ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

彼岸の中日、人生について思った

2022-03-21 21:38:08 | 生き方


今日は、春分の日。
彼岸の中日でもある。
この日にすべきこと。
菩提寺での水あげと、墓参り。

この1週間寒い日ばかりが続いている。
今日も、気温は低いうえに、雨のうえ風もある。
暑さ寒さも彼岸までというが、天気予報によれば、明日もかなり低くて関東地方では雪もありうるとのこと。
線香の火は何とかつけたが、せっかく立てても雨で消えてしまったりした。

ひどい天気になっているのも、「人生は楽ばかりじゃないし、苦もあるさ」ということを、先祖の霊が改めて教えてくれていたのかもしれない。


墓参りの前には、菩提寺の水あげに行った。
本堂の周囲には、法事の対象となる人の名前が、掲示してあった。
その中に、小学校時代の同級生Yさんの弟の名前があった。
彼は、私よりも2歳年下だったが、今年がその37回忌になる。
Yさんとは、5年前に小学校の同級会があった後に会ったが、そのときに教えてもらった話を思い出した。

Yさんは、4人きょうだいの長女で、早々に結婚して嫁いでいき、弟が家の跡取りになるはずだった。
だが、その弟が20代の後半に亡くなってしまった。
その下には二人の妹がいたので、妹のどちらかが家に残ってくれるのを期待したが、二人とも嫁に出ていってしまった。
自分が嫁に行った後の弟の死だったから、その家の跡取りはいなくなってしまった。
結局、数年前に両親が亡くなってしまい、Yさんの家は誰もいなくなった。
もう家なんか壊してしまえばいい、と簡単に言う妹たちの姿に、Yさんはなんだか腹が立った。
長女だったYさんは、早く嫁に行ったから、弟亡き後、家のことで両親の力になれなかったことを申し訳なく思っていたのだ。
両親ががんばって建て維持してきた思い出の家を、たやすく壊せばいいという妹たちの考えに、賛成できなかった。
「壊すくらいなら、私が住んで守る!」
Yさんは、そう宣言して夫を説得し、夫もつれて引っ越してきて住んでいる。

小学校時代のYさんは、そんなに責任感が強いと思える人じゃなかった。(失礼ゴメンナサイ)
行動力がある人でもなかった。(失礼ゴメンナサイ)
情のある人には見えなかった。(失礼ゴメンナサイ)
だけど、長年いろいろな経験を重ね、大きく変わったのだなあと感心した。
人生を無駄に過ごしてきたわけじゃない。
人生を生きてきて、人として大きく変わる。
その素晴らしさを、感じたのだった。

悪天候下の墓参りと菩提寺での水あげをしながら、人生ということを2度考えた彼岸の中日であった。
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ビオラの植え替え

2022-03-20 22:02:51 | 草木花
「ひとつ50円で売られていたから…」
と、家人が花を買ってきた。
買ってきた花は、春の花ビオラ。
パンジーなら、もうひと回り花が大きいことだろう。

買ってきた花は、2種類。



紫と青が中心のものと、うす紫と白が中心のもの。



20年ほど前、勤務先の春の玄関や体育館を飾るために、パンジーやビオラを種から育てていた時期があった。
そのせいか、これらの花が店頭でさびしく咲いているのを見ると、かわいそうになってしまう。

買ってきた花苗は、気温が低い日が続いたこともあって、数日間風除室に置いておいた。
すると、少し元気になったので、今日プランターに植え替えた。



植え替えはしたが、今日はくもり空の下、まだまだ寒い風が吹いていた。
これから暖かくなると、葉を広げ、もっと花をたくさん咲かせることだろう。
その日が来ることが、春本番が、待ち遠しい。

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雨中2-0で快勝! 今季初勝利!! ~2022第5節ホーム甲府戦~

2022-03-19 20:07:44 | アルビレックス新潟


サッカーJ2リーグ第5節アルビレックス新潟対ヴァンフォーレ甲府。


細かい雨はずっと降っていたが、スタジアムの外では、マンサクが満開だった。
春一番にまず咲くから、マンサクと言われているとのこと。
ならば、春を告げる花だから、今日の試合で勝利することによってアルビにも春が来るといいなあと思った。

