ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

線香花火をすると、すぐに歌詞とメロディが浮かんでくる~NSP「線香花火」~

2023-09-19 20:34:33 | うた

新潟は少しは涼しかったようだが、埼玉は今日も猛暑日。

そんな中、毎月恒例の除草作業を、午前中と夕方の2回行った。

昨夜は夜になっても暑かったが、今夜はいくらかましだ。

そこで、今年最初で最後?の線香花火をした。

線香花火をするとき、必ず頭に浮かぶ歌。

それがNSPの「線香花火」。

天野くんの歌声がよみがえってくる。

 

はじっこつまむと 線香花火

ペタンとしゃがんで パチパチ燃やす

このごろの花火はすぐに落ちる

そうぼやいて きみは火をつける

 

今でも、すらすらっと歌詞が出てくる。

 

この歌の中には、

 

きみの目の中で光っているんだ

こっちの方が本物よりステキさ

 

なんて表現もあった。

それこそステキだった。

 

はかない線香花火にも似た、若い二人の恋。

少し先の将来がどうなるかわからないゆえの不安…。

そんな気持ちが伝わってくる。

それは、歌の最後にも歌われている。

 

パチパチ光る線香花火

来年も二人でできるといいのにね

 

 

なんだか今でもキュンとするなあ…。

 

 

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8月6日。ジョルジュ・ムスタキの「ヒロシマ」を聴く

2023-08-06 21:40:40 | うた

8月6日。

広島に原爆が投下された日。

今日は、それから78年となる。

広島では、平和記念式典が行われ、過去最多の111の国の代表が参列したとニュースで報じていた。

全世界で平和への祈りを捧げるべき日であるが、ウクライナ問題では、ロシアが核使用をほのめかしたり、北朝鮮が核兵器開発に力を入れたりしていて、暗い影を投げかけている。

 

広島に関わって、以前、広島県出身の吉田拓郎と浜田省吾の歌をここで載せたことがあった。

 

 

8月6日。「いつも見ていたヒロシマ」(吉田拓郎)と「八月の歌」(浜田省吾) - ON  MY  WAY

8月6日。言わずと知れた、広島に初めて原爆が投下された日。もう、その日から75年の月日が経過したことになる。75年!自分が生きてきた年を考えてみると、被爆した年代とい...

goo blog

 

 

広島に関する歌として、ほかにも私が忘れられないのは、フランスのシンガーソングライターだったジョルジュ・ムスタキの「ヒロシマ」である。

高校を卒業して、大学生活に入って間もなくの頃、ラジオから流れてきたこの曲。

フランス語で歌われている曲だったから、何を言っているのか、全然わからなかった。

ただ、曲の紹介で、シンガー、ジョルジュ・ムスタキの名前と曲名の「ヒロシマ」だけは、しっかり聴き取った。

しばらくは、そのぼそぼそとした歌い方と最後の方に出てくる「ヒロシマ」の言葉が耳について離れなかった。

 

やがて、彼がプロテストシンガーだということを知り、ラジオで彼の曲の特集があったりすると、テープに録音したりして聴いたものだった。

 

その「ヒロシマ」の原詩を載せる。

 

Hiroshima    Georges Moustaki

 

Par la colombe et l'olivier, Par la détresse du prisonnier,

Par l'enfant qui n'y est pour rien, Peut-être viendra-t-elle demain. 

 

Avec les mots de tous les jours, Avec les gestes de l'amour,

Avec la peur, avec la faim, Peut-être viendra-t-elle demain.

 

Par tous ceux qui sont déjà morts, Par tous ceux qui vivent encore,

Par ceux qui voudraient vivre enfin, Peut-être viendra-t-elle demain.

 

Avec les faibles, avec les forts, Avec tous ceux qui sont d'accord,

Ne seraient-ils que quelques-uns, Peut-être viendra-t-elle demain.

 

Par tous les rêves piétinés, Par l'espérance abandonnée,

À Hiroshima, ou plus loin, Peut-être viendra-t-elle demain,

 

La Paix!

