観音正寺の帰り道、五個荘の近江商人屋敷を訪れた。
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(外村宇兵衛邸付近)
江戸末期から明治時代に大阪や東京に出て商売を成功させ、成した財で生まれ育った実家に蔵や日本庭園を備えた立派な家を建て、その家並みが保存され、まとまった集落となっている。屋敷の周りには堀がめぐらされ、その水を家に引き込み、洗い物をしたり庭の池に引き込んでいた。
集落のはずれの路地の名前が「てんびん通り」となっており、商売の始まりは天秤棒をかついで琵琶湖の魚などを売り歩いたのだろう。集落に住む親戚や近所どうしが売れるものの情報を共有したり、集団で都会に出て売り歩いたので、集落全体として成功者が数多く輩出されたのだろう。
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それぞれ都会に出て商売に成功した近江商人たちの子孫は、それぞれの都市に住んでいるため、現在の近江商人屋敷には主人は住んでいないとのことだった。保存会の人やボランティアが家を守っていて、維持管理の苦労話をしていた。
改修工事をしていた外村宇兵衛屋邸内をちょっと覗いてみた。
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戦前・戦後ごろの立派な家の造りだった。改修後は記念館として開放されることになっていた。
外村邸のとなりの中江邸にある茅葺屋根の蔵には屋根にサザエの貝殻のようなものがぶら下がっていた。たぶん、鳥除けか火の用心のお守りのようなものだろうか。「水」と書かれた壁も見られた。
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