ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

詩「こどもとおとな」(谷川俊太郎)から思い出したこと

2022-01-14 21:19:37 | 「育」業
先日、ここで書いた谷川俊太郎・小室等共著の「プロテストソング」(小室等のアルバムでは「プロテストソング2」)の中にあった詩で、「こどもとおとな」というものがあった。

こどもとおとな

きみはこども
ぼくはおとな
きみはちいさい
ぼくはおおきい
でもおなじ
いのちのおもさ

あなたはこども
わたしはおとな
あなたはよわい
わたしはつよい
でもおなじ
わらいとなみだ

きみたちこども
ぼくらはおとな
きみたちおぼえる
たいせつなこと
ぼくらはわすれる
たいせつなこと


子どもと大人では、たしかに、子どもより大人の方が大きく、強い。
3連からなるこの詩でも、2連までは大人の優位さが強調される。
大人の優位さは、3連で、ひっくり返される。
子どもたちは大切なことをどんどん覚えていくのに、大人は大切なことをどんどん忘れていく。
仮にそれが、生きるための物分かりのよさからきているとしても。
だけど、子どもだって大人だって、命の重さは同じ。
うれしいことには笑い、悲しいときには涙を流す。
同じ人間なのだから。

気をつけなくてはいけない。
大人が、子どもを見下した見方だけをしようとしていないか、を。
まして、子どもの力を伸ばしたり育てたりするのを職とした人ならば。

そんな思いから、現職時代の後半は、自分と勤務先の職員たちに求めていた。
「子ども一人一人の存在をリスペクトし、子どもの心に寄り添って、信頼関係を築く 」ことを。

指導の効果を高めるのは、子どもとの信頼関係を築けたときです。
その信頼関係を築き高めるには、子どもの心に寄り添うことができるかどうかが大きなポイントです。
「よくしよう」とする教師側の一方通行の思いだけを伝えていると、やがて子どもの心は、離れていきます。
私たちの思いを子どもに届けることより先に、子どもの思いを、もっている哀しさを、私たちが知ろうとすることの方が大切です。
そのためには、子ども一人一人の存在をリスペクトする心をもちたいものです。
子どもは、私たちにたくさんのことを教えてくれています。
私たちにリスペクトする心がなければ、子どもから学ぶことはできません。
子どもの名前を呼び捨てにするなどの行為は、見下しを表すことにほかなりません。


谷川俊太郎氏の「こどもとおとな」の詩を繰り返し読んでいたら、こんなことを自分や勤務先の職員に求めていたことを思い出したのだった。
今もそれは間違っていない、大切なことだったと思っている…。

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