◎支流も時に本流より大なることあり(藤澤元造)
雑誌『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)、「南北正閏論」特集から、「南北正閏問答」を紹介している。本日は、その二回目で、「第一問」の後半を紹介する。
問う側は、藤澤元造、牧野謙次郎、松平康國、答える側は、三上参次、喜田貞吉。
藤澤〔元造〕曰く、川二股となれば何れか其の一を正とするは通則なり。然るに此の川のみは何故に本支の区別なきか。(本支の区別ありと定る)
藤澤曰く、本と支とは何を標準として定むべきか。盛なる方が本か、微なりとも其の道筋の正しき方が本か。支流も時に本流より大なることあり。いつれが正か不正か決定を要す。
三上〔参次〕曰く、川の例は語弊あり。取り消す。
藤澤曰く、取り消に及ばす。(藤澤尚これを争ひたるも終に〈ツイニ〉不得要領〈フトクヨウリョウ〉。之を追窮すれば論は尽くべかりしも、本意此の点のみならす、故に姑く〈シバラク〉置きたり。)
牧野〔謙次郎〕曰く、後亀山天皇が父子の礼を以て、神器を後小松天皇に譲りたりといふ事実を認むるか。
三上曰く、これには種々の説あり。
喜田〔貞吉〕、或る古文書を引き出して曰く、此の通り南北媾和以前は対立の書付。媾和の後は南朝は天子とはいつて居らぬ。南北合一の際南朝の天子に太上皇の尊号を奉る〈タテマツル〉に付き、未だ皇位に即かざる〈ツカザル〉者に尊号を贈りたる例なしとの議論さへありたり。北朝の南朝に対する態度此〈カク〉の如し、之によりて父子の礼などはなかりしと思ふ。
牧野曰く、南北の媾和は父子の礼を以て神器を授くる事両統迭立する事の二条件によりて成りたり。然るに後小松天皇崩後、足利氏違約したる為め、楠氏の子孫河内に兵を挙げて吉野に籠り神器を奪ひたるより、赤松の子孫一時南朝に事へて〈ツカエテ〉吉野より神器を取り返し、其の功によりて其の家を再興したる事あり、是によりて見れば迭立の議ありたる者の如し如何。
喜田曰く、これは確実なる証なし、所謂媒介口〈ナコウドグチ〉の類〈タグイ〉にして南朝の天子をすかしたる詞〈コトバ〉なるべし。
牧野曰く、太上皇の尊号を奉り難しといふ古文書は何人〈ナンピト〉の筆になるか。
喜田曰く、北朝の方にて出来たるもの。
牧野、南朝方にもありや。
喜田、なし。
牧野、然らば我々は是を以て南北問題を解决する材料とする事を否認す。片方の証拠のみにて决定することは出来ざるべし。若し出来ると為さば局長之を决せよ。
松村〔茂助〕曰く、余は裁决するの権なし。立合ひのみ。
牧野曰く、然らば今此論法を以て進まむ。故に我等は南北両方の材料なきものは承諾せず。(此の為め大学より持ち来りたる多くの材料は全部提出を見合されたり)【以下、次回】