願くは来つて我書庫をひらけ。我書庫には汝の閲覧十日にして猶ほ尽きざる程の史料を備へて居る、我は喜むで南朝の正統なること――北朝の君臣も亦之を認めて後光厳院を立つるに方つて〈アタッテ〉は、名実共に其辞柄なきに苦むだこと――両朝合体の時に方つても、後亀山天皇は、行幸の礼を用ひて、威儀堂々御還御あつたこと――降つて後世史家の論評に至るまで、一々例を挙げ、証を引いて之を教ゆるであらう。
 元来対立論にしても、北朝正統論にしても、歴史家が一家の見識よりして、私か〈ヒソカ〉に之を唱ふるのは、決して悪いことではない。欧米にあつては、神として崇められたる基督〈キリスト〉に対してすら所謂高等批評を加ふる者もあり、或は之を抹殺する者す らあると聞いた。我国に於ても、神代の事に関しては、多少の異説があるが、是れは特別の知識ある少数派の意見で、国民が教へらる可き所謂歴史教育とは何等の関係もないのだ、凡そ一国の文教なるものは、史家が自己の意見なる所謂高等批評を授くべきものでは無い。国民の国史的信念に基きたる歴史上の史実を教へらる可き筈だ。之を思はず、之を顧みす、漫に〈ミダリニ〉自家の私説を強いむとするが如きは、是れ不見識の極であつて、物の道理を弁へ〈ワキマエ〉ざる迂儒〈ウジュ〉の仕業と言はねばならぬ。
 若し又事実なるが故に事実を書いたとすれば、何故に力めて〈ツトメテ〉幾多の事実を故さら〈コトサラ〉隠蔽せむとしたのである乎。何故に南北朝の対立のみ独り之を教科書に加へたのである乎。知らず、文部省は何故に、事実の名によりて、建国以来の憲法――地に二王なしと云ふ我が不文の憲法を打破せむとしたのである乎、あゝ不明なる学者の罪は猶ほ恕す〈ユルス〉べし、されど一国の文教を司るものが、此異説に惑うて、終には国民教育の基礎を動かさむとしたる不明の罪に至つては、到底輙すく〈タヤスク〉之を恕す可からざるものと信ずる。
 さり乍ら、教科書問題は、既に議会の問題となつて、犬養〔毅〕君は堂々其罪を責めたが、我輩も亦此れと同感である。然るに政府は之れに対し『若し疑惑を招くが如き文字あらば、政府は之を訂正するに吝か〈ヤブサカ〉ならざること』を誓つた。誓つた以上は、我輩も亦暫らく陰忍して其時機を待ち、以て其爲す所を見なければならぬ。若し万一訂正その当を得ざるやうなことあらば、最早猶予はならぬ、起つて堂々其罪を貴めねばならぬ。
 この問題は、啻に〈タダニ〉教育上歴史上の問題たるばかりで無く、正に国民の国家的信念を打破すべき未曽有の大問題である。之を過去にしては、維新の大業翼賛をも否定し、之を将来にしては、国家存立の基礎を危うする〈アヤウウスル〉ものである、宜しく速に解決すべし、決して荏苒〈ジンゼン〉熟考す可き問題ではない。

 明快な論理、達意の文章である。特に注目したいのは、南北朝合一後は、南朝も北朝もないとしているところ、合一以後の皇室を(つまり、明治天皇を)を以て、北朝の後なりと称するのは、「皇統と御血統との区別」をわきまえない議論だとしているところであろう。
 このあとも引き続き、『日本及日本人』第五百五十四号から、南北正閏論関係の記事を紹介してゆきたい。ただし、明日は、いったん話題を変える。

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