◎風見章の「生きていた死亡広告」(1961)
第一次近衛文麿内閣で書記官長、第二次近衛文麿内閣で司法大臣を務めた風見章〈カザミ・アキラ〉は、一九六一年(昭和三六)一二月二〇日に亡くなった。
新聞に掲載された死亡広告は、慣例を破って横組であった。文章も、その当時、画期的と受けとめられた。以下に、その死亡広告を紹介する。同月二二日の読売新聞に載ったものである。改行は、原文のまま。
衆議院議員、日本社会党顧問
風見 章は12月20日午前2時20分
75年の生涯を終えました。
ここに故人を支持し、故人を愛し
てくださった皆様の御厚誼を深謝
し、つつしんでお知らせ申し上
げます。
通 夜 12月23日午後6時 社会党本部
社会党葬 12月24日午後1~2時 青山斎条
一般告別式 同 2~3時
なお、供花供物はかたく御辞退申し上げます。
1961年12月22日
葬儀委員長 河上丈太郎
妻 風見よしの
長 男 風見博太郎
親戚友人一同
横組であることも珍しいが、元号を使用していないこと、喪主という言葉がなく、「妻」と「長男」の名前が並んでいることも型破りである。
なお、風見章には、『近衛内閣』(日本出版共同、一九五一)という著書があり、これは、中公文庫にも収められている(一九八二)。
【昨日の「新考へ物」の正解】
(一)三人で一匹ずつ分けた。兎狩に行ったのは、祖父と父と子で、父は祖父から見れば子、子から見れば親。だから、親二人、子二人で行ったが、本当は三人。
(二)二つの荷物をお手玉のように、投げながら渡った。
(三)三艘。
(四)穴。
(五)借金。
(六)釣りをする人の弁当。
(七)郵便ポスト。
(八)歌。
(九)三門(三文)。
(一〇)蚊(サ抜きのカサだから)。
今日の名言 2013・5・6
◎読み進むにつれ“生きた文章”に心を動かされた
新聞で、風見章の死亡広告を読んだ読者の感想。1961年12月28日の朝日新聞の読者投稿欄より。投稿したのは、山梨の名執勝人さん(当時31)で、文章には「生きていた死亡広告」というタイトルが付けられている。