ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

外国人選手獲得に見る、走り出した!?ニイガタ流儀 期待大!

2019-01-11 22:28:43 | アルビレックス新潟

「走れ!ニイガタ流儀」
これが、昨日の新体制記者会見で発表された、サッカーJ2新潟の今季のスローガン。

今季から、J2では1試合に外国人選手が4人出場できるということもあって、外国人選手の質が一層大切となるはずと考えられた。
しかし、去年に比べて5億円の予算減のはず。
チームとして資金不足なのに、よい外国人選手を補強できるのかと、不安に思っていた。

ところが、そこは、新社長の是永マジック…とでも言えばよいのか、しっかりとした補強を行った。
DFには、栃木から長身のパウロン。
得点力不足だったFWには、J3鳥取からJ3得点王のレオナルド。
そして、昨季後半、大宮からレンタル移籍で活躍し新潟を救ったMFカウエを完全移籍で獲得。

これだけでも、素晴らしい補強だと思っていたが、ブラジルから、FWフランシス、MFサムエル・サントス、シルビーニョの3名を呼んだ。
そこにもってきて、チョ・ヨンチョルと、合計7人の外国人選手の補強に成功した。

全員がベンチ入りできるわけではないから、これらの外国人選手の中でも出場するためには競争が必要になる、という訳だ。
そして、ケガ等で出場できない選手が出た場合にも、心強いバックアップメンバーとしての活躍も期待できると言える。

日本人選手の補強は、復帰した選手と高卒の選手たち以外にはなく、即戦力と育成戦力とを意識した構成だと感じた。
しかし、高卒の選手でも、去年途中出場で決勝ゴールをあげた本間至恩など、楽しみな選手も多い。
しっかり育てて(育って)もらいたい。

J1復帰に向けて、しっかり新戦力を補強した是永新体制。
是永新社長が発表したスローガンのとおり、新潟の流儀で、すでに走り出した!という感じだ。

今日は、聖籠のピッチで初練習を行ったというニュースが、夕方の新潟のローカル各局で放送されていた。
また、明日夜は、新潟市で選手激励会だが、野澤、ヨンチョル、早川らの復帰もあり、きっと盛り上がることだろう。

そして、開幕3戦までの対戦相手も決まり、発表された。
第1節 2月24日(日)アウェー京都戦
第2節 3月 3日(日)アウェー千葉戦
第3節 3月 9日(土)ホーム柏戦

これから、どのようなチームが出来上がるのか、楽しみでしようがない。


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チョ・ヨンチョルの電撃復帰に涙腺が緩んだ

2019-01-10 21:47:38 | アルビレックス新潟
いよいよ今日から、アルビレックス新潟は、チームとして2019シーズンの始動となった。
年末から今週にかけて、選手たちの契約締結、契約満了による退団、移籍退団、そして新規加入の情報が次々と入ってきた。

そして、いよいよ今日は16時から新入団選手の記者会見とのことだった。
ところが、正午になったとたん、携帯メールが届いた。
びっくりした。

慶南FCより チョ ヨンチョル 選手 移籍加入内定のお知らせ

が、それだった。
韓国出身の彼は、2009年から3年間、新潟に在籍していた。

スピード感のあるプレイヤーで、新潟に在籍している間に花開いた、という選手だった。
矢野とヨンチョルのスピードで速攻を決め、勝ちにつなげたことも記憶に残っている。
若くて才能ある選手だった。
韓国の代表やオリンピックの代表にもなったことがある。
新潟にいた間に、日本語を勉強し、ヒーローインタビューなどでも極力日本語を話そうとしている姿もあった。
だから、大変人気がある選手でもあった。

残念ながら、2012シーズンからは大宮に移ってしまい、その後カタールのチームから母国韓国の複数のチームに所属していたようだ。

そのヨンチョルが、J2で低迷している新潟に戻って来てくれる。
なんとうれしいことだろう。
新潟のホームページに載っていた彼のコメントを見て、私の涙腺は一気にゆるんでしまった。

■コメント
皆さん、お元気でしたか。このたび、新潟への移籍が決まり、久しぶりに新潟サポーターの皆さんにご挨拶することができて、心より嬉しく思います。
しばらく離れてはいましたが、心のふるさとのような新潟を片時も忘れず、遠くから応援していました。今季から再びチームの一員になり、J1昇格をかけて皆さんと一緒に戦えると思うと、胸の高鳴りを抑えることができません。

新潟を忘れていなかったか!
J2に落ちたというのに新潟に戻って来てくれるのか!

