3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

不条理

2010-04-22 00:12:44 | 徒然
今日は帰りの電車の中でヘラルド朝日を読んでいた。

とても暗澹たる気分になりながら電車に揺られていた。


トピックとしてはかなり前のことになってしまうのだが、その記事を読んでいるうちに、やり場のない感情を抱く。

ハイチの大地震に関しての記事である。


その記事はハイチに救援に行ったドクターによって書かれていたものだった。

描写がとても生々しく、コンクリートにつぶされ、内臓がはみ出している少年などの描写は、
現地に行ったものならトラウマになるほどのものであろうと想像する。

そして、なぜ俺がここまで暗澹たる気分になったのかと言うと、
これが余りにやり場のない感情だったからである。


彼らが何かしたのだろうか。

彼らがコンクリートにつぶされ、想像を絶する苦痛を味わわなければならないことをしたのだろうか。

多分、どれだけ考えても分からないんだと思う。

多分、どれほど自分たちがこの様な状況にならなければならないようなことを何かしたかと考えても、
必死に神様に問うても、絶対に答えは出ないのである。



余りに不条理。


不条理という言葉でしか、表すことができない。



何もしてなくとも、何も悪いことしてなくても、逆にこの世のものとは思えないような極悪なことをしてても、
関係なく不条理な出来事は降りかかり、死ぬものもいる。

それが不条理だからだ。




そして、何でこの余りに不条理な出来事などを見たときに、やり場の無い感情を抱くのかと言うと、
その不条理が余りにも平等だからだ。


本当に余りにも不条理に、その人たちの住む地域に災害が起こった。
たまたま、今回そっちにいってしまった。

別に日本に起こってもおかしくない事だし、明日には日本に起こっても全くおかしくない。
今回は本当に偶然、ハイチだった。

つまりは不条理な出来事の中では誰もが平等なのだ。
誰もが起こることを避けられないし、起こってしまったら不条理を受け止めるしかすべはない。

だから、俺は被災地の人々に運が悪かったんだな、と一見余りにも無慈悲に聞こえる台詞を吐くことしか出来ない。

当然、起こった後のことに関しては、ボタンティアや募金など、支援はいくらでもやろうと思えば出来る。

だが、そうではなくて、大地震が起こったこと。
この不条理な出来事に関して、一体誰がどうこうできようと言うのか。

運が悪かった。これが不条理なんだ。
そして誰もが不条理が起こるかもしれないという条件下で生きているのだ。
不条理は誰にでも起こりえることなんだ。

そして、今回はたまたまハイチにその不条理が降りかかったんだ。

俺にはこの出来事をこうやって受け止めるしかない。



これが無慈悲な発言と言うのなら、誰か彼らを地震から救ってあげればよかったんだ。