 

さすがに何を言っているのかわからない。

訳詞に登場してもらおう。

 

ヒロシマ      ジョルジュ・ムスタキ

 

鳩とオリーブによって 囚人の苦しみによって

罪のない子どもによって たぶん明日来るだろう

 

日常の言葉とともに 愛の仕草とともに

恐怖と飢えとともに たぶん明日来るだろう

 

すでに死んだすべての者たちによって まだ生きているすべての者たちによって

とにかく生きようとする者たちによって たぶん明日来るだろう

 

弱い者たちとともに、強い者たちとともに 合意するすべての者たちとともに

それが一握りの人々でしかなかろうが たぶん明日来るだろう

 

踏みにじられた夢によって 打ち捨てられた希望によって

ヒロシマに、あるいはもっと遠くに たぶん明日来るだろう

 

平和が!

 

歌は、ずっと「たぶん明日来るだろう」が繰り返される。

来るものはいったい何なのか?

と思っていると、「ヒロシマ」の言葉が登場し、最後に、「La Paix!(平和が!)」と歌われて終わりになる。

 

さまざまな困難があり、苦しみがありながら、人々は毎日の暮らしを送り、時間を重ねていく。

夢や希望が打ち消されてしまっても、人々が明日を信じていれば、平和はやがて訪れるはずだ。

そんなことが歌われている(と思う)。

そこに「ヒロシマ」を入れて歌うことによって、戦争の悲惨さと平和の困難さをさらに強調していたのかもしれない。

だけど、最後に「平和が!」と歌い、平和を強く願っていることが伝わって来る。

 

ジョルジュ・ムスタキは、今から10年前の2013年に79歳で亡くなった。

 

なお、意外なことに、「ヒロシマ」は、西城秀樹が歌っていたと聞いた。

ただ、歌詞は、原詩とは全く違ったものだったらしい。

西城秀樹が広島県出身だったことを考えると、うなずける気がするのである。

 

8月6日。

もう一度、ムスタキの「ヒロシマ」を聴いてから寝ることにしよう。

 

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「暑中お見舞い申し上げます」(キャンディーズ)

2023-07-29 22:34:36 | うた

 

暑中お見舞い申し上げます。

 

この言葉を聞いても、数年前までは、なんだか儀礼的な気がしていたものだ。

お見舞いを受けるほど、ひどい暑さではないじゃないか、なんて思った年も多くあったのだ。

それが、ここ数年は違う。

特に、今年は違う。

本当に暑い日が続く。

 

だから、お互いこの暑さは大変ですけど、なんとか乗り切っていきましょうね。

そんな気持ちを込めて、「暑中お見舞い申し上げます」という言葉を交わしたい気がするこの頃だ。

 

その言葉を口にすると、頭の中に、ある曲のイントロが流れ出す。

その曲は、その言葉を歌い出す。

 

♬暑中お見舞い申し上げます

 

こう歌われて、さわやかな風が吹くような気がした曲があった。

ご存じ、キャンディーズの「暑中お見舞い申し上げます」である。

私の学生時代、1977年の夏の歌である。

古いなあ…。

でも、若い時の曲って、いつ聴いてもいいものだよ。

 

馬飼野康二が編曲したしゃれたイントロが流れ、3人の「♬暑中お見舞い申し上げます」というハーモニーで、この歌が始まる。

 

まぶたに口づけ 受けてるみたいな

夏の日の太陽は まぶしくて

キラキラ渚を 今にもあなたが

かけてくる しぶきにぬれて…

 

なんとも夏らしい輝きを感じるこの歌詞。

はじけるように明るいキャンディーズの3人娘にぴったりだった。

この歌の作詞は、あの「神田川」の喜多条忠だったのだ。

ある種の暗さを感じる「神田川」とは、全く正反対の明るいイメージのこの歌が、彼の作詞だったなんてオドロキだ。

 

3分もしないうちに聴き終わってしまうこの曲は、元気が出て好きだった。

 

ところが、この歌がヒットしているうちに、あの、突然の解散宣言、

普通の女の子に戻りたい」が出たのだった。

そこから翌年に向けて、解散・引退への道を進むことになるのだが、そうなるとどうしても、彼女たちのあの明るさはなくなっていくのが残念だった。

「春一番」や「暑中お見舞い申し上げます」のような明るい歌は出せないままになってしまった。

惜しかったなあ…、なんて思う。

 

