礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

余も北朝の天子を御気の毒と思ふ(牧野謙次郎)

2020-03-06 03:17:34 | コラムと名言

◎余も北朝の天子を御気の毒と思ふ(牧野謙次郎)

 雑誌『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)、「南北正閏論」特集から、「南北正閏問答」を紹介している。本日は、その三回目で、「第二問」の全文を紹介する。
 問う側は、藤澤元造、牧野謙次郎、松平康國、答える側は、三上参次、喜田貞吉。

   第 二 問
質問したる者と答たる者との誰なりしか判明せざるものあり、今仮りに藤澤〔元造〕氏の側を△印とし、三上〔参次〕喜田〔貞吉〕両氏の側を〇印とす。

△南北対立する事となれば、非常なる危険分子を含蓄することゝはならざるか。天に二日なく地に二王なく、元首たる者は国には一人しか許されず、若し二あらば争〈アラソイ〉の本となるべし。過去を以て未来を推さば非常なる危険を生み出す事はなきか。且つ日本の國體は二君の幷立〈ヘイリツ〉を許すか、或は天皇は必ず一に限るか。
〇過去は兎に角、未来には皇室典範あり。天皇の御即位其の他の規定あり、再び南北朝の如き争は起らず、故に其の心配には及ばず。
牧野〔謙次郎〕曰く、日本にては天皇は絶対に貴し〈トウトシ〉。天皇の位に上れば、御両親と雖も〈イエドモ〉も太上天皇と雖も一歩譲りし事は昔の太上天皇が現天皇に上書して太上天皇臣某と書きたる者あるにて明なり。然らば皇太子始め他の皇族は天皇と対等にあらず。若し君臣に別つ〈ワカツ〉時は皇族は君の部に入るべきか、臣の部に入るべきか。
三上、甚だ困つた問題なり。私よりは答へ難し。
牧野、是非御答を得たし。
三上、聖徳太子が国には一王なりといへり。然らば皇族も純然たる臣にはあらざるも、先づ臣下の部に入るべきものならむ。
牧野、余は勿論臣と思ふ。現在にても各宮は大将大佐等の官に在り。昔は式部卿〈ケイ〉常陸介〈ヒタチノスケ〉等の官あり。是皆臣下の官なり。唯臣下なれども皇族なる故に皇室の待遇は特別になり居るに 相違なしと想ふ。
三上、同意。
牧野、然らば後醍醐天皇は勿論天下の大君なり。其他の皇族は人臣の列に立てり。〔足利〕尊氏に擁立せられたる北朝の天子も皇族の御一人なり。我々より察すれば皇族が逆臣に擁立せられて天子となるは其の御心は決して嬉しからざるべし。併し遺憾なる事には、此の辺の事情を確実に書きたる文書なし。有るかも知らざれども余は寡聞にて知る能はず。此の点より余も三上氏と同じく北朝の天子を御気の毒と思ふ。後醍醐天皇が既に天皇たる以上は皇族の一人が勢〈イキオイ〉已〈ヤム〉を得ず天子となりたるを真の天子と対等と見る事となれば、未来は姑く〈シバラク〉置き、過去の歴史に就いて見る時は、親王皇族にして謀叛して罪せられ殺されたる方々多し。是等は国家より見れば、幸にして事〈コト〉成らざりしも、若し此の目的を遂げて天子となり、南北朝の如き事になりたる時は、三上氏は矢張対立とするか、国家不吉の事なれども過去に此の事あり。
三上、皇族が天子とならむとし彼れ此れの事を為したる時は勿論謀叛なり。北朝の事態は此とは自ら異る。北朝は持明院の後にて天子となる資格ある方なり。これが天子となりたるは他の皇族が叛逆を企てたるとは性質を異にす。 
牧野、然らば南北朝はどこ迄も対等と見るとすれば、天に二日〈ニジツ〉あるを認むるか、立国の原則を破るか。
三上、一体、皇位に正あり閏ありといふことは革命国にていふべき事、支那にはこれあれども、日本の皇位は皇統一系。故に何れが正といひ何れが閏といふ事は出来ず。
藤澤〔元造〕。君等は天に二日あるを許すか。
喜田。それはもう仕方なし。将来に二日あるか三日あることが出来るか分らぬ。
△三上君に問ふ。北朝を正とする説もあり。君は南北対立といふ。南朝を純正と見做さゞると同時に、北朝も純正と見做さゞるべし。
三上、共に純正なり。
△共に純然たる正統ならば、どこ迄も幷べて書くか。其の意味にて南朝を棄てて北朝のみを書く事はなさゞるか。
三上、今後北朝を正とする事の確証なき間は決して書かぬ。

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