【まくら】
敵討は幕府の正式な法律用語である。許可が下りるのは、自分の目上の者(両親、兄姉、伯父叔父など)が殺された場合に限られる。しかし許可されるまで簡単ではない。主君の正式な免状を受け取り、さらに幕府の三奉行所の許可を受け、町奉行所の帳簿に記載され、その謄本を受け取って携帯する必要があった。そこでようやく敵討ちの旅に出られる。敵を発見したときはまずその土地の役所に届ける。役所は江戸の町奉行に問い合わせ、間違いなく許可を下した件であるとわかると役所が敵を捕らえ、場所を決めて決闘させた。じつは助太刀も、幕府の奉行所の許可を受け、帳簿に記載されている人物でなければ助太刀してはならなかった。思い立って現場で急に、ということは実際はないのである。このようなルールがあるので、敵討ちは江戸時代通して一〇〇件余りにとどまる。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
江戸中を”アッと驚くような趣向をして”花見をしたいと、中途半端な江戸っ子4人が話し合い、仇討ちという趣向で評判を取ろうと計画する。
仇の浪人一人に巡礼兄弟の仇討ち、それを止める六部の役どころ。花見の山で人出の多い昼頃に仇が目立つ木下で煙草を吸っているのを合図に、巡礼の二人が「親の敵ぃ~」と目いっぱい叫び真剣でやり合うが、そこに六部の仲裁が入り酒肴が出て、回りの花見客が呆気にとられている内に、お開き。これは趣向だと分かり、評判を取るという寸法。
練習を重ね翌日に仇役の建具屋の金さん、きっさぁんとよしさんは巡礼兄弟、ろくさんは六部の出で立ちでそれぞれ飛鳥山に向かう。
仇役の金さんは朝早くから木の下で合図の煙草を吸いすぎて目の回るほどの気分。
巡礼兄弟は道々真剣の仕込み杖で練習をしながら歩いていると、酔っぱらった武士の頭に杖がぶつかり、無礼討ちにすると脅されたが、連れの武士に仇を捜していると言い訳すると、もしその時は助太刀してあげると励まされ立ち去った。
六部のろくさんはおじさんの家に三味線と太鼓を借りに立ち寄ると、耳の遠いおじさんは誤解して家から出して貰えない。おいびつから酒を出して、おじさんを酔い潰してしまうつもりが逆に酔いつぶれてしまい、寝入ってしまった。
飛鳥山に着くと仇役は待ちくたびれて、いらいらしながら待っていた。
仇と巡礼兄弟は練習の通り、しどろもどろながら台詞を列べ、「親の敵ぃ~」と怒鳴ると花見客は回りに集まり野次馬となってきた。輪の後ろの野次馬は中が見えないので勝手なことを言いながら、見物していると、三人は人の多さにボーっとしていたり、三人どうしでこそこそ話し合いながら、変な仇討ちになっている。
ろくさんが来ないので間が持てないでいると、そこに先ほどの武士が助太刀だと言いながら輪の中に入ってきた。茶番の中に本気の武士が入り、三人がおたおたしていると、スキだらけだからそこをねらえとマジで助言。出来なければ拙者が討ってつかわすと刀を抜くと、「ワー」と三人が逃げ出した。
「どうして逃げる、勝負は五部と五部であるぞ」、「肝心の六部が来ません」。
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
地口落ち(地口とは駄洒落。同じ音を持った別の言葉と結びついて終わるもの。落語では最も多い。
折角の噺が駄洒落で終わるというので、評論家の評判はあまりよくないように見えるが、盛り上がったところでパッと切って捨てる見事な落ちになっている場合が多い。 )
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『楽しみは春の桜に秋の月夫婦仲良く三度食う飯』
『何事ぞ花見る人の長刀』
(本人は、流行の先端を行っているつもりかもしれないが、なんと無風流なこと、花見の席に長刀をさしてやってくるとは)
『やい桜咲きゃあがったか畜生め、うぬがおかげで今日もひぐらし』
『明日あると思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは』
『敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花』
【語句豆辞典】
【六部】六十六部の略。笈櫃に経典六十六部を入れ、日本六十余州の国分寺へ詣で、一部ずつ納めるので、六十六部といったのがはじまり。後には本物は稀で、多くは物乞い乞食の商売となった。
【この噺を得意とした落語家】
・三代目 三遊亭金馬
・八代目 林家正蔵
・五代目 柳家小さん
・十代目 金原亭馬生
【落語豆知識】
