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ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

このごろ「くらし」(小林倫博)という曲が自分の脳内を巡る

2024-05-05 19:52:43 | うた

このところ、自分の体調不良や、若いころから今まで影響を受けたたくさんの有名人の訃報などから、「生きる・死ぬ」ということについて、考える機会も多くなった。

今まで出会った人とのことをいろいろと考えたりする中で、やはり結論は命には限りがあるのということも思う。

 

学生時代に好きだったミュージシャンに小林倫博氏がいる、とはだいぶ前にこのブログに書いたことがあった。

 

小林倫博氏の歌が好きだった - ON  MY  WAY

古いレコードの山の中でも、廃盤になってしまってCDとしての復活もなく、とても残念だったのが、小林倫博氏の曲だった。氏は、鹿児島県出身で、東京の美大を卒業している...

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特に、彼のデビューアルバム「第一印象」が大好きだった。

11曲入ったその1stアルバムの最後の曲に「くらし」というのがあった。

近ごろ、この曲が自分の頭の中でよく流れるのだ。

どんな歌かというと、こんな歌詞の歌だ。

 

   くらし  詞・曲 小林倫博

思い出が一つ消える 月日のせいにする

別れて行ってしまえば なつかしいだけの人

悲しみいっぱい 喜びいっぱい

頭に飾り付け 体で支え くらしていくさ

自分を責めぬよう

 

みんな死ぬ、君も死ぬ 父も母もみんな

ホントに何も 何も残らない

生まれて生きるってこと

 

さみしさはいつも背中にある

風が吹き抜ける

腕伸ばし抑えくらしていくさ 寒くないよう

 

自分がいる 人がいる

季節と時節がある

止めるもの 貧しいもの

暮らしと夢が 

 

両手広げても 飛べはしないよ「

失くすだけだよ

黙り込んでいても 誰一人 救われないよ

いつも笑っていては 君に会ってもつらくなるだけ

いつまでも僕を 疑っていておくれ

それが本当のこと

 

逃げていたって 流れはいつも追いかけてくるさ

言葉はいつも一人ぼっちの首を絞めるさ

さみしさはいつも背中にある

風が吹き抜ける

腕伸ばし抑えくらしていくさ 一人なんだよ

 

…とまあ、こんな歌。

若かった学生時代には、自分だけが一人ぼっちであるような感覚がよくあった。

だから、少しでも自分をわかってくれる人を求めていたような気がする。

それでも、最後に部分に「一人なんだよ」と歌われることによって、最終的には誰でも一人であることを認識させられた。

一人で生きていくという決意をさせてもらえたような気がした。

 

さて、最近この歌が頭の中で流れるのだが、その流れるフレーズは、

みんな死ぬ、君も死ぬ 父も母もみんな

ホントに何も 何も残らない

生まれて生きるってこと

という部分。

みんな死んでしまって何も残らない、なんて歌う人は、当時なかなかいなかったように思うが、それにもまして今になり感じることも多い。。

 

すでに私の父も母も、皆亡くなっている。

歌のとおりになってしまって久しい。

そして今、生まれてきて生きてきて、高齢者の身になって、人生本当に何も残らないのだなあ、ということを結構実感するときがあるのだ。

それでも、自分なりに生きてきた跡があり、その跡のことは自分にしか分からない。

だから、ほかの人には分かってもらえなくても、そうやって生きて命が亡くなるまで生きよう。

さみしさはいつも背中にある

風が吹き抜ける

腕伸ばし抑えくらしていくさ 一人なんだよ

この歌のとおりなのだ。

 

なお、この曲は作者の小林倫博氏が、氏のブログで聴けるように公開している。

1stアルバム(第一印象」)の最後、11番目の「くらし」をポチッとクリックすると、曲を聴くことができます。

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日報抄に、浜田省吾の「アジアの風 青空 祈り part2 青空」の歌

2024-03-11 18:04:29 | うた

昨日も少しふれたが、今日で東日本大震災からもう13年になる。

今日の新潟日報紙の日報抄は、浜田省吾の「アジアの風 青空 祈り part2 青空」の歌を取り上げていた。

その歌の一節には、

氷雨降る早春の午後

押し寄せる高波に砕けた未来

という部分がある。

その一節の前には、

透き通る真夏の青空を

切り裂いた白い光 黒い雨

あれはいつ?

という詞がある。

 

この歌の盛り上がりでは、

あまりに多く血が流された

とてつもない悲しみが襲った

あまりに尊い犠牲払った

充分過ぎるくらい学んだ…違うか?