野澤の復帰を知った時も胸が熱くなったが、ヨンチョルも、と知って、さらに感動してしまった。
周囲に誰もいなかったのもあり、60代のおっさんの目からは遠慮なく涙が出てきてしまった。

日本人選手だけでなく、ブラジル人選手がなんと6人も加入したりしているし、競争は激しいかもしれない。
でも、ヨンチョルには、かつての輝きを再び見せてほしいと思っている。

矢野、野澤、チョ・ヨンチョル…。
チームの顔となって活躍した選手たちが復帰して、もう一度新潟のためにも自分のためにも力を尽くしたいと考えている。
思わず、期待したくなってしまう。

今日の新入団会見でも、前列にいた選手たちのキーワードは「復帰」だった。
2008年以来の復帰の野澤、2011年以来のヨンチョル、そして急性白血病を克服し3年ぶりにチームに戻ることができた早川。

新シーズンの活躍が、今から楽しみだ。
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寒中見舞いをいただいて…

2019-01-09 22:23:53 | ひと
今週になって、寒の入りを迎えた。
年賀状をもらった相手に、寒中見舞いを書いたという話は4日ほど前に、ここでも書いた。
年賀状をくださった方の大半は、私が年賀欠礼を出しそびれてしまったり住所が変わってしまったりしたので年賀欠礼が届かなかった人たちであった。

今週になって、この3日間で5通の寒中見舞いをいただいている。

ありがたいなあ、と思う。
というのは、年賀欠礼を受け取って、年賀状を出さない代わりに、わざわざ寒中見舞いを書いてくれているということだ。
文面を見ると、近況を知らせてくれたり、こちらを気づかったりしてくれている。
情のある方々だなあ…と、心の琴線を震わされる思いだ。
人として、すばらしい思いやりの心をもっているなあ、見ならいたいなあ、と思った。

私は、年賀欠礼を受け取っても、思いやりのある、このような形で寒中見舞いを出したことはほとんどない。
自分は、自分が思っている以上に冷たい人間なのかもしれない。
でも、だからこそ、反省し改善に努め、向上していけるとも考えたい。

5通の寒中見舞い。
温かい人の心とその振る舞いに感謝・感心すると同時に、自分のいたらなさを改めて痛感し、反省するしだい。
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走るようになって自分が変わったことは

2019-01-08 21:51:05 | RUN
マラソンを走るようになって変わったことは、どんなことがあるか?

体重が10㎏以上減ったこととか、寒さを感じるようになったこと等、いろいろある。
まあ、いろいろある中でも、最も変わったのは、歩くことを嫌がらなくなったということだろうか。

走り始めたころ、と言っても、2kmくらいしか走らなかった時は、とてもじゃないが「マラソンを走る」なんて言えなかった。
それが、1回の練習で走る距離が増えるにつれ、徐々にマラソンの距離を走ることに気持ちが向いていった。

やがて、走れる距離が10km以上になってきたら、5kmくらい歩くことは、大したことはないということになった。

走るようになる以前は、歩いて20分くらいのところでも、急いでいるからということを理由にしてタクシーを呼んだりしたことも多くあった。
それが、今は、タクシーに乗るなんてことは、よほどのことがないとありえない。
それどころか、さすがに酒を飲んでから走って帰ることはしないけれど、自宅まで5kmの範囲であったら、飲み会が終わった後でも、歩いて帰るのが普通になってしまった。
その方が、タクシーなどに乗って帰るよりも、気持ちよく帰って来られるのだ。

そんな訳で、距離に対する抵抗感がなくなってしまった。
20km離れている、と聞いても、今だと、「なあに、いざとなれば走って行ける(帰れる)」と思ってしまう。
これは、いざ何かあっても困らない、ということにつながるのじゃないかなあ。

日常でも、自分はこのくらいの距離なら歩けるぞ、走れるぞ、という自分に対する自己肯定感が非常に高くなった気がしている。

走ることによって、心身共に「気持ちよい」と思う範囲が広がった、と言えそうだ。
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大会に出て走るようになってから、10年を迎える