【声色】主に歌舞伎役者の台詞の物まねをする芸。ここから声帯模写が生まれた。
敵討は幕府の正式な法律用語である。許可が下りるのは、自分の目上の者(両親、兄姉、伯父叔父など)が殺された場合に限られる。しかし許可されるまで簡単ではない。主君の正式な免状を受け取り、さらに幕府の三奉行所の許可を受け、町奉行所の帳簿に記載され、その謄本を受け取って携帯する必要があった。そこでようやく敵討ちの旅に出られる。敵を発見したときはまずその土地の役所に届ける。役所は江戸の町奉行に問い合わせ、間違いなく許可を下した件であるとわかると役所が敵を捕らえ、場所を決めて決闘させた。じつは助太刀も、幕府の奉行所の許可を受け、帳簿に記載されている人物でなければ助太刀してはならなかった。思い立って現場で急に、ということは実際はないのである。このようなルールがあるので、敵討ちは江戸時代通して一〇〇件余りにとどまる。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
江戸中を”アッと驚くような趣向をして”花見をしたいと、中途半端な江戸っ子4人が話し合い、仇討ちという趣向で評判を取ろうと計画する。
仇の浪人一人に巡礼兄弟の仇討ち、それを止める六部の役どころ。花見の山で人出の多い昼頃に仇が目立つ木下で煙草を吸っているのを合図に、巡礼の二人が「親の敵ぃ~」と目いっぱい叫び真剣でやり合うが、そこに六部の仲裁が入り酒肴が出て、回りの花見客が呆気にとられている内に、お開き。これは趣向だと分かり、評判を取るという寸法。
練習を重ね翌日に仇役の建具屋の金さん、きっさぁんとよしさんは巡礼兄弟、ろくさんは六部の出で立ちでそれぞれ飛鳥山に向かう。
仇役の金さんは朝早くから木の下で合図の煙草を吸いすぎて目の回るほどの気分。
巡礼兄弟は道々真剣の仕込み杖で練習をしながら歩いていると、酔っぱらった武士の頭に杖がぶつかり、無礼討ちにすると脅されたが、連れの武士に仇を捜していると言い訳すると、もしその時は助太刀してあげると励まされ立ち去った。
六部のろくさんはおじさんの家に三味線と太鼓を借りに立ち寄ると、耳の遠いおじさんは誤解して家から出して貰えない。おいびつから酒を出して、おじさんを酔い潰してしまうつもりが逆に酔いつぶれてしまい、寝入ってしまった。
飛鳥山に着くと仇役は待ちくたびれて、いらいらしながら待っていた。
仇と巡礼兄弟は練習の通り、しどろもどろながら台詞を列べ、「親の敵ぃ~」と怒鳴ると花見客は回りに集まり野次馬となってきた。輪の後ろの野次馬は中が見えないので勝手なことを言いながら、見物していると、三人は人の多さにボーっとしていたり、三人どうしでこそこそ話し合いながら、変な仇討ちになっている。
ろくさんが来ないので間が持てないでいると、そこに先ほどの武士が助太刀だと言いながら輪の中に入ってきた。茶番の中に本気の武士が入り、三人がおたおたしていると、スキだらけだからそこをねらえとマジで助言。出来なければ拙者が討ってつかわすと刀を抜くと、「ワー」と三人が逃げ出した。
「どうして逃げる、勝負は五部と五部であるぞ」、「肝心の六部が来ません」。
出典:落語の舞台を歩く
【オチ・サゲ】
地口落ち(地口とは駄洒落。同じ音を持った別の言葉と結びついて終わるもの。落語では最も多い。
折角の噺が駄洒落で終わるというので、評論家の評判はあまりよくないように見えるが、盛り上がったところでパッと切って捨てる見事な落ちになっている場合が多い。 )
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『楽しみは春の桜に秋の月夫婦仲良く三度食う飯』
『何事ぞ花見る人の長刀』
(本人は、流行の先端を行っているつもりかもしれないが、なんと無風流なこと、花見の席に長刀をさしてやってくるとは)
『やい桜咲きゃあがったか畜生め、うぬがおかげで今日もひぐらし』
『明日あると思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは』
『敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花』
【語句豆辞典】
【六部】六十六部の略。笈櫃に経典六十六部を入れ、日本六十余州の国分寺へ詣で、一部ずつ納めるので、六十六部といったのがはじまり。後には本物は稀で、多くは物乞い乞食の商売となった。
【この噺を得意とした落語家】
・三代目 三遊亭金馬
・八代目 林家正蔵
・五代目 柳家小さん
・十代目 金原亭馬生
【落語豆知識】
【声色】主に歌舞伎役者の台詞の物まねをする芸。ここから声帯模写が生まれた。