と歌い上げる。

戦争と原爆、東日本大震災の津波・原発被害が歌われ、おごれる権力者たちの愚行を訴える。

 

日報抄の文章では、浜田省吾(以下、浜省)が広島出身で原発や原爆を取り上げた曲もいくつかあることにもふれながら、大震災による津波で多くの死傷者が出たことや、東京電力福島第1原発の事故で多くの人が被ばくを避けるために故郷を追われたことなども書かれていた。

13年前に原発事故の恐ろしさも思い知ったはずなのに、国は原発を積極的に活用する方針に転換した。

そしてまた、能登地震が起こり、原発事故に対する不安が改めて鮮明になった。

浜省は、「充分過ぎるくらい学んだ…違うか?」と叫ぶように歌っているのが切ない。

そのような内容が書いてあった。

 

そうか。

この日報抄の執筆者も浜省のファンだったのか、と思った。

この曲は、2015年に発表されたアルバム「旅するソングライター」に収録されている。

15のタイトル曲があるが、その中で、14番目が「アジアの風 青空 祈り」で、それは

「アジアの風 青空 祈り part1 風」

「アジアの風 青空 祈り part2 青空」

「アジアの風 青空 祈り part3 祈り」

という3部構成になっている。

日報抄に取り上げられたのは、2つ目の曲だった。

アルバムの中の1曲なんて、ファンでもなければ知らないだろう。

しかも、筆者は、毎年今頃になると、この歌詞が頭に浮かぶのだそうだから、よく聴き込んでいると分かる。

 

さて、浜省は、為政者を糾弾するためだけにこういう歌を歌っているのではないだろう。

そのベクトルは、自分にも、向けられているのが、他の曲を聴いていると分かる。

 

その前のアルバム「僕と彼女と週末に」

で、そのタイトル曲では、

この星が何処へ行こうとしてるのか もう誰にもわからない

権力と権力のSee-Saw=Gameから降りることさえ出来ない

と歌い出すが、後半では、

いつか子供達にこの時代を伝えたい

どんなふうに人が希望をつないできたか

君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で

愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か

君を守りたい ただひとりの 君を守りたい この手で

愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい 今こそ

…と自分の決意を繰り返し歌っているのだ。

困難な状況に陥っても、自分は、希望をつないで生きていくぞ、と。

人としての愛を信じて生きていくぞ、と。

この力強さが浜省の歌の魅力でもある。

 

件の日報抄は、最後に、

浜田さんの歌声が切ない。まだまだ学ばねばならないのか。

という文章で締めくくられている。

権力のある人たちも、市井の私たちも、学ばねばならぬことがたくさんあることを常に忘れてはいけない。

単に自然災害の恐ろしさを思うだけでなく、3月11日は、確かにそんな意識をする必要のある日だ。

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「大雪のあとで」という古井戸の歌を思い出す

2024-02-06 20:46:17 | うた

昨日から今日にかけて、関東方面での「大雪」のニュースがかけめぐった。

各局とも、いかに雪の影響が大きいかということを映像で見せていた。

 

東京で大雪、というニュースを聞くと、学生時代に聴いた曲で思い出すものがある。

1つは、「22歳の別れ」などのヒット曲があった「風」の曲。

伊勢正三が作詞・作曲した「そんな暮らしの中で」という曲の中の一節だ。

2センチ足らずの雪が

科学の街 東京を

一日でぬりかえる

その変わらぬ雪の色に

人は何を思うのだろう

変わりゆくこの日々に

 

寒さの中に

かくれているのは

暖かさなのだから

 

2センチ足らずの雪が 科学の街 東京を 一日でぬりかえる

というところに、雪になれていない人たちのバタバタする姿を感じたものだ。

実際に目の前で見ていて、新潟県人としては、この程度の雪であわてるなよ、こっけいじゃないか、と思ったものだった。

 

2つ目の曲は、古井戸の「大雪のあとで」という曲。

自分が初めて聴いたのは、エレックレコードから出ていた「第1回唄の市」というアルバムの中に入っていた曲だ。

まだ古井戸は、デビュー前だったらしいが、ここにはステージで歌った曲が2曲収録されている。

1曲目が「花言葉」という曲で、2曲目が「大雪のあとで」という曲になる。

ステージでは、「花言葉」を歌った後、詩の朗読があるのだ。

何という詩かはわからないが、加奈崎芳太郎が「花言葉」を歌った後、「大雪のあとで」に入る前に、仲井戸麗市が詩を朗読する。

これがまた、とてもよかったのだ。

若い頃、初めて聴いて、ジーンとしてしまった。

 

誰かさんとの一年間

百貨店の包装紙に走り書き

「アルゼンチン大使館前 午前6時30分 待合せ」

 

3時間半の待ちぼうけ

一方通行の分厚い手紙 30通

便りのないのは よい便り

でも 頼りないのは僕だったね

 

