蟹工船(岩波文庫)小林 多喜二岩波書店このアイテムの詳細を見る |
【一口紹介】
◆出版社/著者からの内容紹介◆
おい地獄さえぐんだで-函館から出港する漁夫の方言に始まる「蟹工船」。
小樽署の壁の日本共産党万歳! の落書に終わる「三・一五」。
小林多喜二(1903-1933)25歳のときの2作は,地方性と党派性にもかかわらず思想評価をのりこえプロレタリア文学の古典となった。搾取と労働,組織と個人.歴史は未だ答えず。
◆著者◆
小説家。明治36年10月13日~昭和8年2月20日。秋田県北秋田郡下川沿村川口に生まれる。学生時代から小説を書き始め、志賀直哉の手法を熱心に学ぶ。大正15年頃、葉山嘉樹やゴーリキーなどの作品を通じてプロレタリア作家としての自覚を持ち、特に蔵原惟人の理論的影響を受ける。「一九二八年三月十五日」(昭和3)、「蟹工船」(昭和4)により作家としての地位を確立、この二作は海外にも翻訳され、優れた革命作家として国際的にも広く名を知られた。昭和6年10月、非合法の共産党に入党、翌年より地下活動に入る。昭和8年2月20日、赤坂で逮捕され、築地署で特高の拷問により殺害される。享年29歳。この虐殺に対し、ロマン=ロラン、魯迅をはじめ内外の進歩的文学者、諸団体の追悼と抗議が広くおこった。戦時下の八年間は、小林の作品集を所持しているだけで検挙の理由にされたという。代表作は「一九二八年三月十五日」、「蟹工船」、「不在地主」、「工場細胞」、「党生活者」など。
【読んだ理由】
小林多喜二の母セキを主人公にした「母」(三浦綾子著)を読んで。
【印象に残った一行】
「北海道では、文字通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本々々労働者の青むくれた死骸だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま人柱のように埋められた。北海道のそういう労働者をタコ(蛸)といっている。蛸は自分が生きていくためには自分の手足をも食ってしまう。これこそ、全くそっくりではないか!そこでは誰をも憚らない原始的な搾取ができた。儲けがゴゾリ、ゴゾリ彫りかえってきた。しぁも、そして、その事をたくみに国家的資源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。抜目がなかった。国家のために労働者は腹が減り、タタキころされて行った」
【コメント】
プロレタリア文学の代表作として有名、書名等は知っていたが今回はじめて読んだ。このような歴史があったことを私たちは常に再確認しながら生きなければと思った。