2019-01-07 22:26:06 | RUN
「RUN」
このカテゴリーで書くことがずいぶん多くなった。
このカテゴリーで書いた第1回の記事は、こんなふうに「走る」ことについて書いたのだった。

今から10年ほど前は、まだ、走っても3kmくらいだった。
レースに出ることもなかったのが、その前年に、10kmを6人で走るというローカルな駅伝に出て、アンカー区間の最終2.7km(だったかな?)を2年続けて走ったのが、出たと言えば、出た最初だった。

走る距離が3kmにも満たない私だったが、レースに出てみようと決意したのは、10年前の4月、新潟ロードレース大会10kmだった。
その大会では、5km、10km、16kmと3つの距離があったが、あの当時にしては思い切って10kmに参加したのだった。
その記事を書いたのが、「RUN」の2回目の記事だった。

そして、新しい職場で出会った知り合いの人たちが、マラソンを走る人が多く、私と同年代の人も走っていることを知って、さらに長い距離、マラソンを走れるようになりたいと思うようになったのだった。

なぜ走るのか?
やっぱり気持ちいいからだろうなあ。
いろいろないやなことがあっても、やらなくてはいけないことに追われていても、とにかく走ってみる。
そうすると、充足感・達成感が広がるのだ。
その広がりは、半端ないものがある。

そして、ふだん走るときというのは、誰かと競う訳でもない。
自分の好きな速さで走ればいいのである。
ときには、その走る速さは、早歩きよりも遅いかもしれない。
でも、いいのだ。
自分が気持ちよければ。

何もしていなくても、走れば自分に満足できる。
自己肯定感が非常に高まるのである。

これを、何分何秒で走れなかったらダメだ、などという人がいたり、そう考える自分がいたりすると、きっと走ることはつまらなくなる。

いいじゃないか、走ることができるのだから。

私の心の中には、いつもその思いがある。
第1回のときに書いたように、立つことさえままならなかった時を経験しているから、体が動く喜び、走れる喜びというものは大きいのだ。
だが、体を壊したことがあるから、また壊したくない、という思いもある。
走れるということが健康であり、走り過ぎて健康を害するようなことは避けたいものだ。

そして、生来が怠け者であり気まぐれであることもあり、毎日走りたいと思ってみたり、毎日走るのは嫌だと思ってみたりする自分。

60年以上もそんな自分と付き合ってきたのだから、あまり根を詰めずに、楽しく走っていきたい。

今年も、去年並みの回数ーおよそひと月に1回-を、大会に出て走っていくことにしようと考えている。


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高校サッカー、帝京長岡高は敗れてしまったけれど…

2019-01-06 18:20:41 | 新潟
昨日行われた、高校サッカー準々決勝、帝京長岡高対尚志高の一戦は、惜しい結果となった。
たった1つのパスミスからゴールを許し、新潟県代表は、福島県代表に敗れてしまったのだった。
いつ追いつくかと思いながら、そのまま0-1で試合は終わってしまった。

ただ、帝京長岡独特の「つなぐサッカー」は、見ていて非常に楽しかった。
それを可能にしているのは、足元の技術だ。
それがしっかりしているから、相手からボールを奪ったり、相手に簡単にボールを渡さなかったりすることができたていたのだ。
それなのに、失点につながったミスがあったのは、もったいなかった。
ただ、見ていて楽しいと思うサッカーは、なかなか見ることができない。
もっともっと見ていたかった。

以前、帝京長岡が同様に準々決勝まで進んだときも、たしか2-3の1点差で敗れている。
あの時のサッカーも、見ていて楽しかった。
当時の準々決勝の試合も、勝てそうだったのに、負けてしまった。
今回も、ボールを支配している時間が長いのでチャンスを多く作ったが、わずか1点が取れなくて負けてしまった。

もったいなかった。
あと少し、というところだった。

ついでに言えば、帝京長岡高は、高校女子サッカーでもベスト8に進出していた。
しかし、残念なことに、女子も東京・十文字高に0-1で敗れてしまった。
男女ともに、ベスト8で終わってしまったか…と残念。
とはいえ、帝京長岡高は、男女同時に同じ年に全国でベスト8に進出、というのはすごいと思う。
敗れたとはいえ、偉業を達成したといえるのではないかな?