この暑い日はいつまで続くのだろう。

CDでキャンディーズの懐かしい歌声を聴いて、少し涼んだ気分になることにしよう。

 

 

 

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自転車に乗って、「自転車にのって」(高田渡)

2023-06-17 20:32:00 | うた

自分の足で走ることが多くなってから、3kmや4kmくらいなら歩いてしまおう、という気持ちになることが多くなった。

だから、車に乗らずに歩いていくことを選択することが多い私である。

 

今日は、出かける用があったのだが、往復すると4km以上ある。

明日が関川マラソンで、ハーフ21kmを走るから疲れたくないな、と、4kmほど歩くのをちょっとためらった。

車に乗ろうかと思ったが、もう一つの選択肢があるのを思いついた。

それは、自転車に乗っていくことだ。

自転車に乗るなら、今はヘルメットをかぶる努力義務があるのだが、私の頭に合うヘルメットは家にまだない。

すみません、ヘルメットなしで行きます。

その代わり、通る道は、極力、車が通らない道や歩道(自転車通行可の)を通ることにした。

 

 

ということで、久しぶりに自転車に乗った。

舗装されていない道で乗った。

なんだかとても新鮮な感覚だった。

いつも歩く道でも、目の位置が高いから、見え方が違う。

自分の足で走ることもよくある道なのだが、スピード感が違う。

 

自転車に乗って、走るのも楽しい。

自転車に乗って、見るのも楽しい。

自転車に乗って、自転車に乗って、…。

 

そう繰り返していたら、急に高田渡の「自転車にのって」という歌を思い出した。

高校1年生の頃、同級生にこの歌を好きな女の子がいたことも。

その子は、シンガーではジョン・レノンを、歌では「自転車にのって」がお気に入りだったっけ…。

 

「自転車にのって」

アップテンポでいい感じのリズム。

明るい調子の歌だった。

まだ歌えるかなあ。

思い出してみよう

 

自転車にのって ベルをならし

あそこの原っぱまで 野球のつづきを

そして帰りにゃ 川で足をあらって

自転車にのって おうちへ帰る

自転車にのって 自転車にのって

ちょいとそこまで 歩きたいから

 

子どもが自転車にのって自由にでかけて行く。

原っぱで野球する。

川で足を洗う。

50年ほど前は、そんなのがまだ当たり前の風景だったっけ。

「自転車にのって」には、そんな当たり前の風景が歌われていたのだった。

 

じゃあ、2番は?

 

自転車にのって ベルをならし

となりの町まで いやなおつかいに

そして帰りにゃ 本屋で立ち読みを

日が暮れてから おうちへ帰る

自転車にのって 自転車にのって

ちょいとそこまで 歩きたいから

 

となり町まで おつかいに行かせられる。

町だと、立ち読みをするような本屋があった。

日が暮れるまで目一杯遊び、家に帰るのは、結局暗くなってから。

だから、家の人におこられる。

あった、あった。そんなことが。

 

思い出してみると、この歌は、なんだかとても懐かしい風景が広がる歌としてよみがえってきた。

歌は「自転車にのって」なのに、「ちょいとそこまで『歩きたい』」という。

走るのではなく、自転車に乗るのは軽い気持ちで「歩く」感覚でもあったっけ。

 

雨が続いていた当地、久しぶりの青空の下、自転車に乗って風を切るのは快かった。

「自転車にのって」を思い出し、さらにごきげんな気持ちになったのであった。

 

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♬イチゴの季節になると思い出すのは、…「苺の季節」(堺正章)という歌

2023-06-01 21:33:35 | うた

わが家の庭に、イチゴが実る季節となった。

以前住んでいた家から苗を少し持ってきただけだったから、実ったら食べようなんて思いはあまりなかったのである。

それが、昨日の記事ではないが、野生化するように自分が生きていけるようにとランナーを伸ばし伸ばし、広がって行った。

その結果、今、毎日20個くらいの小さなイチゴが取れる。

以前書いたことがあったと思うが、すっぱいイチゴである。

 

 

イチゴの季節になったなあ…と思う。

イチゴの季節、といえば、昔学生の頃、堺正章が「苺の季節」という歌を歌っていたことを思い出した。

 