スタジアム内に流れた試合前の映像は、谷口選手からの決意メッセージだった。
なんとそのメッセージの大部分は、谷口選手の歌であった。

それも、「アイシテルニイガタ」。
新潟のサポーターには、最も愛されている歌だ。
本来なら、サポーターたちは、大きな声を出してこの歌を選手たちに聴かせたいのである。
しかし、この感染症禍、去年も今年もこの歌を選手たちにじかに聴かせる機会は、まだない。
谷口選手が移籍加入したのは、去年からだった。
そう考えると、彼がスタジアム内でこの歌を聴いたことはなかったはずだ。
それなのに、アカペラでこの歌を歌い通してくれた。
そして、「今日は勝ちましょう」というようなことを言った。
思わず、ジーンとした。
知らなくて当然なサポーターソングを知っているだけでなく、一人で歌いあげるなんて…。

谷口~ぃ。
なんていいやつなんだ、おまえは!
いいやつのついでに、今日こそゴールを決めて、本当にいいやつになってくれ!!

そう期待した。

試合が始まると、局面局面で新潟の選手の方が甲府を上回った。
だから、ボール支配率はほとんど同じでも、チャンスの数は新潟の方が多かった。
そのチャンスを先制ゴールに結びつけたのは、アイシテルニイガタを歌った谷口だった。


26分、高い位置でボールをカットした伊藤のパスを受けた、ペナルティエリアの右から進入した松田が、マイナス方向へ折り返すと、谷口がねらいすましたように、ボールに合わせ、ゴールネットを揺らした。
谷口、えらい!
有言実行!!

そして、31分には、左の堀米からの浮き球パスを、伊藤がボレーシュート。
これが見事にゴールに吸い込まれた。



前半のうちに、2-0とリード。

後半は攻め込まれる場面もあったが、新潟は、選手を交代させながら、甲府を零封し2-0で勝利した。



「マンオブザマグロ」(マグロのようにピッチをよく動き回った選手)は、堀米。



MVPは、攻撃の中核を担って自らも得点を挙げた伊藤。



雨の中7,983人の入場者がいたが、震えながら応援した甲斐があった。

秋田戦のような田んぼピッチでなければ、雨でもいいサッカーはできる。
要所で、新潟の選手たちのスピード・スキルが目立った。
やっぱり、本来できる選手たちなのだ。
高木やイッペイシノズカらの負傷欠場をものともしない快勝だった。

とにもかくにも、勝利に勝る良薬なし。
次節もホーム戦、群馬戦だ。
ここから巻き返していこう。
楽しみだ。

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65歳になって、「人生が二度あれば」(井上陽水)を聴く

2022-03-18 22:03:18 | うた
二月に65歳になった。
あれ?
そんなシチュエーションの歌があったぞ。

そうそう。
井上陽水の「人生が二度あれば」だ。
久々に聴いてみる。

1番の歌詞を追っていく。

父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり
仕事に追われ 
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯吞みに写る 
自分の顔を じっと見ている

人生が二度あれば
この人生が二度あれば


この歌が世に出たのは、1972年。
アルバム「断絶」のなかの1曲だった。



今から数えると、なんとちょうど50年も前の歌ではないか。

自分が若いときに聴いた歌なので、この歌を歌う若い世代の側にいるつもりでいた。
なのに、今はしっかり「歌われている」年代の65歳になってしまった。

あの当時この歌の歌詞を新しい感覚で聴いていたのに、今その年齢になって聴いてみると、「そんなじゃねーぞ!」と反発したくなる。

確かに、顔のシワは増えたかもしれないし、仕事に追われてはいなくなったが。
でも、湯呑みに写る自分の顔をじっと見て人生を振り返るには、まだ早過ぎるという感覚だ。
だけど、50年前の65歳って、こういう「完全な高齢者=老人」だったのだよなあ。
決して自己弁護しているわけではないが、50年後の今では、65歳は高齢者の仲間入りの年齢でしかなくて、完全な老人とは言い難い。
これが、時代の移り変わりというものか。