帝京長岡高の男子は、2年生中心のチームだということだった。
また来年の活躍が楽しみにしたい。
様々なスポーツで、負けた経験を持つ選手たちが、雪辱を期して強くなっている。
帝京長岡高も、惜敗した経験を生かして、きっといっそう強いチームとなってくれることだろう。
新潟県民として、そんな期待をもっている。
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寒中見舞いをつくる

2019-01-05 20:28:51 | 生き方
昨年後半の義兄の逝去で、今年は年頭のあいさつをつつしむことにした。
そのため年賀状は、書かなかった。
代わりに年賀欠礼を早めに出しておいた。
…つもりだったが、何件か出しそびれたところがあった。
去年住所変更等があって、連絡が付かなかったところもあった。。
また、年賀欠礼は届いていたが、それでも年賀状を出してくださった方もいた。

だから、今日までに年賀状が何枚か、たまってしまった。
返信しなくては、と思い、寒中見舞いに代えて返事を出すことにした。

7つの間違い探しを楽しみに(?)していた方もいるかもしれないので、12年前の亥年のものを使うことにした。
ここでは色がついているが、印刷する時にはモノクロ印刷にした。
寒に入ったら、出すことにしよう。





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箱根駅伝、けがをした選手の速さは?

2019-01-04 22:10:46 | RUN
元旦マラソン後、昨日一昨日と太もも上部が明らかに筋肉痛。
いつもの練習時の走りとは違う、目一杯スピードを上げて10kmを走ったそのツケが来ている。
筋肉痛の時に我慢してがんばって走っても、その痛みはなくなるどころか、かえって悪化することの方が多い中高年でございます。

そんな訳で、昨日一昨日と、箱根駅伝をデレッと見ているだけで、運動どころか大して歩きもしなかった。
駅伝を見ていたら、大東大の1区の選手が転倒してねん挫しながらも、ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにしながら、がんばって走っていた。
あんな走りだから、当然他校から引き離されていってしまった。
特に後半は、タスキをつなげようと必死で、足を引きずるようにしながら走っていたのが印象的だった。
あの片足を引きずる走り方で、1位とは8分40秒離されてしまったが、すぐ前の順位のチームとも4分7秒離されてしまった。
つまりは、速く走れなくなってしまっていたということだ。
なんとか、2区の鶴見中継所での繰り上げスタートは免れたが、走っていた本人は体も心も痛みでどれだけつらかったことだろう。

ここで問題です。
★足を引きずりながら走っていたあの選手の後半のスピードと、元旦マラソンで好結果を収めることができた私のスピードとでは、どちらが速かったのでしょうか?

① 私の方が段違いに速い  ② 私の方が少しだけ速い  ③ 同じくらいの速さだ  ④ 大東大の選手の方が少し速い ⑤ 大東大の選手の方が段違いに速い

さて、正解は…?



⑤ 大東大の選手の方が段違いに速い

なのです。

元旦マラソンの私の平均スピードは、1kmあたり4分43秒だった。
最も速く走った1km区間でも4分29秒だったのである。
ところが、けがをして足を引きずるような、跳ねるような走りをしていたあの選手のスピードは、1kmあたり3分45秒なのだ。
これは、15.2km地点の蒲田と21.3km地点の鶴見中継所の区間、6.1kmを、22分51秒かかって走った選手のデータから、速さを割り出したものである。
仮に、私が、1kmだけを全速力で走ってみても、最近一番速かったときでも、4分13秒でしか走れていない。
3分45秒ではとうてい走れないのである。
さすが、大学駅伝で箱根を走る選手だ。
あのようにけがをして、明らかにおかしな走りしかできなくなっても、市民ランナーの私より格段に速く走っているのである。
すごいと思う。

ちなみに、区間1位となった東洋大の選手は、その区間を1km平均で2分52秒で走っている。
本当に、尋常でない速さ。
さすがである。

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「史上初」を連続して勝ち上がる帝京長岡高サッカー

2019-01-03 20:16:40 | 新潟
12月、今冬の高校スポーツで、新潟県の代表となって活躍したのが、バスケットボール男子の帝京長岡高だった。
前年と同じ準決勝まで進んだ。
準決勝でも、3位決定戦でも敗れてしまったが、その健闘ぶりはすばらしかった。

