今夜は、フジテレビ系の番組で、「名曲お宝音楽祭」という歌番組をやっていた。
フジテレビ系の歌番組というと、「夜のヒットスタジオ」といういい番組があった。
たくさんの歌が流れたが、思っていたとおり、「夜のヒットスタジオ」のVTRが数多く流れた。
この番組には、なかなかテレビに出ない歌手やグループが登場して、生放送で歌うことがよくあった。
毎回注目して見た、という訳ではないが、ベストテン番組に比べて目玉となる出演者が時々いたことを覚えている。
私が、「夜ヒット」でよく覚えている曲は、2つある。
1つは、吉田拓郎がライブで歌ったものをそのままアルバムに入れた「アジアの片隅で」という曲を、スタジオで全曲通して歌ったことだ。
昭和55年のあの当時、よく1曲だけを歌うために拓郎が出演したものだ、と思ったのだった。
そして、もう1曲は、伊武雅刀の「子供達を責めないで」だった。
伊武雅刀は、今でこそ俳優や声優として、低音の魅力のある声で存在感を示しているが、私がその名を知ったのは、この夜ヒットへの出演で初めてのことだった。
今から35年も前の昭和58年のことである。
その歌は、演説調でセリフばかりで構成されていると言える歌である。
「私は、子どもが嫌いです」という出だしで始まる。
私は子供が嫌いです
子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で前向きな姿勢と無いものねだり
心変わりと 出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
オジンだ 入れ歯だ カツラだと はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ
私ははっきり言って 絶壁です 絶壁です 絶壁です
努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない
人生の深みも 渋みも 何にも持っていない
そのくせ 下から見上げるようなあの態度
火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種 いつも一家の問題児
そんなお荷物みたいな そんな宅急便みたいな そんな子供達が嫌いだ
私は思うのです
この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと
大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています
…こんなふうに、言葉を重ねて歌詞は進んで行く。
今の時代では、こんな歌を歌おうものなら、あちこちから非難の火の手が上がることだろう。
ただ、この歌が出た35年前は、まだ世の中が笑ってくれる寛容さがあった。
歌は、まだ続く。
私は子供が嫌いだ ウン! 私は子供が嫌いだ
子供が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか
いいえ 子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです
身勝手で 足が臭い
ハンバーグ エビフライ カニしゅうまい
コーラ 赤いウインナー カレーライス スパゲティナポリタン
好きなものしか食べたがらない 嫌いな物にはフタをする
泣けばすむと思っている所がズルイ 何でも食う子供も嫌いだ
スクスクと背ばかり高くなり 定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が速く いつも強いものにつく
あの世間体を気にする目がいやだ
あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ
何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 何が星目がちな つぶらな瞳だ
…一般的な子どもの特徴をとらえながら、途中から言っていることが混乱してくる。
話が飛んで行くような感じ。
それがまた可笑しい。
そして、最後には…
そんな子供のために 私達おとなは 何もする必要はありませんよ
第一私達おとながそうやったところで ひとりでもお礼を言う子供がいますか
これだけ子供がいながらひとりとして 感謝する子供なんていないでしょう
だったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ
ありがとう ネ 私達おとなだけで 刹那的に生きましょう ネ
子供はきらいだ 子供は大嫌いだ
離せ 俺は大人だぞ
誰が何といおうと私は子供が嫌いだ
私は本当に子供が嫌いだ
…と叫びながら、歌が終わる。
途中からはシッチャカメッチャカに感情的になって、周囲に同意を求めながら、大人のくせに嘆きまで入れている。
原曲は、外国の曲なのだが、上記のこの詩をつけた人物が今調べてまたびっくりした。
なんと今やAKBグループの総帥、秋元康であったのだ。
へえー、と思った。
さて、35年前のあの当時の夜ヒットの伊武雅刀の映像だって、ひょっとするとYOUTUBEにあるのじゃないかな、と思って探してみると、意外にあっさりと見つかった。
すごい時代だね、今は。
この歌をそのまま歌詞を額面通りに受け取ると、とんでもない、と非難されそうだ。
だが、このシングルレコードのB面は、「パパと踊ろう」という、正反対の子どもを可愛がる父親の歌であった。
A面は確かに強烈だが、B面と合わせて出されたところに、単純な子ども批判の歌ではない「心」が込められているように思える。