君がかわいい男の子をつれ

街を歩いているのを見ました

横にいたのが旦那さんでしょう

ペアのセーター似合っていました

 

こんな歌詞で始まる歌だ。

あの頃特有の、少し前の恋人との思い出を歌う歌である。

昔の恋人が、親子連れとなっている姿を見かけたわけだ。

だが、一番の、この先の歌詞は記憶に残っていない。

なのに、2番の歌詞は、どういうわけかよく記憶している。

 

苺の季節になると思い出すのは

二階の窓辺のちいさな鉢植え

君が花屋で買ってきたんだったね

青い苺がたくさんついてた

いつか真っ赤になったなら 二人で食べようねと言った

けれど別れの時が来て 苺は枯れたね

君を愛したわずかな月日も 青い葉っぱのままで枯れたよ

君を愛したわずかな月日も 青い葉っぱのままで枯れたよ

 

イチゴの季節だなあと思うと、「苺の季節になると思い出すのは…」と、この歌の2番のフレーズが思い浮かんでくるのだから、不思議なものだ。

40年以上たってもだいたい思い出せるのは、あの頃よく聞いていたからだろう。

そんなにヒットした歌でもなかったのだが、自分としては気に入っていたということだろう。

 

改めて調べてみると、この歌詞の作詞者は、喜多条忠。

あのかぐや姫の「神田川」や「赤ちょうちん」の作詞者だった人だ。

「苺の季節」にも、「神田川」や「赤ちょうちん」と通じる若者の悲恋、別れが描かれていたのだ。

不安定な心、将来への不安、…若者ゆえだった。

この歌の底辺に流れる哀しさが、自分は好きだったのだろうなあ…。

イチゴだけにすっぱい青春ということかな。

 

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前川清の「昭和から」が気に入っている

2023-03-25 21:34:38 | うた

過日、NHKの歌番組「うたコン」を見ていたら、前川清が歌っていた歌が気になった。

その曲名は、「昭和から」という。

歌唱する前川清本人の声が少しかすれたりしていたけれども、なんだかいいな、と思った。

YOUTUBEで何度か聴いた。

 

歌は、

電話のダイヤル回す指が震えた 声を聞くだけで幸せだった

駅の伝言板に君の名前を書いた 君はやがてそこにサヨナラと書いた

…と始まる。

 

ダイヤルを回す電話、懐かしい。

家の電話だけはもちろん、赤色の公衆電話も、緑色の公衆電話BOXの電話も、電話は皆ダイヤルを回してかけるものだった。

10円玉を貯めて、情け容赦なく落ちていく硬貨の音を聞きながら好きな子に電話していた時代が確かにあったなあ、と思った。

 

あの頃は、私鉄でも「国鉄」でも、駅に伝言板はつきものだった。

そこにはいろいろなことが書かれていたっけ。

駅や伝言板が男女のすれ違いや別れの場所になったことも、たしかに多かった。

今は、伝言板はなくなって久しい。

 

あの日貧しかったけどあきらめなかった

あの頃夢は次々と生まれては消えてった

僕は昭和から来て 今未来にたどり着いた

まだ終わらない物語を も少し読んでみようか

 

あの頃の思い出をたどりながら、「僕は昭和から来て 今未来にたどり着いた」と人生を歩んできて今があることを歌っている。

 

2番の出だし。

手紙の下書き書いては消して 出せないまんまちぎって捨てた

原っぱに仲間とごろりと寝転んで 星を見てたら涙がこぼれた

苦しかったけど自分を捨てずに済んだ 

誰かがそっと遠くで支えてくれてた

好きな人へ思いを表そうと思って手紙を書いてみるが、やはり思いをうまく書くことができない。

やっとの思いで書き上げた手紙も、こんなのではダメだ、と結局、破いて捨てる。

そんな経験、たしかにあった。

そして、なんだかんだ言っても、自分の周囲にいた友だちが自分の悩みや辛さをわかってくれた。

そのことに救われて生きていられたこともあった。

 