横須賀線 片道230円の切符を買って

北鎌倉駅下車 由比ガ浜で貝拾い

逗子までとぼとぼ歩き いつの間にか雪になる

 

手袋のない手で 精一杯の粉雪かき集め

ひと言ふた言ひとり言

 

30男に唾を吐き 40男に唾を吐き

大金持ち気取りの50男を横目で流し

二十歳でため息まじりのつぶやきひとつ

 

「私とあなたはこれからもお友達でいようよ」

 冗談じゃねえよ

 

誰かさんとの一年間

百貨店の包装紙に走り書き

 

一週間我慢して 我慢しきれなくなった8日目の朝

408-7937へ 408-7937へ

居留守 居留守

 

「アルゼンチン大使館前 午前6時30分 待合せ」

 

10本100円で摘んできた人工お花畑の花束抱えて

あさって君に会えますか

あさって君に会えますか

 

会ってさよならが言えますか

 

 

詩の後ろでに流れる「さよなら さよなら」のくり返しが切なさをつのらせていき、ギターのソロが寂しく響く。

そして、2曲目の「大雪のあとで」が始まる。

十年ぶりの大雪が積もって

僕の体はすっぽりと埋もれた

アルバムでは、感動的な2曲が終わると、万雷の拍手が起こっていたのが収録されていた。

 

東京方面が「大雪」と聞くと、今でもこの古井戸の曲を思い出してしまう。

ちょっと検索してみたら、YOUTUBEでこの曲がアップされているのを知った。

あまりいい録音状態とは言えないが、関心のある人は、「花言葉」、詩の朗読、「大雪のあとで」ひっくるめて聴いてほしいな。

 

私は、レコードで持っていたのだが、10年余り前、ブックオフでCD化された「唄の市」が安売りされていたのを見かけて、思わずこれも購入してしまった。

 

さて、大雪のあとで、実際に怖いのは冷え込んで路上にとけた雪が凍って滑ることだ。

どうか、そちら方面の皆様、お気をつけくださいね。

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「ザ・カセットテープ・ミュージック」~「浜田省吾について」~を見た

2024-01-29 21:22:37 | うた

最近のテレビ放送は、スポーツ中継以外、これは見てみたいと思う番組があまりない。

夜など、地上波はバラエティばっかりだし、BSもドラマの再放送や懐メロとなってしまった歌番組ばかりで、食傷気味。

 

そんななかで、珍しく、放送があれば見たいなと思う番組がある。

BS12トゥエルビの番組で、このチャンネルはほとんど見ないのだが、これだけは別である。

それは、日曜夜9時30分からの「ザ・カセットテープ・ミュージック」という30分番組である。

 

ザ・カセットテープ・ミュージック | 音楽番組(演歌・歌謡) | BS無料放送ならBS12(トゥエルビ)

80年代にカセットテープで聴いていたあの名曲。マキタスポーツとスージー鈴木の「音楽ずきおじさん」が独断で熱く語ります。

BS12トゥエルビ

 

紹介文は、

「80年代にカセットテープで聴いていたあの名曲。マキタスポーツとスージー鈴木の「音楽ずきおじさん」が独断で熱く語ります。

そう。この番組を気に入っているのは、音楽番組なんだけど扱うのが今日的な音楽ではなく、カセットテープで音楽を聴いていた時代つまり80年代の曲が中心なのが、理由の一つである。

2017年の秋から始まったということだが、何度か番組が終わったり再放送を繰り返したりしている。

とにかく、扱う曲は自分がよく知っているかつての時代のもので、その曲たちをマキタスポーツとスージー鈴木が、自分たちの独特な(独断的な)音楽の視点から分析していくので、見ていて(聴いていて)、非常に面白い。

 

昨日の夜は、「浜田省吾について」だった。

浜田省吾は、私が好きなアーティストである。

今回の番組では、マキタスポーツが浜田省吾の曲について、独自の分析をしていて楽しかった。

1つ目の視点は、メロディーライン。

歌い方に「ミファミレド」がよく使われているというのだ。

「愛という名のもとに」や「風を感じて」などを紹介しながら、歌じりに「ミレド~」が入り、こぶしのように歌うのが特徴的だというのだ。

そこにスージー鈴木が突っ込んで、単純に「ミファミレド」ではなく「ミファミレミレド」と歌っているなどとより正確にからんでいたのが、さすが音楽評論家と思った。

 

