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日本男道記

ある日本男子の生き様

渚の院・山崎 2

2025年04月29日 | 土佐日記

【原文】 
ここに、人々のいはく、「これ、昔、名高く聞こえたるところなり」「故惟高親王の御供に、故在原業平の中将の、世の中に絶えて桜の咲かざらば春の心はのどけからましといふ歌よめるところなりけり」。
今、今日ある人、ところに似たる歌よめり。
千代経たる松にはあれどいにしへの声の寒さは変はらざりけり
また、ある人のよめる、
君恋ひて世を経る宿の梅の花むかしの香にぞなほにほひける
といひつつぞ、みやこの近づくを喜びつつ上る。

【現代語訳】
そこで、人々が言うには、「ここは、昔、名声高かった所である」「故惟高親王の御供、故在原業平中将が、
世の中に絶えて…
(もしもこの世の中に桜の花が咲くということがなかったら、花の咲くの咲かないのと心を惑わすこともなくて、春時の人の心はどんなにかのどかであったろうに)
と歌を詠んだ所なのだ。
今、今日、ここに居る人がこの場所にふさわしい歌を詠んだ。
千代経たる…
(千年も経過した松ではあるが、今もなお、昔のまま身にしみいるように澄んで吹いている松風の響きばかりは、変はらないでいることだ)
また、ある人がよんだ歌は、
君恋ひて…
(親王を恋しく思って幾世代をも経てきたこの宿の梅の花は、当時と同じ香に、匂い立っていることだ)
と詠んで、都が近づいているのを喜びながら上って行く。


◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 

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