燕さくらマラソン大会。
今日でなくてよかった。
今日の天気のひどいこと。
昨日以上に、気温が低い。雨が強い。風がものすごく強い。
これであの川沿いの土手道を走らされたら、ひとたまりもなかったことだろう。
…で、そのマラソン大会の出場記をつらつらと以下に書いていくことにする。
久々のレースに参加した。
レースを走るのは、去年の1月1日の村上市元旦マラソン大会以来、約1年3か月ぶり。
あの大会での出場は、10㎞だった。
この燕さくらマラソンのエントリーは、ハーフマラソン。
大会でハーフマラソンを走るのは、2019年の6月、関川マラソン大会以来なので、
およそ1年10か月ぶり。
あの頃はしっかり練習を積んでいたので、あの激坂のアップダウンであっても、1時間50分を切って走ることができた。
でも、今は違う。
体のあちこちに生じる痛みと、大雪、2か月間の仕事の忙しさなどを理由にして、前のように走っていない。
年が明けてからここまでの、毎月の情けない走行距離と回数。
1月 2回 計15km
2月 4回 計46.5km
3月 3回 計33km
4月 3回 計38km
だから、今の実力では、ハーフマラソンの距離を1時間50分で走りたくても走れないだろうなと思った。
そんなことで、2時間を切れるスピード、とりあえず1kmあたり5分30秒~6分で走れればいいのじゃないかと思ったのだった。
駐車場に着いたが、あいにくの雨はおさまらず、降り続いていた。
この駐車場になった場所は、40年前は松下電工の工場があったはずだが、今は、「パナソニック」に名前が変わっていた。
傘をさして、大河津さくら公園まで歩いていく。
その入口には、燕さくらマラソンののぼりが立てられていた。
雨の中だけど、菜の花の黄色い明るさが、気持ちを明るくしてくれた。
受付の手前で、アルコール消毒のスプレーをし、決められた場所を通って検温合格。
受付で、この1週間の体温と体調を記録した用紙を提出した。
テントの下を歩いてたどるという動線が敷かれていた。
参加賞を受け取ると、主な1つはヤクルト社のスポーツドリンク。
そうか。燕市とヤクルトスワローズがツバメつながりがあるからね。
そして、もう1つが、大きなスプーン2つ。
燕は、洋食器の生産で有名な街。
それをアピールする意味でも、よい品を参加賞にするとは、グッジョブです!
手荷物預かりも、ナンバーシールを付けた袋に荷物を入れて預けるだけでなく、テントの下の棚が林立する所で空いている場所を教えて、ランナー自身で置くようにするという面白い方法だった。
私は、ここで大きな失敗をしてしまった。
寒さに備えて、アームカバーを持ってきたのに、久々のレースの緊張からか、付けないまま荷物を預けてしまったのだ。
その失敗に気づいたのは、レース10分前までの整列に備えて場所を移動し、スタート地点に移動した後だった。
寒いからアームカバーを付けようとしたら、ポケットに入れ忘れていたのだ。
不覚であった。
指定場所に並んだのは15分前だったが、私が並ぶCグループでは、私が一番乗りだった。
しだいに人が集まってきて、時間になると、A,B,C,Dの順に1分ずつの時差スタートとなるのだった。
だから、A,Bがスタートして、Cグループの出発の時になると、目の前には誰もいないところからスタートすることになったのは、新鮮な感覚だった。
走り出すと、Cグループのメンバーとはいえ、次々と後ろから私を追い越していった。
追い越して前にいく人たちの、今日のやる気を感じた。
1kmほど走ると、堰の橋を渡った。
そして、信濃川の流れと並行して走る川堤の舗道をずっと行くのだった。
実は、最初の3kmが5分6秒、5分7秒、5分11秒。
走り出しではおさえたつもりだったが、それでもほかのランナーたちの速さと、自分でもアドレナリンがふき出したことのためか、思っていたよりかなり速い走り出しとなってしまった。
でも、今まで走ったレースでは、このくらいのラップタイムは決して速いとは言えないタイムであった。
だから、今までに比べて極端に速いわけではないからこのまま行こう、と思ってしまった。
たぶん、それが後からツケが回ってくることにつながったのだろう。(つづく)