2つ目の視点は、浜田省吾の歌は、歌詞の発音が日本語も英語も大事にしてうたっているということ。

日本人のロックには、英文交じりの歌詞が多い。

そこを、サザンの桑田や他のアーティストは巻き舌風に歌うのが一般的だ。

だが、浜田省吾は、歌詞の日本語の部分ははっきりした音で歌っているし、英語の部分はしっかりと英語的な発音で歌っていると、マキタスポーツは指摘していた。

ああ、なるほど、確かにそうだ。

今まで自分では気づかなかったが、巻き舌風に歌うのではないから、浜田省吾の歌は聴きやすくていいと思っていたことは確かだ。

マキタスポーツは、浜田省吾には、日本語で正しく伝えたいという気持ちがあるのではないか、と言っていた。

そして、日本語も英語の音韻も大事にしたいというのだろうという意見に、なるほどと合点した。

 

3つ目の指摘は、浜田省吾の根底にある音楽的なもののことだ。

マキタスポーツは、浜田省吾の音楽は、無意識にだろうけど、アメリカ系の白人音楽の影響が強く表れていると言っていた。

具体的に言えば、それはアメリカのブルーグラスやカントリーの歌だと指摘していた。

その証拠として、1970年代のジャクソン・ブラウンの曲などを披露して聴かせていた。

ああ、なるほど、この曲調はよく似ていると思って聴いた。

 

見ていて、「へえ~」と思う、新たな浜田省吾の歌についての発見(?)だった。

マキタが悪乗りして「ハマショウ月」なんて「お正月」の替え歌を浜田省吾風に歌うのも、この番組ならではの楽しいところではあった。

 

それはともかく、この番組は真面目に見る必要はないのだが、毎回視点がユニークだ。

毎週ではなく、月に2回くらいの放送のようだが、見逃し配信はTVerでやっているというので、興味のある方は「ザ・カセットテープ・ミュージック」のホームページからどうぞ。

 

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「はじめての」(島本理生、辻村深月、宮部みゆき、森絵都著;水鈴社)を読んだ後、YOASOBIの楽曲を聴く

2024-01-19 20:29:16 | うた

最近の歌で、聴いていて心地いいのは、YOASOBIの歌。

「夜に駆ける」がヒットしたときには、上がり下がりがあって早口で、ずいぶん歌いにくい歌だなあとか思ったりしたが、「もう少しだけ」が「めざましテレビ」のテーマソングとして流されていた頃から、気持ちよく聴けるようになった。

以降、ダウンロードやCDによって、YOASOBIの曲を購入して聴くようになった。

 

彼らは、去年は「アイドル」を大ヒットさせた。

そんなYOASOBIの特集番組として、去年5月にNHKの番組で、「MUSIC SPECIAL YOASOBI ~小説を音楽にする魔法~」という放送があった。

その番組では、「『はじめての』プロジェクト」というYOASOBIが取り組んだプロジェクトを紹介した。

YOASOBIは、「小説を音楽にするユニット」として、小説から歌詞やメロディを生み出し、音楽を作り上げてきている。

この「はじめての」プロジェクトは、4人の直木賞作家に小説を依頼し、書き上がった作品を原作として4曲の新曲を生み出すというものだった。

その番組では、新たな小説を書き下ろした4人の作家 島本理生、辻村深月、宮部みゆき、森絵都と、YOASOBIのメンバーが一人あるいは二人で対談し、小説にこめた作家の思いを知ったり、そのストーリーをもとにYOASOBIがどのように曲としての表現を生み出していったりしたのかを明らかにしていた。

 

その番組を見てから、「はじめての」プロジェクトで作られた4曲をダウンロードして、何度か聴いたのだった。

作家たちの小説を、どれもAyaseが作詞作曲し、ikuraが歌って表現する。

なかなか見事なものだと思った。

曲は聴いたけれども、4つの小説はまだ読んだことがなかった。

このたび、図書館から単行本で「はじめての」(島本理生、辻村深月、宮部みゆき、森絵都著;水鈴社)を借りて読むことができた。

 

「はじめての」というだけあって、1つ1つの作品に、どういうときに読む物語なのか書いてあった。

 

★「『私だけの所有者』――はじめて人を好きになったときに読む物語」(島本理生)

➡「ミスター」(YOASOBI)

★「『ユーレイ』――はじめて家出したときに読む物語」(辻村深月)

➡「海のまにまに」(YOASOBI) 

★「『色違いのトランプ』――はじめて容疑者になったときに読む物語」(宮部みゆき)

➡「セブンティーン」(YOASOBI)
★「『ヒカリノタネ』――はじめて告白したときに読む物語」(森絵都)

➡「好きだ」(YOASOBI)

島本氏の「私だけの所有者」に「初めて好きになったときに読む物語」とあったり、森氏の「ヒカリノタネ」に「はじめて告白したときに読む物語」とあったりするのは、なんだか笑みがもれる。

だが、辻村氏の「ユーレイ」は、「はじめて家出したときに読む物語」……、ん?家出?家出って、そんなにするものか!??

