イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

犬の話

2006年06月10日 22時43分56秒 | Weblog
今日は犬の話でも。
かなり昔のことなのですが、犬を飼っていました。シェパード、名はジョン。
シェパードと言っても特に躾をするわけでもなかったせいか、大食いと、やたらに吼えまくるだけの犬でした。
もちろん、犬は飼い主により規定されてしまうところが大きいでしょうから、大食いと、やたらに吼えまくるだけの犬であったとしても、あえて、駄犬とは言いません。それなりにいい犬でした。
うちに引き取られてから七年間、ジョンはドッグフードを大量に消費し、敷地に一歩でも足を踏み入れようとするものを「殺すぞ」とばかりに吼えまくり、たまに逃げ出しては隣のおばちゃんのお尻を咬んでみたり、僕の耳を咬んで、いわゆる主人を血みどろにしたりしていたのでした。
七年間。ジョンと暮らした時間です。
お別れは突然訪れました。
どうしても飼い続けることが出来ない事情が我が家に降りかかったのです。
保健所で処分するという選択肢以外には道はありませんでした。
保健所に電話をすると四日後に引き取るとのこと。
たとえ主人を血みどろにするような出来の悪い犬であっても、七年も一緒に暮らせば大切な家族の一員です。
この四日間はジョンが生きていた中でも最高の四日間にしてあげよう。それが家族みんなの思いでした。散歩だって二時間はしてあげよう。食事も大好きだったチーズを毎回入れてあげよう。
しかし、ジョンは保健所に電話をしたその日からぴたっと食欲なくし、何一つ口することはありませんでした。もちろん吼えることも止め、何よりも好きだった散歩さえ、行きたがらなくなったのです。
まるで自分の行く末を悟ったかのようでした。
家族の誰もが泣きながらジョンに謝り、そしてそうせざる得なかった事情を呪いました。
引き取られる当日、ほぼ時間通りに保健所の人はやってきました。
いつもなら咬み付かんばかりに吼えまくるジョンは、ただの一度も吼えることなく、自ら保健所の車に乗り込み僕たちに振り返りました。
母は保健所の人と何か事務的な話しをしているようでした。
お前は主人の事情を悟ることが出来る最高の犬だったよ。そう思った瞬間、悲しさと虚しさがない交ぜになって、堪えていた涙が溢れ出しました。
二十年以上も前の話です。昨日のことのような気もするのですが。
あれ以来生き物は飼っていません。これから先も、子供たちにねだられても、きっと飼わないでしょう。

非を認めないユダヤ人

2006年06月09日 21時19分51秒 | Weblog
シンドラーエレベータの対応を見ていると、イスラエルのことを思い出します。
決して謝らない民族。
自分の非を認めてはいけないのです。それはまったくもって何の美徳にもならない。むしろ身を滅ぼすものだ。だからあらゆる手段を講じ、自己の正当性を訴える。
テルアビブを散歩すれば、いたるところに法律事務所です。人口比からみても、それはあまりにも多すぎる。と日本人の僕には思えました。
ボランティアをしていたリハビリ施設でも、ユダヤ人気質を目の当たりにしたことがあります。
オリットと言う看護師が、フラフラ歩いていたモーシェという老人の患者にぶつかり、モーシェは弾き飛ばされ、倒され、ゴン、と言う鈍い音が館内にこだまするほど、頭を床に打ち付けたのでした。
オリットに非があることは誰の目から見ても明らかであり、当然オリットが謝って然るべき展開でした。
しかーし、オリットは謝るどころか、モーシェの非を並び立て、自分に非のないことを懸命に訴えたのです。
モーシェですか。
周りのスタッフに抱きかかえられ自分の病室へ戻っていきましたよ。
かわいそうなモーシェ。
でもイスラエルでは自分の正当性を主張しきれたほうが勝ちなのです。それこそが自分の身を守る最高の手段のようでした。
もちろん僕には馴染まない、馴染めない民族性です。
でも嫌いじゃないですよ。イスラエル大好き。日本も好き。


猫のウンチ

2006年06月08日 20時33分36秒 | Weblog
マニシュマ
今日の朝、玄関のすぐ横に猫のウンチがありました。ハエがたかっていました。ハエはいったいウンチの何に魅力を感じているのでしょうかねー。
そんなことじゃない。
そんなどうでもいいことを考えているときではなかった。
玄関の横にウンチなのだよ。それも猫の臭いやつ。まったくもー、猫の奴め。人さまの玄関先でウンチなぞしおって、恥を知れ。
このぐらいにしておこう。
なんだか今日は書くきしない。だめだ。ウンチが尾を引いて、書きたいことがまとまらない。

