大震災から三年が経ったのですね。
志半ばで逝かれた多くの人たちの安らかなご冥福と
復興途中、不自由な生活を強いられている多くの被災者の方達が
少しでも早く平穏な暮らしに戻られる事を祈りつつ、
本日一日、仕事に精進しております。
この写真は、妹が生まれる間、石巻の祖母宅に預けられていたときのもの。
よくこの狛犬の上によじ登って遊んでいたのを今も覚えています。
初孫だったので親戚、ご近所の方、たくさんの方に可愛がって頂き、
私にとって石巻は、心がほっこりする故郷のような場所。
たくさんの幸せな触れ合いの記憶と風景がセットになって、今も身体の中にしっかりと焼き付いています。
3年前、震災の後、石巻を訪れたときには、本当に絶句し凍りつきました。
この大好きだった神社がどうしても見たくて、叔父に連れて行ってもらったら、
その辺りには何も無く、かろうじて鳥居が斜めに倒れかけていました。
神社も狛犬も全く見当たりませんでした。
そのときに頭に浮かんだ言葉は、"無残"と"無常"でした。
自分のガンとまだまだ闘っていたときでもあり、今ここにいるだけでなんてありがたいことかと心から思った瞬間でもありました。
あれからずっと、この写真をいつも手帳にはさんでいるんです。
3歳のときに、ここにいた私は、
今、こうして、無事に、50年近くも生かして頂いている。
なんてすごいことか。
多少の辛いことなんて、かすり傷みたいなもの。
今日だけで無く、これからも命の尊さをしっかり噛み締めて、
日々大切に、そして助け合って生きていきましょう。
亡くなられた多くの方々の御冥福をお祈り致します。
志半ばで逝かれた多くの人たちの安らかなご冥福と
復興途中、不自由な生活を強いられている多くの被災者の方達が
少しでも早く平穏な暮らしに戻られる事を祈りつつ、
本日一日、仕事に精進しております。
この写真は、妹が生まれる間、石巻の祖母宅に預けられていたときのもの。
よくこの狛犬の上によじ登って遊んでいたのを今も覚えています。
初孫だったので親戚、ご近所の方、たくさんの方に可愛がって頂き、
私にとって石巻は、心がほっこりする故郷のような場所。
たくさんの幸せな触れ合いの記憶と風景がセットになって、今も身体の中にしっかりと焼き付いています。
3年前、震災の後、石巻を訪れたときには、本当に絶句し凍りつきました。
この大好きだった神社がどうしても見たくて、叔父に連れて行ってもらったら、
その辺りには何も無く、かろうじて鳥居が斜めに倒れかけていました。
神社も狛犬も全く見当たりませんでした。
そのときに頭に浮かんだ言葉は、"無残"と"無常"でした。
自分のガンとまだまだ闘っていたときでもあり、今ここにいるだけでなんてありがたいことかと心から思った瞬間でもありました。
あれからずっと、この写真をいつも手帳にはさんでいるんです。
3歳のときに、ここにいた私は、
今、こうして、無事に、50年近くも生かして頂いている。
なんてすごいことか。
多少の辛いことなんて、かすり傷みたいなもの。
今日だけで無く、これからも命の尊さをしっかり噛み締めて、
日々大切に、そして助け合って生きていきましょう。
亡くなられた多くの方々の御冥福をお祈り致します。