遠くから支えてくれたのは、友人ばかりではない。

僕は昭和から来て 今未来を生きているんだ

故郷行きの夜汽車は消えて ああ故郷がほどけてゆく

昔はあった故郷行きの夜汽車。

その向こうには、父や母、家族や友人がいた。

ひと駅ひと駅と故郷の駅に着くのを待ち遠しい思いで、ガタンガタンと揺られていたっけ。

今も走っている夜汽車は少ない。

 

3番は、昭和を共に過ごしたが、令和の今では亡き友人に向けて語る内容だ。

亡き友の懐かしい声が聞こえる

まあお前は慌てず急がずのんびり来いと

僕は令和まで来て まだ少し未来があるようだ

お前の分まで生きてやるよと 一人で酒を酌む

お前の分まで生きてやるよと 二人で酒を酌む

 

かつて何度も酒を飲み語ったのに、今は故人となってしまった友人がいる。

そいつを思い出しながら飲むと、声が聞こえるような気がしてくる。

心の中に、そいつが話しかけてくるような気がして、対話を繰り返す。

そして、「お前の分まで生きてやるよと」一人つぶやきながら飲むが、気分は二人で飲んでいるつもりになって酔いに落ちている。

 

いい感じの歌だなあ。

そう思って、少しだけ調べてみると、作詞作曲は、前川清と同郷長崎のさだまさしだった。

なるほどなあ。

さすが、さだまさし。

いい詩を書くよ。

曲調も、前川清の歌唱にぴったり合っている。

 

そうだ。

自分も、まぎれもなく昭和から来た人間なのだ。

だからこそこの共感なのだな。

私も昭和から令和まで来た。

「まだ少し未来がある」

しっかり生きていかなくちゃな。

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いくつになっても happy birthday ~吉田拓郎~

2023-02-28 19:47:02 | うた

昨年で音楽活動の一線から退いたシンガー・ソングライターの吉田拓郎氏。

近ごろまた彼のベストものやライブアルバムなどを聴きたくなって時々聴いている。

一時期、新作のアルバムを出しても買わないときがあったけど、.その頃に出た曲も今は新鮮に聴ける。

そんななかで、今、力を抜いて聴けるのが、「いくつになっても happy birthday」。

 

誕生日がやって来た

祝おうよ今日の日を

良かったネ 元気だネ

おめでとうをおくりましょう

いくつになっても happy birthday to you

いくつになっても happy birthday to you

 

こんなふうに始まる歌。

ライブでもよく歌っていたから、本人も気にいっていた曲なのだろう。

2001年3月発売の吉田拓郎氏の通算48枚目のシングルなのだそうだ。

発売は、もう22年も前になるのだなあ。

 

大きく言って2番まであるのだが、1番と2番の間に、特別にこんな部分があるのがいい。

 

いろんな事があったでしょう

人にかくれて泣いたでしょう

 

誕生日を迎えるのは毎年のことだけど、人は、毎年喜怒哀楽いろいろな経験をして、また新たな誕生日を迎えている。

たしかに、「いろんな事があった」し、「人にかくれて泣いた」こともあっただろう。

そこをわかってくれるこの部分があるのが、たまらなく、いい。

 

そして、2番。

 

ケーキにローソク立てて

皆で乾杯しよう

くじけないで頑張る君

勇気に拍手おくろう

 

と歌う。

ありがとう。その拍手にこちらこそ勇気をもらう気分になる。

いくつになっても happy birthday to you」のくり返しの後、

 

人生の主役は君

幸せ運ぶのも君

いつまでも変わらずに

元気でいてくださいネ

 

と続く。

そうなのだ。

人生の主役は、それぞれ、自分なんだよ。

幸せを感じられるのは自分なのだから、幸せ運ぶのも自分なのだ。

自分しだいなのだと、改めて確認させて教えてくれている。

 

そして、「いつまでも変わらずに 元気でいてくださいネ」だよ。

最高の贈る言葉だなあ、と思う。

いつまでも変わらずに」は、そのままの自分でいいということ。

自分をわかってもらえていると感じられる言葉だ。

元気でいてくださいネ」は、こちらの身を案じてくれているとわかるうれしい言葉だ。

 

ラストに、「いくつになっても happy birthday to you」のくり返しを今までの倍の4回。

本当に祝ってもらえている気になるのである。

齢をとったせいか、以前に比べて本当にいい歌だと思う今日である。

 

それもそのはず(?)