明日書きます。




ふとってしまった。

2006年06月07日 20時53分31秒 | Weblog
こんばんは、果物と野菜の明確な線引きを知らないものです。スイカは野菜でしょうか、それとも果物なのでしょうか。
ところで駐車禁止の民間取締りの人たちは、どこにいるのでしょう。
いったいどのあたりを取り締まっているのでしょうか。
まだ一度もお目にかかったことがないのですが。

ここ二、三日あわただしい日々を送っていたので、ブログの更新をすっかり忘れていました。
とは言え僕のブログなど、別段誰が読んで下さっているわけでもないのでしょうが。

さて、今日は肥満の話でも。
イスラエルから帰ってきて、食べるものが極端によくなったせいか、見る見るうちに太ってしまいました。
イヤー、太った、太った。二年で十四キロ。誰がなんと言おうと、んもう間違いなくメタボリック症候群です。
いや、ぼくはそういうんじゃない。とは決して言えません。そういう悪あがきすら出来ぬほどに胴回りがパンパンになっています。
それどころか、なんだか乳も女性のような、それらしい形を作り始めたりして、この先俺はいったいどうなってしまうのだと、ほんのちょっとだけ気が滅入っています。
嫌だなー、こんな女のような乳では。
鏡を見るたびにそう思うのですが、抗いきれない食欲に、ま、いいかと、結局身を任せる日々なのでした。




警察の怠慢だー

2006年06月02日 20時36分07秒 | Weblog
警察の怠慢にもほどがあるよ。
いったい日本の警察は何をしておるのだ。

親子でひき逃げ犯を見つけ出したらしいのです。
なんでも一月ほど前、息子がひき逃げされ、それを聞いたお母さんがひき逃げ犯捜査に乗り出したとのこと。
お母さんは、このひき逃げが、地元の人しか通らないような道で起こったことを踏まえ、犯人は必ず近くにいると確信したそうです。
それから毎日毎日地道な捜査をし、とうとうひき逃げをした車にたどり着いたというのです。
これって、本来警察がやるべき事ではないのでしょうか。
警察の言い分は、ナンバーなど、証拠になるものが何一つなかったので手間取った、というものでした。
それはないでしょう。
捜査のど素人がひと月で犯人に行き着いているのに、捜査のプロがその言い草はないでしょう。
いったい、警察官はひき逃げをされた被害者から何を聞いていたのだ。
はじめからやる気などなかったのではないか。
どんな捜査をしていたのか、警察には説明する義務があるよ。どんな聞き込みをし、一日にどれだけの車を見て回ったのか。
素人のお母さんはそれを朝から晩までしていたのではなく、あくまで、息子が学校から帰ってきた後の数時間だけ、捜索したとのことでした。
少しはこの親子を見習うべきだ。
憤激レポートでした。



ヨムキプール

2006年06月01日 21時06分27秒 | Weblog
シャバットよりもっと厄介な日があります。
ヨムキプール。
一年の行いを悔い改めるための断食日。
シャバットは毎週あるため、あまり宗教的ではないテルアビブなどではシェルート(乗り合いバス)が動いていたり、またヤッフォのほうまで足を運べば、(歩いていける距離ではありませんが)数軒の喫茶店が店を開けていたりもします。公園は多くの家族連れでにぎわい、あらゆる店が開いていないことをのぞけば、いわゆる日曜日そのものです。
本当はシャバットのときは仕事に結びつくような行為をしてはいけないのです。何しろ安息日ですから。
電気を付けてはいけないとか、何歩以上歩いてはいけないというところまできっちりとした戒律があるのです。ですが、毎週のこととあってか、厳格に守っていないラバイもいたりします。
しかし、一年に一回のヨムキプールとなるとそうはいきません。
一日断食することで一年間のさまざまな悪い行い(例えばシャバットを守らなかったとか)を悔い改めることが出来るのですから、宗教者であろうと、なかろうと、誰であろうと、ユダヤ人であるならば、この日だけは守るのです。
国民すべてが断食をするのです。
そして、この日だけは本当に何もかもがストップします。外に出ている人は皆無です。
街は、いや、国全体がゴーストタウンのように静まりかえるのです。
ヨムキプール戦争というものがあったほどなのです。この習慣を利用され、攻撃を受けたのです。
それほどまでにこの日だけはまったく動かないのです。
こんな日に車を走らせでもしたら、全国民から石を投げられることでしょう。
唯一動いているのはヘリコプターのみ。
ヨムキプール戦争の苦い経験を踏まえてか、ヘリコプターだけはパタパタと上空を飛びまわっていました。
ヨムキプールを知らないで、この一日を体験すると、イスラエルが厳戒態勢に入ったのではと錯覚するほどです。
中東は面白い。
本当に面白いですよ。
最高です。
旅行に行くなら迷わず中東。