礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「津軽語彙」「青森県方言集」「野辺地方言集」

2019-02-13 03:47:02 | コラムと名言

◎「津軽語彙」「青森県方言集」「野辺地方言集」

 橘正一著『方言読本』(厚生閣、一九三七)から、「昭和方言学者評伝」を紹介している。本日は、その二回目で、〔青森県〕の項を紹介する。

〔青 森 県〕
 もし齋藤吉彦が生きて居たら、必ず優れた研究を発表したらうと思はれるが、不幸早逝して我々を失望させた。しかし、同氏の退場と入れ代りに、北山長雄氏の登場を見た事は大きな喜びであった。北山氏は国学院大学在学中、すでに方言に興味を持ち、卒業論文も郷里の方言に関するものであつた。学を終へて帰郷するや、教職(青森市立実科商女)のかたはら、寸暇を割いて、山間僻地を採訪し、ある時は樵夫に会うて忌詞〈イミコトバ〉を聞き、ある時は炭焼に会うて草木の名を問うた。かくして、集つたカードは積んで山を成し、それが整理されて、二百余頁の「津軽語彙」となつて出現した。名は語彙であるが、語法も詳しい。方言を記すに万国音標文字を以てした点は内地の方言集では稀有の例である。同君の熱心を証する例が二つある。一つは、津軽方言と近世語との関係を知るために、あの浩瀚な「近松語彙」を通読した事であり、今一つは津軽方言のアクセントを知るために、二千二十五語を村人に発音させたことである。同君は、また、津軽方言のみを以て足れりとせず、十年計画で東北方言の採集を企てて居るといふ。
 師範学校には菅沼貴一氏が居る。その著「青森県方言集」(菊判百九十頁)の初版が出たのは昭和十年〔一九三五〕であつたが、探集の始期は昭和五年〔一九三〇〕であるといふから、実に五年がかりの大事業であつた。その間、転写する事四回に及んだ。しかも、昭和十年初版を出した後も尚増補訂正の筆を捨てず、翌年は増訂再版を出した。その執着、その熱心、その努力は、常人のレベルを遥に超越して居る。同じ師範学校が明治時代に出した「方言調査報告」が僅十余頁であるのを思合せれば、熱心の有無によつて、かくも違つた成果が現れる事に驚く。この外、青森県には「野辺地〈ノヘジ〉方言集」の著者中市謙三氏がある。【以下、次回】

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