礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「我々の思想を我々の手で」寺小屋教室

2019-02-04 00:16:20 | コラムと名言

◎「我々の思想を我々の手で」寺小屋教室

 昨日の続きである。二〇一二年八月一七日のコラム「雑誌『ことがら』の終刊と小阪修平」では、『ことがら』の第8号=終刊号(一九八六年一一月)の末尾にある「『ことがら』終刊にあたって」というコーナーを紹介した。このコーナーには、青木茂雄さん、長野政利さん、小阪修平さんの三人が寄稿している。
 そのときは、小阪修平さんの文章、それも、ごく一部を紹介したのみだったが、本日は、青木茂雄さんの文章(全文)を紹介してみたい。

『ことがら』終刊にあたって
   青木茂雄・長野政利・小阪修平
■<恣意性>の崩壊
 『ことがら』誌は今八号をもって終刊になる。第一号が刊行されたのが、一九八二年の八月、それからまる四年たったわけである。
 まる四年、それほど長い時間の幅ではない。人の一生のなかでは或いは一挿話をはらむに過ぎないほどの時間の幅ではある。しかし、いま想い起こしてみるに、創刊から終刊号までの時間の幅が含んでいる〝意味〟の断層の大きさに思い至る。四年のあいだに、情況が一変してしまったのだ。
 創刊から終刊に至るまで、いったいに『ことがら』とは何か、という議論がなされたことは、裏にも表にもただの一度もなかった。むろん、編集同人として表に立って何らかの意見表明を行うことなどあろうはずもなかった。だから、編集同人以外の人から見ると、『ことがら』は正体不明の怪物のように見えていたのもまた事実であった。いや、正体不明であったのは外部から見られた姿においてのみではなかった。当の本人たちにも、等しく正体不明であった。正体不明のまま、雑誌の刊行の作業に各自が勤しんだのであった。あいまいなことを我々がやってきたというわけでは決してない。又、正体を明らかにしておくという手間を我々が惜しんだというわけではない。正体不明で万事過不足がなかったわけである。
 『ことがら』の正体がついに不明であったのに比して、その出所は明白であった。同人のほとんどが「寺小屋教室」の出身者であり、そこを一時期の活動場所としていたこと。そして「それ」に飽き足らなさを感じていたことを共通項としてあげることができよう。「寺小屋教室」は「我々の思想を我々の手で」のコピイにあらわされるように、在野の学問研究を進めようとしてつくられたである。しかし、在野とは言っても、学問研究のスタイルにそうそう大きなちがいがあるわけではなく、それに対する飽き足らなさが、「寺小屋教室」内に様々な潮流をつくりだしていった。『ことがら』編集同人も、明らかにその潮流のひとつを形成していた。いったいに、その結集軸は何であったか、それがよく思い起こされたことはなかったけれども、何となく集まって来てしまったのだ。ひとの離合集散には、当人たちには必ずしも意識されていなかったにしても、必ずその理由がある。
 『ことがら』同人の結集軸たり得ていたもの、つまり雑誌『ことがら』発刊にあたっての既に自明であった了解事項をもしひとつあげるとするならば、<恣意性>の最優先ということになろうか。<恣意性>とは文字通り各人の思いのままということであって、そういうものが原則になったというのも奇異に聞こえるかもしれない。しかし、その<恣意>にはれっきとした理由があった。党派的見解の主張する<普遍性>、或いはアカデミズムの主張する<普遍性>、やや角度を変えて言い換えると、あらゆる共同的なものが個に対して要請する<倫理>、具体的な個人の経験の前にたちはだかる<普遍性>や<倫理>をまずは疑ってかかろうではないか、そのためには、たとえどんなに不定形であろうと、個人の<恣意>をまず解放してみるべきではないか。そのような考えであった。『ことがら』が「七十年代における言語と経験」を一貫したテーマとして扱ってきたのもそのような理由からであった。
 だが、およそあらゆる集団がそうであるように、それがはらむところの共同性とは無縁ではあり得ない。たとえ、どんなに<恣意>を主張しようと、である。いや、むしろそれ以上に、<恣意>的であることが、共同性の成立をもってはじめて主張しえたのである。私連は喜々として『ことがら』誌のもとに馳せ参じた。そこに於て、我々の<恣意>が解放されるであろうことを信じて。
 <恣意>的であることは、本当は集団にとっては無限の拡散を生み出すのみである。それが集団の結集軸たり得たとすれば、それが集団にとって理念的な象徴と成り得た時に於てである。たしかに一時期、それが存在しえた。
 だが、幸か不幸か、その時期は非常に短く、瞬時的なものであるにとどまった。
 時は移ろった。
 同人は、それぞれの場所で、それぞれの経験を積み重ねていた。それぞれの個別の経験のちがいは、交錯させることが時を経るにしたがって困難の度合いを増していった。
 だが、<恣意>的であること、そこから何らかの思想の核を引き出すこと、そのテーマはまだ遂げられていない。それは、残された個々の時間の中で遂げて行く以外にはない。またいつの日か、あい見ることを期したい。  (青木茂雄)

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