まだそこまでは笑えるけれど、宮部氏の「色違いのトランプ」は、「はじめて容疑者になったときに読む物語」とある。

おいおい、容疑者になることってあるのかい?

しかも「はじめて」って、2回も3回も容疑者になるのか?と、そこを見ただけでも笑ってしまった。

作品には、SF的な物語やその要素を含むような物語もあった。

それぞれ短編小説で、フィクションであるから、まあどんな内容でもよいのだけどね。

 

1つ1つの作品についての感想を述べるのはしないでおく。

だけど、それぞれの物語を読んでから、YOASOBIの作った歌を聴くと、「へえ~、うまいものだ」「音楽化できるなんてすごいな」と感心した。

4曲とも曲調にそれぞれ工夫があり、また小説を読んでいるからこそわかる詞がついている。

よくもまあ、これだけの曲を作るものだと、コンポーザーのAyaseに感嘆した。

そして、それを表現して歌い上げるボーカルのIkuraに感心した。

 

これらの曲は、概して3分から4分のものなのだが、それぞれミュージックビデオもある。

それらは、どれもYOASOBIの歌声とともにアニメーションの映像が流れている。

YOUTUBEで、それぞれの作品映像を見ながら、楽曲を聴いた。

作品によって、小説の物語を追うアニメのスタイルにも変化があって、見ていて面白かった。

小説や歌のイメージを壊していないのだ。

これはいい。

これは最高だ。

 

私の場合、①楽曲→②小説→③ミュージックビデオの順番で作品を味わうことになったが、こういう楽しみ方ができるのは楽しい。

これができるのは、YOASOBIだからこそだ。

読書をしながら、彼らのもっている力に改めて感心した。

YOASOBIは、間違いなく新たな型をもった表現者なのだということを強く認識したのであった。

 

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年が明けてから紅白歌合戦を楽しんだ

2024-01-08 22:08:26 | うた

元旦マラソンに出なくなってから、NHK紅白歌合戦をまた久しぶりに見るようになった。

元旦マラソンに出場するためには、朝早く起きて元旦の朝にやるべきことをやった後、朝早く出発しなければならないから、大晦日は早く休むようにしていた。

だから、紅白は、あまり見ないで寝ていたのであった。

COVID-19感染症によって大会が中止されて、紅白を見る時間的余裕が生まれた。

だが、夜更かしするほど体力はなく、最後まで見ないで寝てしまうのであった。

まあ、それほど興味がないから、というのもある。

昭和の時代から平成の時代に活躍した歌い手の皆さんが、ぞろぞろと紅白を「卒業」していってしまったし、見たい聴きたいと思う人やグループもいない。

なのに、なぜか今回は全部を見てみるか、という気になって、予約録画した。

 

先日、今回の紅白の放送で、関東地区平均世帯視聴率は、第1部(19時20分~20時55分)が29.0%、第2部(21時~23時45分)が31.9%だったと発表された。

’89年以降、第1部は初の30%割れ、第2部は過去最低だった’21年の34.3%を大きく下回り、第1部・第2部ともに過去最低を記録したのだそうだ。

毎年のことだが、視聴率が落ちていることを問題視してなんだかんだ言う人たちがたくさんいる。

ジャニーズ系の人々が出なかったせいだとか、中高年には見るべきものがない、などとか低視聴率を問題にしている。

受信料を収めているのに、あんなにつまらないものを見せられるのは心外だ、なんて言う人もいる。

 

そんなの、どうでもいいじゃないか。

見たい人が見ればいいのだ。

今の時代は、誰もがテレビを見て過ごす時代と違うのだ。

どの番組でも高視聴率なんて期待できない。

映像なら、YOUTUBEなどネットを利用して見る人もたくさんいることだろう。

見る見ないは、個人の自由。

だから、見て何を言うかも自由ではあると思う。

だけど、いろいろな工夫について見つけて楽しむのがいいと思うのだ。

失敗したりうまくいかなかったりするのは、もちろんあるさ。人間だもの。

そんなハプニングも楽しむことでいいと思うのだ。

 

私は、年が明けてからVTR再生し、自分が興味あるところを中心に、何回かに分けてしっかり見た。

今回、とても楽しく見た。

ジャニーズ系が出ない分、K-POPのグループがたくさん出ていた。

それを面白く思わない人もいたようだけど、今や全米のヒットチャートを席巻しているのはK-POPであり、それがいかにすごいのかを改めて思わせてくれた。

その人たちが、YOASOBIの「アイドル」の曲に合わせて踊るのも見応えがあった。

水森かおりの「日向岬」の歌に合わせたドミノの成功も素晴らしかった。

 

