日本男道記

ある日本男子の生き様

16:二世大谷鬼次の川島治部五郎

2012年08月26日 | 東洲斎写楽撰 全40点
16:二世大谷鬼次の川島治部五郎

この絵は、寛政六年七月、河原崎座上演の「二本松陸奥生長」に登場する敵役、川島治部五郎を描いた作である。この狂言の四立目富田介太夫を殺すのが、この川島治部五郎であるが、この場に現れる市川男女蔵の富田兵太郎(介太夫の子)の絵も写楽にあって、これは二枚続きとなる絵であるが、この鬼次の一枚だけでも独立した名画であり、細判中の傑作の一つである。背色の鼠地は暗夜が示され、その鼠地に対して、着付の濃い灰色(濃緑のもある)と襦袢の紅は、何か陰惨な敵役を現し、頬被りの手拭の白が、いかにも不気味である。右手をあげて兵太郎から顔をかくし、左手でぐっと柄頭を握った形。そして上半身から下肢へかけての力強い彎曲。また衣紋をあらわす描線の力強さ。赤い目隈と青い髭あとに彩られた顔面と横目に睨んだ表情の見事さ。内面的な写実と殺し場という雰囲気が、これ以上には描き得ない極致を見せている。

二世大谷鬼次は、三世大谷広次の門人で、永助、春次をへて師の前名鬼次をついで、写楽はこの襲名のときの狂言も描いているが、同八年十一月に三十六歳で没した。

東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めて.. (地理佐渡..)
2012-08-26 19:59:56
こんばんは。

写楽としては前進が描かれるというのに
珍しさを感じています。やはり役者さんの
描写は彼ならではの雰囲気です。良いで
すねぇ。

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Re:初めて.. (日本男道記)
2012-08-26 21:51:09
こんばんは!

暑いですが、虫の声が少し涼しさを演出してくれます。

人間ドックお疲れさまでした。
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