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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「長岡の方言」は高島定雄君十七歳の著である

2019-02-23 00:11:19 | コラムと名言

◎「長岡の方言」は高島定雄君十七歳の著である

 橘正一著『方言読本』(厚生閣、一九三七)の紹介にもどる。同書の巻末にある「昭和方言学者評伝」を紹介している。本日は、その一〇回目で、〔新潟県〕、〔長野県〕、および〔山梨県〕の項を紹介する。

〔新 潟 県〕
 佐渡には青柳秀夫氏があつて、多くの未刊の方言集を発見して、之を紹介されたのは感謝すべきであるが、同氏自身の方言集がまだ現れないのは遺憾である。最近では、川島主税氏の採集がある。
 「長岡の方言」は高島定雄君十七歳の著である。同君死亡後、その養父が遺構として出版したもので、恐らく最年少者の方言集であらう。その後、越後の方言学界は寂寥〈セキリョウ〉であつたが、近頃、「高志路【こしぢ】」の編輯者小林存氏が同誌上に越後各地の方言を記して居る。吉田澄夫氏にも越後方言の蒐集があるが、まだ単行本にはならない。
〔長 野 県〕
 長野県は明治時代に多くの方言集を出したが、近頃はあまり振はない。僅に、井上福実氏、佐伯隆治氏を数へる位のものである。上田中学校の「信州上田附近方言集」は明治時代の「上田附近方言調査」を増補したものである。
〔山 梨 県〕
 山田正紀氏は、広島文理科大学の学生時代、東條〔操〕教授指導の下に、瀬戸内海島嶼の方言を調査して、学生時代から既にその名を知られて居た。その人が七年の学窓生活を終へて、最初の赴任地として、方言研究の処女地である山梨県の女子師範学校を選んだのは深く期する所があつたに相違ない。果して予想は誤らなかつた。就任式の翌日すでに方言調査の計画は立てられた。赴任後二個月もたたない〔一九三三年〕六月上旬には、県下三百個所に調査用紙が配られ、八月中旬までに、その七十四パーセントに当る二百十八個所の回答を得、十月中旬にはその整理が終り、翌年〔一九三四〕一月には再調査を行ひ、二月には原稿成り、三月廿日には「山梨県方言の諸相」と題して出版された。未知の土地に赴任して期年〔満一年〕ならずして、この書を成した其の逞しい実行力は驚嘆の外は無い。同君には、この外、「山梨県方言矯正指導書」「江戸言葉の研究」「国語教育のための国語概説」の著がある。
 山梨県には、この外、羽田一成氏と石川秀三郎(緑泥)氏とがある。石川氏は国民新聞の記者といふ激務のかたはら、「山梨県河内方言」を著した。新聞記者の方言集は珍しい事である。

 高島定雄の遺稿「長岡の方言」は、残念ながら、国立国会図書館に架蔵されていない。しかし、インターネットから、高島定雄が一九二六年(大正一五)に亡くなったこと、「長岡の方言」が北越時報社から出版されたこと、などの断片的な情報が入手できる。

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