歌合戦なのだから、歌を楽しめるかが一番問題なのだけど、われわれ世代でも懐かしく思える歌にも会えた。

ウクライナの楽器に合わせた石川さゆりの「津軽海峡冬景色」。

「全キャン連」を思い出させる観衆の声の中で、伊藤蘭が歌った、懐かしきキャンディーズ・メドレー「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」。

山口百恵が歌った、さだまさしの「秋桜」。

谷村新司のことも、ちょっと口に出していたことに、ほろっときた。

黒柳徹子を迎え、かつての「ザ・ベストテン」を思い出させる、寺尾聰の「ルビーの指輪」と薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」。

この辺りは、われわれの世代をねらっていたな、と自然と笑みがもれた。

また、YOSHIKIが仲間を集めて歌った「Rusty Nail」には、HYDE、清春、松岡充、難波彰浩らの顔ぶれが見られたのも、楽しかった。

かつて、X JAPANがこの曲を歌っていた四半世紀前、気に入っていてよく聴いたものだった。

 

…と、こんなふうに自分が楽しめるところを楽しむことが大事なのだ。

そういう機会を提供してくれる特番が、紅白歌合戦であって、好きな歌や盛り上げる工夫に出会えたらそこを喜ぶ。

変な期待はせずに、他の番組同様に面白ければ見るし、つまらなければ見ない。

これでいいんじゃないかな。

そう思いながら、年が明けてからゆっくり楽しんだ紅白歌合戦であった。

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歌声はのこる…

2023-12-02 20:48:16 | うた

先日、デジタル音源をもとにして、次のような曲集を作った。

①坂井泉水(ZARD)「揺れる思い」

②森田童子「ぼくたちの失敗」

③中村貴之(NSP)「始発電車」

④もんたよしのり(もんた&ブラザーズ)「DESIRE」

⑤大橋純子「たそがれmy love」

⑥加藤和彦(・北山修)「あの素晴らしい愛をもう一度」

⑦村下孝蔵「ゆうこ」

⑧河島英五「時代おくれ」

⑨りりィ「オレンジ村から春へ」

⑩天野滋(NSP)「お休みの風景」

⑪谷村新司「陽はまた昇る」

⑫松原みき「真夜中のドア」

⑬新井満「ワインカラーのときめき」

⑭須藤薫「セカンドラブ」

⑮尾崎豊「I LOVE YOU」

⑯忌野清志郎(RCサクセション)「SUMMER TOUR」

⑰鈴木ヒロミツ(モップス)「晴れ時々にわか雨」

⑱大塚博堂「めぐり逢い紡いで」

⑲大瀧詠一「幸せな結末」

⑳冨所正一「お前まだ春らかや」

 

この歌い手たちの名前を見ると、どういう曲集を作ったかは、一目瞭然ですな。

そう。故人となってしまった人たちが歌っていた曲集なのだ。

曲集を作るときには、一番のヒット曲だけにしようかと思ったのだが、ベストヒットだと聴き飽きるくらい聴いたものもある。

そこで、2番目に好きな曲を入れたものも多い。

ZARDなら「負けないで」だろうけど、「揺れる想い」。

もんた&ブラザーズなら、「ダンシングオールナイト」でなく「DESIRE」。

村下孝蔵は、「初恋」のところ、「ゆうこ」。

RCサクセションは、「雨上がりの夜空に」を「SUMMER TOUR」に。

りりィは、「私は泣いています」でなく、明るい「オレンジ村から春へ」がいい。

NSPの天野滋は、「夕暮れどきはさびしそう」でなく、なんとなく「お休みの風景」がいい。

モップスは、「たどりついたらいつも雨ふり」だろうけど、「晴れ時々にわか雨」。

そんなふうに違う選曲をした。

 

ところで、最後の冨所正一については、知らない人が多いはず。

彼は、新潟県人で、デビュー前に自ら川に身を投げてしまったのだった。

それについては、また機会があるときに綴ってみたいと思うが、「お前まだ春らかや」を知らない人は「YOUTUBE」で聴くことができるので、検索して聴いてくださいな。

 

しまった!⤵

編集が終わった後、かまやつひろしの「どうにかなるさ」や山本コータロー(ウイークエンド)の「カリフォルニアドリーム」なども入れようと思っていたのに、忘れていたことに気づいた。

 

それにしても、歌う人が亡くなってしまっても、歌声は残るのだなあ、とある種の感慨にふけってしまった。

自分がこれらの人々の曲を好んで聴いて、ある時は元気づけてもらい、ある時はなぐさめてもらい、ある時は夢を抱かせてもらいしながら生きてきたのだと、自分の人生を振り返り想う。