It’s my birthday,today.

 

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「10years」(渡辺美里)の歌が前と違って聴こえる

2023-02-21 20:55:16 | うた

あれから10年も この先10年も 

行き詰まりうずくまり駆けずり回り

この街にこの朝にこの手のひらに 

大切なものは何か 今も見つけられないよ

 

渡辺美里の「10years」。

全部を聴くと、失恋の歌だとは知っている。

だけど、いつも愛や恋とは違う思いでこの歌が聴こえていた。

自分にとっては、時間が過ぎたなあと思うとき、いつも頭の中に流れる歌だったのである。

 

あれから10年も この先10年も

 

この部分を聴くと、いつも時の流れの速さを思う。

あっという間に10年がたってしまった。

きっと同様に、この先の10年もあっという間に過ぎていくことだろう。

そんなことを思うのだ。

10年たっても、自分は何も変わっていないし、これからも大きく変わることはないだろう。

そんなことを思ってきた。

 

最近は、少しこの歌の聴こえ方が変わってきた。

「あれから10年も」が、時間が早く過ぎたという意味で、変わらない。

だけど、「この先10年も」を聴いて思うことが違うのだ。

この先10年、生きているのだろうか?

そんなことが、頭の隅をよぎるようになってきたのである。

 

私の年齢が、父の享年からあっという間に10年。

そして、母の享年まで10年を切ろうとしている。

さて、自分の人生は、いつまでだ?

確かにずっと人生は、「行き詰まりうずくまり駆けずり回り」の連続できたよなあ…。

そこに付け足して、10年といえば、娘が突然の病に倒れてからの年数にあたる。

まさに、「あれから10年」…。

そんなことなどを思うようになったから、聴こえ方が変わってきたのだろう。

 

生きているか?

そんなことは考えずに、この先10年も、

行き詰まりうずくまり駆けずり回りながらでいいから、ゆっくり生きていくことにしよう。

この街に この朝に この手のひらに 大切なものを1つ1つ見つけながら。

 

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小椋佳のラストアルバム「もういいかい」を聴いて

2023-01-23 20:35:21 | うた

 

先日、ポチッと押して購入した小椋佳のアルバム「もういいかい」。

2年前に最後のオリジナルアルバムとして発売されたものだ。

ほどなく手元に届いた。

 

アルバムにはどんな楽曲があるのかというと、全13曲で構成されていた。

  • 開幕の歌
  • ラピスラズリの涙
  • 生きろ
  • 僕の憧れそして人生
  • 俺は本当に生きてるだろうか
  • 笑ってみよう
  • 花、闌の時
  • 朝まだき
  • 老いの願い
  • 置手紙
  • もういいかい
  • 山河
  • SO-LONG GOOD-BYE

 

この中で以前から知っていたのは、「山河」のみ。

五木ひろしに提供して、彼がよく歌っていたあの曲だ。

 

1曲目から全曲聴いてみて思った。

なるほど、「最後のオリジナルアルバム」だ。

「オリジナル」の意味は、「独創的」だとか「目新しい」という意味があるが、そこに「最後の」が付いているとおり、彼の人生での「最後」を意識した曲が多かった。

人生での最後、というと「老境」であることを意味する。

そう考えると、「老境」にいるソングライターが、それを意識した曲を集めてアルバムにした人はいなかったのではないかと思った。

かつての小椋佳のイメージどおりの曲は、「ラピスラズリの涙」「朝まだき」「花、闌の時」くらいであった。

それら以外、このアルバムには、まぎれもなく小椋佳が自らの老いをテーマに作った曲たちが散りばめられていた。

 

1曲目の「開幕の歌」は、コンサートの最初などに流されるのかもしれないが、思わず苦笑してしまう。

その2番は、

既にもう喜寿の歳 見返れば道遥か

年老いて体力の衰えは残酷で

ステージも最後まで持つかどうか不安です

兎に角に最後までお付き合い願います

…だもんね。

 