ところで、年末から年明けとなっても、帝京長岡高の活躍は続いている。
今度は、高校サッカーである。

大みそかの1回戦では、高知西高に、FW晴山のハットトリックをはじめとして、大量得点を記録。
6-0で大勝した。
新潟県のチームで、大会史上初めてのことであった。
この大会で新潟県の選手がハットトリックを達成したのは、97回の歴史を数える高校選手権で初めてのことなのであった。
今年の新潟県代表帝京長岡高は、強い、というイメージをもつことができた。

年が明け、昨日行われた2回戦では、北海道代表の旭川実業と対戦。
1点を先制されたが、逆転した。
逆転できるのは、強いチームならでは、と思っていたら、後半に同点に追いつかれ、PK戦に持ち込まれてしまった。
そのPK戦が死闘となった。
テレビの中継も8人で途切れてしまい、ネットを頼りに結果を追った。
すると、なんと、決着がついたのは19人目。
帝京長岡〇〇〇×〇〇〇〇〇〇〇〇×〇〇〇〇〇〇
旭川実業×〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇×〇〇〇〇〇×
17対16という激しさだった。
両チーム合わせてのべ38人がシュートを打ち合ったのだ。
帝京長岡高も旭川実業も、すばらしいと思うのは、38本のキックのすべてがゴールの枠の中に飛ばしているということ。
枠外に外したシュートというのは、1本もなかったのである。
だから、あとは、GKがいかに防ぐかということがポイントになった。
1-1で迎えた13人目、帝京長岡高のキックが、相手キーパーに防がれた。
この絶体絶命のピンチに、帝京長岡高のGK猪越は、相手のキックを見事にはじいたのだ。
そして、さらに続いたPK合戦。
19人目で帝京長岡がキックを成功させた後、猪越が3度目のすばらしいセーブを見せ、ボールをはじいた。
今年は、亥年、「越後の猪(いのしし)」のような苗字をもつ猪越の活躍は見事であった。
19人目での決着は、本大会では史上初めてということだった。
アナウンサーが、「帝京長岡高は、この大会でPK合戦を行って勝ったことはまだありません。」なんて盛んに言っていたので、気になってしまった。
もっとも、「旭川実業は、このNACK5スタジアムで勝利したことはありません。」とも言っていたけれど…。

そして、今日の3回戦は、長崎総合科学大付属高と対戦した。
対戦相手の監督は、国見高などで17回の優勝を遂げている小嶺監督。
昨日の2回戦が初戦だった長崎総大高に比べ、前日PK戦で死闘を展開した帝京長岡高は、3戦目。
前半に先制を許したが、PKで同点に追いついたものの、後半は風下。
守備に回る時間も増えていた。
それでも、試合最終盤で勝ち越しゴールを決めて、逃げ切った。

これで、ベスト8。
今大会の帝京長岡高は、毎回勝利するたびに「史上初めて」がついてきたが、ベスト8は2回目である。
そして、新潟県のチームがベスト8に進んだのは、2年連続である。
県内で長岡は、積雪の多い地域なのに、よくぞここまで強くなったものだと感心する。

次の準々決勝に勝利すれば、学校としても新潟県のチームとしても、史上初めて、ということになる。
対戦相手は、東福岡高や前橋育英高など優勝経験が多く今回も優勝候補となっている学校を、次々と破って勝ち上がってきた、福島県代表尚志高校。
帝京長岡高には、強敵だが、勝利して新しい歴史を刻んでほしいと願っている。

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雪中熱走!第64回村上市元旦マラソン(2)

2019-01-02 14:09:13 | RUN
スタートの直前、降雪あり積雪ありの上、足元には消雪パイプの水が流れ、しかも冷たい水とシャーベットのような雪が一緒になってたまっていた。
そんな路上に立っているのに、上から降ってくるあられのような雪が背中に入り、寒さをさらに助長する。
近くにいた、県外から来たと思われるランナーたちの会話が聞こえてきた。
「埼玉では、雪が降ったら中止だったぜ。こんなに降ってんのにやるんかい!?」
…おあいにくさま。
新潟では、特にこの村上市元旦マラソンでは、雪はつきもの。
こんな雪に負けてたまるか、ですよ。