歌い手の皆さんに感謝しながら、これからものこされた歌声を聴いていきたい。

 

先日、自分で編集して曲集を作っている間に、また新たに「愛は勝つ」のKANの訃報が届いた。

うーん。まだ若いのになあ…。

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サザンカ~童謡「たきび」からSEKAI NO OWARIの「サザンカ」へ 歌の連想~

2023-11-19 11:08:41 | うた

新潟のわが家でも、

埼玉の家でも、

道路に面しているところで、この時期に花をつけたのがこの木。

ご存じ、サザンカの花。

赤や白、ピンク、そしてそれらが混じったものなど、いろいろな色の花がある。

わが家でも埼玉でも咲いているのは、ピンクの花だ。

 

埼玉では、まだ陽射しが暖かいから、いろいろと咲いている花は多いが、新潟ではこの花の少なく寒い時期によく咲くものだと思う。

けなげだなあ、と思う。

 

花を見ると、童謡の「たきび」の2番にはサザンカが出てきているよなあ、といつも思う。

 

さざんか さざんか さいたみち

たきびだ たきびだ おちばたき

あたろうか あたろうよ

しもやけ おててが もうかゆい

 

寒風に負けずに咲いているサザンカと、寒さでしもやけができてもがんばって生きている子どもの風景が目に浮かぶ。

覚えやすいメロディーと、たき火のほんわかとした温かさが伝わってくるような歌。

子どもの頃に聴いたよりも、今の方がいい歌だなあ、と思ったりする。

 

そういえば、5年ほど前、SEKAI NO OWARIが、平昌オリンピックのNHKテーマソングとして「サザンカ」といういい曲を歌っていたなあ、と思い出した。

 

夢を追う君へ

思い出して つまずいたなら

いつだって物語の主人公は笑われる方だ

人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ

 

スポーツ選手に対する曲、というよりも、ごく普通の日常生活を送っている人々に対して、優しく励ます応援ソングのように感じるものだった。

 

だけど、「サザンカ」というこの曲の詩を全部読み返してみても、どこにも「サザンカ」という言葉は出てこない。

あれ?と思って、いろいろのぞいてみた。

 

そうしたら、どうやらサザンカのもつ花言葉から来ているらしい。

 

サザンカの花言葉は「ひたむきな愛」「ひたむきさ」「理想の恋」「困難に打ち勝つ」です。ほかの草花が枯れてしまう時期に花をつけることから、このような花言葉がついたとされています。

 

なるほど。

この曲名は、きっと花言葉の「困難に打ち勝つ」から付けられたものなのだろうなと勝手に解釈した。

 

参考までに、白のサザンカの花言葉は「愛嬌」「あなたは私の愛を退ける」。

赤の花言葉は「謙譲」「あなたがもっとも美しい」。

ピンクのサザンカの花言葉は「永遠の愛」「素直」。

などとなっているそうだ。

意外に愛情に絡んだ花言葉が多い。

 

そう考えると、SEKAI NO OWARIの「サザンカ」は、打ちひしがれている人をなぐさめるだけの歌じゃなくて、

いつも見守っているから元気を出してね

ぼくはそんな君のことがずっと好きなんだよ

そんな意味もあるのかな、なんて考えたりしたのだった。

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線香花火をすると、すぐに歌詞とメロディが浮かんでくる~NSP「線香花火」~

2023-09-19 20:34:33 | うた

新潟は少しは涼しかったようだが、埼玉は今日も猛暑日。

そんな中、毎月恒例の除草作業を、午前中と夕方の2回行った。

昨夜は夜になっても暑かったが、今夜はいくらかましだ。

そこで、今年最初で最後?の線香花火をした。

線香花火をするとき、必ず頭に浮かぶ歌。

それがNSPの「線香花火」。

天野くんの歌声がよみがえってくる。

 

はじっこつまむと 線香花火

ペタンとしゃがんで パチパチ燃やす

このごろの花火はすぐに落ちる

そうぼやいて きみは火をつける

 

今でも、すらすらっと歌詞が出てくる。

 

この歌の中には、

 

きみの目の中で光っているんだ

こっちの方が本物よりステキさ

 

なんて表現もあった。

それこそステキだった。

 

はかない線香花火にも似た、若い二人の恋。

少し先の将来がどうなるかわからないゆえの不安…。

そんな気持ちが伝わってくる。

それは、歌の最後にも歌われている。

 

パチパチ光る線香花火

来年も二人でできるといいのにね

 

 

なんだか今でもキュンとするなあ…。

 

 