そして、この歌の2番では、64歳になる母のことが歌われている。
歌われるその母親像は、さらに昔を感じさせる。

子どもだけのために 年とった
つけもの石を 持ち上げている


「子どもだけのため」「つけもの石」
これが母のイメージだったということだ。
そして、さらに、

子どもを育て 家族のために 年老いた母

と、母の人生を憐れむように歌う。
ここには、世に出て働く母のイメージはない。
ひたすら家庭内でおさまる母だ。

今、若い人たちにこの歌を聴いてもらっても、きっと感じるものは少ないだろうなあ。
でも、あの頃は、この歌も、若者の心を代弁する歌だったのだが…。

この歌があったことを思い出し、改めて聴いてみて、時代が大きく変わっていることを改めて強く感じた私であった。



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中庭は黄色い花たちが輝いている

2022-03-17 20:27:56 | 草木花
先週埼玉にいたときには、春に咲く花をいろいろと見ることができて、うれしかった。
なかでも、黄色い花を見ると、春に咲くにふさわしい輝きだと思い、気持ちが明るくなる。

新潟の家に帰って来てみると、フクジュソウが、つぼみをつけていた。
クロッカスも、たくさんの大きなつぼみとなっていた。
それらは、私たちが埼玉に行っている間に、花を開かせたようだ。
なのに、帰って来てみると、晴れる日がなく気温も低くなったせいか、花はなかなか開かなかった。

昨日の午前中、久しぶりに晴れて暖かい時間があった。
すると、フクジュソウもクロッカスも、きれいな花を開かせた。



フクジュソウは、土が肥えていないせいか、年々花が小さくなり、かわいくなっている。



高崎市染料植物園で見たフクジュソウは大きくてあでやかだったが、わが家のフクジュソウは小さきもの。
小さきものは、みなうつくし。

クロッカスは、寒さと雨で倒れたものもあったが、もう一度がんばって咲いてくれた。
この色は、黄色というよりオレンジ。




オレンジカラーといえば、アルビレックス新潟。
このクロッカスのように、雨(の試合)で倒されてしまっても、再び立ち上がって美しく咲こう!



さらに、12月からつぼみをつけながら雪の寒さに負けずに耐えて、ようやく花を咲かせたロウバイが、すべてつぼみから花を完全に開かせていた。



そして、今日見たら、植木鉢のオウバイ(黄梅)も、1つ花を開かせていた。



これは、どこかから種が飛んできたのか、いつのまにかプランターに育っていたものだった。
これもまた、種の存続を図ろうとする植物のたくましさを教えてくれる。

こうして、黄色い花たちが、今わが家の中庭を明るくしてくれている。

おまけに、玄関先に飾っておいたビオラの花も、暖かくなって花のきれいさが一層増した。



せっかく昨日、晴れて陽光降り注ぐ中、花たちもまぶしく輝いていたのに、今日また気温が低くなってしまった。

暖かい日が続いたかと思うと、また寒い日が続いたりする。
寒暖の差が激しいが、そんななかでも黄色い花が増え、やがて咲く花の種類が多くなっていく。
それが、春。
いよいよだな。


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大学卒業周年行事の記念品届く ~たしかにささやかではあったけれども…~

2022-03-16 21:40:14 | 生き方
先月、「大学卒業周年行事も、なんだか空しいものに…」という記事を書いた。


このオミクロン株関係の感染拡大が少しはスピードが緩んだとはいえ、未だに勢力がすごいことを考えると、案内が来たとはいえ、当然足を運んだりはしなかった。
それでも、いやしい私は、案内文にあった、「用意されたささやかな記念品」とは何だろう?と思って、記念品を送ってもらうよう手続きはした。

すると、数日前、わざわざ宅配便の袋でその記念品が送られてきた。
大学からか、軽いけれども、何だろう?
そう思って、開けてみた。
すると、中には、表に大学の校舎、うらに手紙が印刷されたハガキ大の送付文。


