ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

「55歳からのハローライフ」

2011-12-13 21:23:09 | 生き方
徳島新聞や愛媛新聞、静岡新聞や当地の新潟日報など…。
今日から、全国の地方新聞で、一斉に村上龍氏の小説の連載が始まった。
その小説の名は、「55歳からのハローライフ」。

この当地の地方新聞、新潟日報では、朝日新聞なら「天声人語」にあたるコラムに、「日報抄」というのがある。
今朝は、日報抄は、このことにかかわってのものだった。

 村上龍さんの連載小説「55歳からのハローライフ」が、きょうから本紙朝刊で始まった。「どんな展開になるのだろう」。職場でも話題になった
▼「55歳、つまり初老に差し掛かった人たちが主人公で…」。担当者から仕入れた知識を披露する。すると「異議あり」の声が続いた。見回せば、まさにその年代の同僚たちが口をとがらせている
▼初老とは一体何歳を指すのだろうか。辞書には「老人の域に入り掛けた年頃」とある。さらに「40歳の異称」という記述に目が留まった。しかし、寿命が延びた現代の感覚からすれば、40代はもちろん、50代でも初老とされることに違和感を持つ向きが多いのではないか
▼戦後間もない1947年、男性の平均寿命は50・06歳だった。56年には石川達三の小説「四十八歳の抵抗」が出版された。55歳定年が普通だった時代である。会社員人生の終わりを意識した男の微妙な心理を描き、流行語となった。当時なら、「40歳=初老」という考え方は不自然ではなかったかもしれない
▼数えで42歳の男の厄払いを「初老祝い」と呼ぶ地域が残っている。金沢市がその代表格だ。地元菓子店によれば、神社でお払いを受け、紅白の餅を知人らに配る。人生80年時代の今なら、残りの半生の無事を祈る意味合いも込められていよう
▼20代のころ、50代が落ち着いて見えた。ところが、いざその年齢になると、じたばたとすることが多い。が、喜んだり悲しんだりも悪くない。幾つになっても、未知との出合いに満ちた人生、「ハローライフ」を送りたい。
新潟日報2011年12月13日
..

日報抄では、戦後間もない1947年の男性の平均寿命は、50.06歳だったことを紹介している。
なるほど、「人生50年」なら、40歳になれば「初老」とも考えられるだろう。
1947年の20年くらい後の頃でも、自分はまだ子どもだったのだが、「55歳」くらいの人々は、確かに「初老」、というより「中老」に近い気さえしたものだ。
私の父方の祖父は、確か60代で亡くなっていたはずだ。
父自身は、56歳で突然亡くなっている。
確かに、時代が変わったのだな。
高齢化社会になるわけだ。

日報抄は、次のように結んでいる。

 20代のころ、50代が落ち着いて見えた。
ところが、いざその年齢になると、じたばたとすることが多い。
が、喜んだり悲しんだりも悪くない。
幾つになっても、未知との出合いに満ちた人生、「ハローライフ」を送りたい。

そうなのだ。
いまだ落ち着いていないのだ。
じたばたしている。
でも、それが自分なのだ、仕方がない。
そう思いながら、過ごすことにしている。

「55歳からのハローライフ」
新聞小説も、自分の生活も、これからどのように展開していくのかを楽しみにしながら、毎日を過ごしていきたい。
コメント
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