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8月6日。ジョルジュ・ムスタキの「ヒロシマ」を聴く

2023-08-06 21:40:40 | うた

8月6日。

広島に原爆が投下された日。

今日は、それから78年となる。

広島では、平和記念式典が行われ、過去最多の111の国の代表が参列したとニュースで報じていた。

全世界で平和への祈りを捧げるべき日であるが、ウクライナ問題では、ロシアが核使用をほのめかしたり、北朝鮮が核兵器開発に力を入れたりしていて、暗い影を投げかけている。

 

広島に関わって、以前、広島県出身の吉田拓郎と浜田省吾の歌をここで載せたことがあった。

 

 

8月6日。「いつも見ていたヒロシマ」(吉田拓郎)と「八月の歌」(浜田省吾) - ON  MY  WAY

8月6日。言わずと知れた、広島に初めて原爆が投下された日。もう、その日から75年の月日が経過したことになる。75年!自分が生きてきた年を考えてみると、被爆した年代とい...

goo blog

 

 

広島に関する歌として、ほかにも私が忘れられないのは、フランスのシンガーソングライターだったジョルジュ・ムスタキの「ヒロシマ」である。

高校を卒業して、大学生活に入って間もなくの頃、ラジオから流れてきたこの曲。

フランス語で歌われている曲だったから、何を言っているのか、全然わからなかった。

ただ、曲の紹介で、シンガー、ジョルジュ・ムスタキの名前と曲名の「ヒロシマ」だけは、しっかり聴き取った。

しばらくは、そのぼそぼそとした歌い方と最後の方に出てくる「ヒロシマ」の言葉が耳について離れなかった。

 

やがて、彼がプロテストシンガーだということを知り、ラジオで彼の曲の特集があったりすると、テープに録音したりして聴いたものだった。

 

その「ヒロシマ」の原詩を載せる。

 

Hiroshima    Georges Moustaki

 

Par la colombe et l'olivier, Par la détresse du prisonnier,

Par l'enfant qui n'y est pour rien, Peut-être viendra-t-elle demain. 

 

Avec les mots de tous les jours, Avec les gestes de l'amour,

Avec la peur, avec la faim, Peut-être viendra-t-elle demain.

 

Par tous ceux qui sont déjà morts, Par tous ceux qui vivent encore,

Par ceux qui voudraient vivre enfin, Peut-être viendra-t-elle demain.

 

Avec les faibles, avec les forts, Avec tous ceux qui sont d'accord,

Ne seraient-ils que quelques-uns, Peut-être viendra-t-elle demain.

 

Par tous les rêves piétinés, Par l'espérance abandonnée,

À Hiroshima, ou plus loin, Peut-être viendra-t-elle demain,

 

La Paix!

 

さすがに何を言っているのかわからない。

訳詞に登場してもらおう。

 

ヒロシマ      ジョルジュ・ムスタキ

 

鳩とオリーブによって 囚人の苦しみによって

罪のない子どもによって たぶん明日来るだろう

 

日常の言葉とともに 愛の仕草とともに

恐怖と飢えとともに たぶん明日来るだろう

 

すでに死んだすべての者たちによって まだ生きているすべての者たちによって

とにかく生きようとする者たちによって たぶん明日来るだろう

 

弱い者たちとともに、強い者たちとともに 合意するすべての者たちとともに

それが一握りの人々でしかなかろうが たぶん明日来るだろう

 

踏みにじられた夢によって 打ち捨てられた希望によって

ヒロシマに、あるいはもっと遠くに たぶん明日来るだろう

 

平和が!

 

歌は、ずっと「たぶん明日来るだろう」が繰り返される。

来るものはいったい何なのか?

と思っていると、「ヒロシマ」の言葉が登場し、最後に、「La Paix!(平和が!)」と歌われて終わりになる。

 

さまざまな困難があり、苦しみがありながら、人々は毎日の暮らしを送り、時間を重ねていく。

夢や希望が打ち消されてしまっても、人々が明日を信じていれば、平和はやがて訪れるはずだ。

そんなことが歌われている(と思う)。

そこに「ヒロシマ」を入れて歌うことによって、戦争の悲惨さと平和の困難さをさらに強調していたのかもしれない。

だけど、最後に「平和が!」と歌い、平和を強く願っていることが伝わって来る。

 

ジョルジュ・ムスタキは、今から10年前の2013年に79歳で亡くなった。

 

なお、意外なことに、「ヒロシマ」は、西城秀樹が歌っていたと聞いた。

ただ、歌詞は、原詩とは全く違ったものだったらしい。

西城秀樹が広島県出身だったことを考えると、うなずける気がするのである。

 

8月6日。

もう一度、ムスタキの「ヒロシマ」を聴いてから寝ることにしよう。

 

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