プラス大学に関する絵葉書が2枚(といっても、その2つに懐かしさを感じる心当たりはない)。

そして、およそ7cm四方、高さ5cmの、大学をイメージした絵が描かれた青い紙箱が入っていた。



何が入っているのかな?
そう思って、箱の中身を取り出してみると、ここにもやはり大学のシンボルともいえる、大学の正門から時計台の学舎が描かれた、丸い缶が入っていた。



取り出して、缶のふたを開けてみると、出てきたものは、想定外のものだった。
それは、…なんと、金平糖!!!
存じなかったが、星果庵の「カラフルの金平糖」というもの。



かわいい袋に入った、35g。
たしかに、「ささやかな記念品」ではあった。

カラフルな金平糖を記念品に選んだのは、どういう理由だったのだろう?
たしかに、若いときの思い出はキラキラとまぶしいものだ。
過ぎてしまえば、つらかったことでも甘い思い出となってしまうことも多いかもしれない。
粋な記念品だね。
食べてしまっても、
量的には多くないが、なんか簡単に口に入れてしまうのは惜しいと思った。
少なくとも、缶だけは、残しておきたくなった。

卒業60・50・40・30・20・10・5周年の周年行事ができなかったが、延期してでもなんとか開催したいと考えてくれた。
そして、手間をかけて記念品を送ってくれた。
校友会及びその事務局に感謝したい。
ありがとうございました。

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風景の違いを確かめながら、2週間ぶりに走る

2022-03-15 20:59:45 | RUN
埼玉に行っている間は、感染予防の意味もあって、走りには出なかった。
だから、昨日走りに出たのは、12日ぶり。
せっかくだから、12日前と同じところを走ってみて、周囲の様子の違いを見ながら走った。

あちこちのハクチョウがだいぶ北に帰って行ったが、ここにはまだ2羽のハクチョウがいた。



ここには、数年前までケガでもしているのか、1年じゅう北に帰らないハクチョウがいたが、いつからかいなくなってしまったことを思い出した。
今年は、みな北へ帰るよね、きっと。

さて、植物はどうだろう。
雪がとけたばかりのところに、ヤブコウジの赤い実がきれいに出現していた。



その上方を仰ぐと、あった、あった、咲き始めていた。



春のはじめを飾る、「まず咲く」こと「マンサク」が、咲き始めていた。

ただ、まだ走る道の脇にはこんなに雪がある場所もある。



なので、ほかに花が咲くのはもう少し後になりそうだ。


久々に走ったので、最初は足が重かった。
重いなら重いなりに、声には出さないが「1・2,1・2」と足取りのリズムだけは乱れないように意識して走っていると、5kmくらいでそれなりにきつさがなくなった。
きつさよりも走ることの気持ちよさが上回ってくる。

「今日は10kmくらい走ることでいいかな」そう思って走り出したはずだった。
でも、不思議なもので、5kmもいくと、「もっと走ってもいいかな」なんて考えが変わってくる。
だから、もう少し走ることにして、13kmまで延ばした。

12kmの手前で少し胸が苦しくなったが、数秒立ち止まると、また走り出すことができた。

こんなふうに、写真を撮ったり立ち止まったりする時には、ずるいものだから、ランニングウオッチは止めてしまう。
この日の平均タイムは、6分02秒/km。
2年ほど前に比べて、1kmあたり1分くらい遅くなってしまった。
でも、走ることが好きだから、苦しくなったら立ち止まったり歩いたりすることにして、走ること自体はやめたくないな。

彼岸を過ぎれば、日に日にいっそう春めいていくはずだ。
そうすると、ますます野草の花見RUNが楽しめるだろう。
楽しみだなあ。
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当ブログ、開設5000日を超える

2022-03-14 20:19:51 | 生き方
昨日、ブログ更新の作業を終えた後のことだった。
編集ページの隅っこに何気なく目が行くと、そこには、「5001」の文字が。
「ブログ開設から5001日目」と書いてあった。



へえ~、そうかあ。
いつのまにか、そんなにたっていたとは。
このブログを始めたのが、2008年の7月3日だった。
それから、5000日がたったということだ。
5000日と一口に言っても、年数でわかりやすくすると、13年8か月。
早いものだ。