子どもが少なくなっている現在、その裏にある「心」を感じ取れることが大切な事だと思うのである。
フジテレビ系の歌番組というと、「夜のヒットスタジオ」といういい番組があった。
たくさんの歌が流れたが、思っていたとおり、「夜のヒットスタジオ」のVTRが数多く流れた。
この番組には、なかなかテレビに出ない歌手やグループが登場して、生放送で歌うことがよくあった。
毎回注目して見た、という訳ではないが、ベストテン番組に比べて目玉となる出演者が時々いたことを覚えている。
私が、「夜ヒット」でよく覚えている曲は、2つある。
1つは、吉田拓郎がライブで歌ったものをそのままアルバムに入れた「アジアの片隅で」という曲を、スタジオで全曲通して歌ったことだ。
昭和55年のあの当時、よく1曲だけを歌うために拓郎が出演したものだ、と思ったのだった。
そして、もう1曲は、伊武雅刀の「子供達を責めないで」だった。
伊武雅刀は、今でこそ俳優や声優として、低音の魅力のある声で存在感を示しているが、私がその名を知ったのは、この夜ヒットへの出演で初めてのことだった。
今から35年も前の昭和58年のことである。
その歌は、演説調でセリフばかりで構成されていると言える歌である。
「私は、子どもが嫌いです」という出だしで始まる。
私は子供が嫌いです
子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で前向きな姿勢と無いものねだり
心変わりと 出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
オジンだ 入れ歯だ カツラだと はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ
私ははっきり言って 絶壁です 絶壁です 絶壁です
努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない
人生の深みも 渋みも 何にも持っていない
そのくせ 下から見上げるようなあの態度
火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種 いつも一家の問題児
そんなお荷物みたいな そんな宅急便みたいな そんな子供達が嫌いだ
私は思うのです
この世の中から子供がひとりもいなくなってくれたらと
大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています
…こんなふうに、言葉を重ねて歌詞は進んで行く。
今の時代では、こんな歌を歌おうものなら、あちこちから非難の火の手が上がることだろう。
ただ、この歌が出た35年前は、まだ世の中が笑ってくれる寛容さがあった。
歌は、まだ続く。
私は子供が嫌いだ ウン! 私は子供が嫌いだ
子供が世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか
いいえ 子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです
身勝手で 足が臭い
ハンバーグ エビフライ カニしゅうまい
コーラ 赤いウインナー カレーライス スパゲティナポリタン
好きなものしか食べたがらない 嫌いな物にはフタをする
泣けばすむと思っている所がズルイ 何でも食う子供も嫌いだ
スクスクと背ばかり高くなり 定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が速く いつも強いものにつく
あの世間体を気にする目がいやだ
あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ
何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 何が星目がちな つぶらな瞳だ
…一般的な子どもの特徴をとらえながら、途中から言っていることが混乱してくる。
話が飛んで行くような感じ。
それがまた可笑しい。
そして、最後には…
そんな子供のために 私達おとなは 何もする必要はありませんよ
第一私達おとながそうやったところで ひとりでもお礼を言う子供がいますか
これだけ子供がいながらひとりとして 感謝する子供なんていないでしょう
だったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ
ありがとう ネ 私達おとなだけで 刹那的に生きましょう ネ
子供はきらいだ 子供は大嫌いだ
離せ 俺は大人だぞ
誰が何といおうと私は子供が嫌いだ
私は本当に子供が嫌いだ
…と叫びながら、歌が終わる。
途中からはシッチャカメッチャカに感情的になって、周囲に同意を求めながら、大人のくせに嘆きまで入れている。
原曲は、外国の曲なのだが、上記のこの詩をつけた人物が今調べてまたびっくりした。
なんと今やAKBグループの総帥、秋元康であったのだ。
へえー、と思った。
さて、35年前のあの当時の夜ヒットの伊武雅刀の映像だって、ひょっとするとYOUTUBEにあるのじゃないかな、と思って探してみると、意外にあっさりと見つかった。
すごい時代だね、今は。
この歌をそのまま歌詞を額面通りに受け取ると、とんでもない、と非難されそうだ。
だが、このシングルレコードのB面は、「パパと踊ろう」という、正反対の子どもを可愛がる父親の歌であった。
A面は確かに強烈だが、B面と合わせて出されたところに、単純な子ども批判の歌ではない「心」が込められているように思える。
子どもが少なくなっている現在、その裏にある「心」を感じ取れることが大切な事だと思うのである。