今日でなくてよかった。
今日の天気のひどいこと。
昨日以上に、気温が低い。雨が強い。風がものすごく強い。
これであの川沿いの土手道を走らされたら、ひとたまりもなかったことだろう。
…で、そのマラソン大会の出場記をつらつらと以下に書いていくことにする。
久々のレースに参加した。
レースを走るのは、去年の1月1日の村上市元旦マラソン大会以来、約1年3か月ぶり。
あの大会での出場は、10㎞だった。
この燕さくらマラソンのエントリーは、ハーフマラソン。
大会でハーフマラソンを走るのは、2019年の6月、関川マラソン大会以来なので、
およそ1年10か月ぶり。
あの頃はしっかり練習を積んでいたので、あの激坂のアップダウンであっても、1時間50分を切って走ることができた。
でも、今は違う。
体のあちこちに生じる痛みと、大雪、2か月間の仕事の忙しさなどを理由にして、前のように走っていない。
年が明けてからここまでの、毎月の情けない走行距離と回数。
1月 2回 計15km
2月 4回 計46.5km
3月 3回 計33km
4月 3回 計38km
だから、今の実力では、ハーフマラソンの距離を1時間50分で走りたくても走れないだろうなと思った。
そんなことで、2時間を切れるスピード、とりあえず1kmあたり5分30秒~6分で走れればいいのじゃないかと思ったのだった。
駐車場に着いたが、あいにくの雨はおさまらず、降り続いていた。
この駐車場になった場所は、40年前は松下電工の工場があったはずだが、今は、「パナソニック」に名前が変わっていた。
傘をさして、大河津さくら公園まで歩いていく。
その入口には、燕さくらマラソンののぼりが立てられていた。
雨の中だけど、菜の花の黄色い明るさが、気持ちを明るくしてくれた。
受付の手前で、アルコール消毒のスプレーをし、決められた場所を通って検温合格。
受付で、この1週間の体温と体調を記録した用紙を提出した。
テントの下を歩いてたどるという動線が敷かれていた。
参加賞を受け取ると、主な1つはヤクルト社のスポーツドリンク。
そうか。燕市とヤクルトスワローズがツバメつながりがあるからね。
そして、もう1つが、大きなスプーン2つ。
燕は、洋食器の生産で有名な街。
それをアピールする意味でも、よい品を参加賞にするとは、グッジョブです!
手荷物預かりも、ナンバーシールを付けた袋に荷物を入れて預けるだけでなく、テントの下の棚が林立する所で空いている場所を教えて、ランナー自身で置くようにするという面白い方法だった。
私は、ここで大きな失敗をしてしまった。
寒さに備えて、アームカバーを持ってきたのに、久々のレースの緊張からか、付けないまま荷物を預けてしまったのだ。
その失敗に気づいたのは、レース10分前までの整列に備えて場所を移動し、スタート地点に移動した後だった。
寒いからアームカバーを付けようとしたら、ポケットに入れ忘れていたのだ。
不覚であった。
指定場所に並んだのは15分前だったが、私が並ぶCグループでは、私が一番乗りだった。
しだいに人が集まってきて、時間になると、A,B,C,Dの順に1分ずつの時差スタートとなるのだった。
だから、A,Bがスタートして、Cグループの出発の時になると、目の前には誰もいないところからスタートすることになったのは、新鮮な感覚だった。
走り出すと、Cグループのメンバーとはいえ、次々と後ろから私を追い越していった。
追い越して前にいく人たちの、今日のやる気を感じた。
1kmほど走ると、堰の橋を渡った。
そして、信濃川の流れと並行して走る川堤の舗道をずっと行くのだった。
実は、最初の3kmが5分6秒、5分7秒、5分11秒。
走り出しではおさえたつもりだったが、それでもほかのランナーたちの速さと、自分でもアドレナリンがふき出したことのためか、思っていたよりかなり速い走り出しとなってしまった。
でも、今まで走ったレースでは、このくらいのラップタイムは決して速いとは言えないタイムであった。
だから、今までに比べて極端に速いわけではないからこのまま行こう、と思ってしまった。
たぶん、それが後からツケが回ってくることにつながったのだろう。(つづく)