ブログを始めたあの頃の私は、単身赴任中だった。
その頃、NHKのEテレの趣味講座では、「ブログをはじめよう」なんていう特集を何回か放送していた。
そのテキストの表紙には、「おじさんだってやっちゃうよ」なんて言葉がおどっていたりして、それがとても魅力的に映った。
そして、仕事上知り合った、私と同じように単身赴任中だった方が、ブログを楽しんでいる様子を見て、自分もやってみたいと思っていたのだった。

ブログ名を考えたとき、もう50代が始まっていたので、人生の途上、50代の生き様を記していきたいと思って、「五十路ON MY WAY」としたのだった。
そうやって続けてきて、やがて50代が終わるときに、「五十路」を取って、「ON MY WAY」だけにして、今日に至っている。

最初にアップしようとした内容は、草花の「タチアオイ」について書いたものだったが、うまくいかずに、別な日にアルビレックス新潟の試合のことについて書いたのをあげたのだった。
最初のころ、カテゴリーは、「アルビレックス新潟」「自然」「草花」「生き方」「ひと」などとしていた。
その後、それだけではうまく書き分けられなくなったこともあり、今は、
草木花(429)、アルビレックス新潟(494)、お出かけ(160)、生き方(531)、RUN(360)、スポーツ(100)、自然・季節(191)、新潟(114)、ひと(98)、うた(99)、育業(90)、読む(87)
…の12のカテゴリーにして書いている。【( )内の数字は記事の数】


なかなかブログを更新しなかった自分が頻繁に書くようになったのは、9年前、娘の大病のときだった。
刻々と変わる娘の病の異変を、親類や知り合いに知らせるために、「娘よ」と題して毎回書き続けたのは、人生の中でとてもつらく苦い思い出だ。
その頃は、疾風怒濤の日々だった。
最近は書いていないが、とりあえず今は穏やかな日々を送れていること自体は幸いだ。

ところで、今まで5001日間に、記事をアップしたのは、2753回に上る。
そして、ほぼ日刊にしたのは、定年退職したときからだった。
2017年の4月1日からは、とにかく毎日書き綴っていこうと決めている。
そう決めてからまもなく5年になるが、2017年4月25日(弟の義父の逝去)、2018年9月1日・2日(義兄の逝去)の3日間以外は、内容はともかくとして毎日書き綴っている。

さて、これから。
もし、10000日まで目指すとしたら、78歳を過ぎるまで生きなくてはいけない。
父は56歳、母は76歳と、両親ともにそこまで生きていないから、自分も自信がないなあ。
まあ、いつまでできるかわからないが、とりあえず1日1日を大事にして生き延びていくとしよう。

最後に、今までのトータル閲覧数は、なんと139万8670。
そして、トータル訪問者数は、のべ60万2372人に及ぶ。



つたないこのブログを読んでくださるみなさまに、あらためて心より感謝申し上げますm(_ _)m。
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天は秋田に味方した ~2022第4節アウェイ・ブラウブリッツ秋田戦~

2022-03-13 17:47:15 | アルビレックス新潟
天は秋田に味方した。

秋田は、第4戦にしてホーム初戦。
それだというのに、気温6℃で時折強い雨も降るし、グラウンドには水が溜まっている、ぐちゃぐちゃな環境。
こんな条件でサッカーはやりたくないだろう、と思うが、チームにとっては、そういうわけではない。
なぜなら、ボールは止まるし、足は滑るし、新潟のような素早いパスを身上とするチームが相手の時には、願ったりかなったりなのだ。
そこで要求されるのは、体力。
もともとボールを奪ったら、前にボールを放り込むサッカー。
足元が濡れていようがいまいが変わらぬ戦術。
新潟と違って、秋田はちっとも困っていなかったのだ。