一斉にランナーが走り出すと、前のランナーからはねた水が飛んできた。
隣にいたSNさんのことなどもう気にせず(ゴメンナサイ)、前のランナーが気にならないように、走りながら急いで道の端へ移動し、悪条件の足元にひるんで走っているランナーたちを急いで抜いて行った。

抜いて行くと、当然ながらスピードが上がった。
足元が悪いながら、1kmを1分間で4分29秒で走るスピードが出た。
ちょっと速すぎるが、そんなにすごいスピードを出した覚えはない。
GPSウオッチの異常だろう、くらいに考えた。

まずは、滑らないように、ストライドを伸ばすよりも、リズムよくピッチを刻むように気をつけて走ることにした。
足元が悪くても、1km4分45秒より遅くならないことを心がけて走った。
なぜかというと、それより遅いと、目標の10kmで47分をきることはできない。
1km4分45秒×10km=47分30秒
であり、47分を切ることはできない。
1km4分42秒で10km走れないと、47分にならないのだ。
その時間で走る走力は、まだないかもしれないが、せっかく大会で10kmを走るのだから、挑戦してみたい。

走る道は、雪なのだが、レース前に通った車のわだち(轍)がついたらしく、そのわだちの上を走るランナーが多くいた。
雪の上よりわだちの上の方が、走りやすいように見えるのだ。
私も、実はそうだった。

雪の上を、滑らないようにいつもより足を上げずに、小刻みに進むように心がけた。
顔を上げると雪が顔に当たるので、目線はやや下に向けたままにした。

マラソンの10kmコースは、5kmコースを2周する。
半分の5kmを走り終えたところで、ウオッチを見ると、23分16秒。
ここまで、①4分29秒 ②4分41秒 ③4分41秒 ④4分43秒 ⑤4分50秒
悪コンディションのなかでも、よく善戦していると確認できた。
あとは、後半も同様な走りができるかどうかだ。
気合を入れ直した。

いつも家で走る時は、残り3kmになったら走るペースを上げている。
だから、残り3kmを過ぎてから腕の振りを大きく速くして、ペースを上げた。
今までハイペースで来たので、いつもほどには上げられないが、それでも一生懸命腕を振った。

最後の200mでは、水たまりをはねてがんばって走っている脇を2人に抜かれた。
めげずにスピードを緩めず、フィニッシュ!


自己新記録でゴールしたつもりだったが、時計は47分8秒。
去年よりも4秒遅くなっていた。
こんなにがんばったのに…と思いつつも、悪条件の中でも全力を尽くしたので悔いはなく、爽快感に満ちていた。
暗い雲の下であったが、心は青空だった。

いつものように温かい鮭汁をいただいてから、記録証をもらいに行くと、驚いた。
入賞できただけでなく、なんと、3位という奇跡的な順位!
60歳以上の男子は、58人のエントリーがあったのに、3番目だとは。

後で記録一覧を見ると、1・2位の2人は45分強の1秒違いなのに、そこから2分も遅いのに3位とは、ラッキー。
そのラッキーは、自分のがんばりもあるが、私よりも速いランナーが今年は出場していなかったことと、雪による寒さの厳しい条件とが生んでくれたものだ、と考える。


体育館内に戻ると、先に5kmのレースを終えた息子が、昨年より順位は下がったが、今年も入賞を果たしていた。
そして、SNさんも、私の後にゴールしたが、入賞を果たしていた。

表彰式では、賞状を読み上げてもらうほかに、メダルを副市長さんから掛けてもらった。

重みのある立派なメダルだったことで、感激はさらに増した。

1年の始まりの元旦マラソンを、このうえなくよい結果を出すことができた。
この半日だけでも、明るい初日→暗い雲・冷たい雪→足はびしょぬれ・体も雪まみれ→入賞・メダル…と、山あり谷ありだった。
きっとこんなふうに、今年も1年いろいろ浮き沈みはあるだろう。

だけど、前に進む者だけが、新しい景色を見ることができる。
2019年。いろいろあっても、とにかく、前に進もう。


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