老境にいる小椋佳個人の今の思いや考えが出ている歌がずらりと並ぶ。

曲名を見ただけでも、それがわかる。

「生きろ」「僕の憧れそして人生」「俺は本当に生きてるだろうか」「笑ってみよう」「花、闌の時」「老いの願い」「置手紙」「もういいかい」「SO-LONG GOOD-BYE」…。

「花、闌の時」は、「闌」を何と読むのか分からなかったが、「たけなわ」であった。

「闌」(たけなわ)の意味は、「盛り、あるいは盛りを少し過ぎたとき」の意味である。

この曲名には、人生の盛りを過ぎた意味が入っていると見たくなる。

 

「生きろ」は、自分や周囲の人に対する叱咤激励である。

この世に美しい死 などというものはない

讃えられたり 褒められたり みんなまやかしさ

腹の底の 命の声を 裏切ることなく

出来る限り 手だて尽くし 生きろ 兎に角生きろ

 

在らん限り 力尽くし 生きろ 兎に角生きろ

精一杯生きろ

 

「置手紙」という曲もある。

その曲名を聞くと、われわれの世代では、「かぐや姫」の名曲を思い出す。

だが、小椋佳の曲は、「未だ蒼く若い人」への「悔いなく生きよう」というメッセージソングであった。

 

アルバムタイトルにもなっている「もういいかい」は、こんな詩で終わる。

流石に喜寿 疲れました 疲れました もういいかい

 

ラストの曲「SO-LONG GOOD-BYE」は、

涙するほど ただ感謝です

心は満ちて 幕引きの時

SO-LONG GOOD-BYE

 

こんなふうに、老境小椋佳の独白のような曲ばかりであるが、これはこれでよいと思う。

ラストメッセージが、次々と並んでいる。

今まで、このような高齢者のつぶやきのような曲が並んだアルバムなんてなかっただろう。

そんな意味でも、聴いてみる価値があると思った。

 

だから、五木ひろしの歌う「山河」もすごいが、小椋佳の歌う「山河」は、歌のうまさでは劣っても、さらに人生の重みと迫力が感じられた。

顧みて、恥じることない足跡を 山に残したろうか

永遠の水面の光増す夢を 河に浮かべたろうか

愛する人の瞳に 愛する人の瞳に

俺の山河は 美しいかと。

美しいかと。

 

学生時代や社会人時代に買った小椋佳のアルバムもよかったが、こうして自らの詩を大切にした曲たちというのは、小椋佳ならではのものだろう。

私より人生の一歩先を行く先輩の、偽りのない思いにあふれた歌たちが並んでいるように思えた、小椋佳のラストアルバムであった。

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「花のコンサート」に行ってきた

2022-12-20 20:32:02 | うた
4年前に義兄の葬儀を関係するところで行ったこともあり、先日、その地元JA主催で行われるコンサートに行ってきた。



「花のコンサート2022」と名付けられたその催し。



ソプラノの声楽家、ピアノ奏者、ヴァイオリン奏者、フルート奏者の4名でさまざまな音楽を聴かせてくれた。



演目は、次のような曲たち。



さすがに、大切な人を亡くした人たちを対象にしたコンサートというだけあって、落ち着いた曲が多かった。

ピアノ奏者は、ずっと出ずっぱりだったが、ソロだけの歌あり、楽器奏者だけの演奏あり、とバリエーション豊かに聴かせてくれた。
規模が小さいとはいえ、音楽のエキスパートたちが聴かせてくれるものに引き付けられた。

最後には、聴衆からアンコールの拍手もわいた。
そこで4人が選んでやってくれたのは、おなじみの「ふるさと」だった。

この歌が、心にしみた。
災害時やその復興に向けた際にもよく歌われているのを聞いたことがあるが、その気持ちが分かるような気がした。

いかにいます 父母
つつがなしや ともがき


歌のこの部分で、不意に涙がこぼれてきた。
なぜなのか分からない。
けれども、失った大切な人たちはもう戻っては来ない。
思い出しか残っていない。
そんなことから、しみじみと感じ入ってしまったのだろうか。
単純に歳をとって、涙もろくなっただけなのだろうか。
あらためて、名曲であり、日本人の心を震わすものをもった曲だと思った。

時間は実質70分程度だったが、自分にとって何だかとてもよいコンサートだった。


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