試合が始まってみると、明らかに新潟は戸惑っていた。
ぐちゃぐちゃな足元に加え、秋田にとっては強い追い風のコンディション。
相手のボールをはね返しても、簡単にまた風を使用して攻め込まれる。
秋田の一方的な時間が続いた。
おまけに開始10分と少しで、イッペイシノズカがけがで途中交代。
いつもボールを支配する新潟が、前半途中まで縦ポンサッカーの秋田にボール支配率で負けていた。
前半の終わりの方になって、ようやく支配率で上回ることができたが、有効なチャンスは少なかった。
前半を終えて、DAZNの集計で、シュート数秋田6本、新潟わずか3本。
コーナーキックは、秋田が8本に対し、新潟は1本。

後半は、風が逆になるし、秋田の攻めに対応できるようになってきていたから、何とかなると思っていた。
案の定、後半は、新潟の方がチャンスは作り始めた。
後半、秋田のシュートはたった1本で、新潟は10本を数えた(DAZN集計)。
ところが、そのたった1本のシュートがゴールに吸い込まれ、決勝点となってしまうのだから、オソロシイ。
DF千葉とGK小島の判断が悪かった。
たった一人で突っ込んでくる相手にかわされてシュートを打たれてしまったのだから。
特に、この3試合、千葉のミスが失点につながっている。

それでも、これまでの試合では先制されても、ドローに追いついてきた。
懸命に攻める新潟だったが、結局、必死にはね返す秋田に屈する結果になってしまった。
秋田1-0新潟。

新潟、開幕4戦勝ちなしの1敗3分けの18位。
明らかにスタートダッシュに失敗だ。

でもね、まだ1敗なのだよ。
まだ4試合しかしていないのだ。
シーズンは長いのだ。

キャンプインと同時に感染症禍に巻き込まれたり、悪天候下の試合が続いたりしているうえに、新潟には運もない。
今日の試合の前半には、ペナルティエリア内で明らかに相手の肘にボールが当たっていたのに、審判に見逃されていた。
J2にはVARは、ない。

だけどね、「禍福は糾える縄の如し」なのだ。
これからいいこともたくさん起こるはず。
今上位にいるチームだって、「楽あれば苦あり」なのだ。
これから、これから。

あと1,2試合うまくいかないこともあるかもしれない。
でも、あせらずにいけば、きっと道は開けると信じて応援していくぞ。

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高崎市染料植物園再訪 黄色い花たちがまぶしかった

2022-03-12 19:55:45 | お出かけ

こんな角度から見える高崎白衣大観音。
そこから見えた観音様は、存在感たっぷり!
でも、行ってきた先は、そこではなく、2年前の春にも行った高崎市染料植物園。
ここなら、何らかの花が見られるからと、埼玉からの帰りに寄り道してきた。

期待通りに春の陽光の輝きのごとく、黄色い花々が咲いていた。

まず、入り口近くに咲いていたのは、ミモザの木の花。

明るい花は、まぶしいくらいだった。
残念ながら、逆光の位置でピントが合わずボケてしまった。


最もきれいであちらこちらに咲いていたのが、福寿草。
すでにピークを過ぎつつあるように見えたが、場所によっては大きな花が輝くように咲いていた。

緑の葉が出ているのは、もう咲き初めではないということ。

でも、逆に葉と一緒だと、黄色と緑が一緒で、鮮やかさがさらに際立ってくる。

さらに歩いていると、ロウバイが並木のように咲いていた。
大好きなソシンロウバイであったが、もうきれいな盛りの時期を過ぎていた。

しかし、後ろから日を浴びると透けながら輝くようできれいだった。


そして、よく見るとすっくと立っている木も、細い枝に黄色い花を咲かせているではないか。

これは、サンシュユの花!

漢字で書くと難しい。
…「山茱萸」…読めませんな。

そして、まだほとんど咲いていなかったのが、ミツマタの花。

枝が三つ又に分かれているのだから、命名の妙を感じる。

シナマンサクは、まだつぼみ。

これから、マンサク特有の咲き方をするのだろうなあ。


春の花は、黄色く輝く花が多い。
まぶしい光のようなその花たちを見ると、うれしくなる。
やがて訪れる春本番が待ち遠しい。
しかし、その前に、暖かい春の陽光を思わせる花々を見ることができ、気持ちが明るくなった。

よし。
これから、春が来る新潟へ帰ろう!
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