チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

夏休みの計画に

2009-06-30 | 風見 治さんとハンセン病問題
大量の雨のお陰で雨水タンクが満タンになった。
そろそろ風見さんにお手紙を書かないと...、と思う。
メールならすぐ返信するのだが、直筆の手紙というものは正直億劫に感じる。
もらう側としては、メールより数段も手紙のほうが嬉しい。
嬉しいのだが、手書きというのは、自分の汚い字を見ながら書かなければならない。
その精神的負担に耐えながら、「なんて書こうか...」とも考えなければいけない。
まぁ、いいか、この乱れた字に、風見さんも見慣れたかもしれない。

前回、風見さんに会ったとき、「星塚敬愛園へ会いに行きます。年内に。」といった。
言葉に出した以上、もちろん実行する。
この夏、家族で鹿児島県鹿屋市にある療養所星塚敬愛園に一泊する計画を立てた。
最初、どこに宿泊したらいいのかと、近くの宿泊先を教えてもらうつもりだった。
風見さんの返事により、「星塚敬愛園の中に無料の宿泊所(星塚荘)がある」ことを知った。
以前は、無料で食事まで提供していたという。今は食事は園内の売店で自分で買うようになっているそうだ。

タダ...とは嬉しいが、うちの子の奇声....がちょっと心配。
風見さんら、驚かないだろうか...。
なんせ、うちの親と同年齢の方々ばかりなので...、でも、まぁ、行ったら行ったでなんとかなるだろう。
風見さんへの手紙に「ちょっと騒々しい娘ですが、よろしく」と書いとこうか。








雨、雨、雨...でも、満タンにならなかった。

2009-06-29 | 石木ダム・諫早干拓など
注文していた雨水貯留タンクがきた。
1tも水が溜まるので、ここ数日の雨で満タンになるかと期待したが、ならなかった。
どうも、なにかが外れていたらしい。
明日の天気はどうなのだろうか。
いつもは晴天が好きだが、タンクのお陰で雨が楽しみになりそうだ。
はやく、満タンにならないものか、見てみたい。
真夏は、打ち水に使いたいなと思う。

ところで、元は...とれるのだろうか...。
タンクと送料、台座にかかる経費等で6万ちょっと。
長崎市の助成で3万戻って、手出しが3万ちょっとになる。
耐用年数が10年。
う~ん、今から水道量のチェックもしてみよう。

♪後日撮った雨水タンクの写真。結構溜まりました~♪






石木ダム問題の今後は

2009-06-24 | 石木ダム・諫早干拓など
いろいろな新聞記事などをざっーと読んで、今後を考えました。

石木ダム建設推進派は、「話し合いの口実」ということで県民に理解を求め、県議会でお墨付きを頂き事業認定をしてもらう。事業認定するところは、国交省の管轄、今の県副知事藤井氏の出身どころだから、決定は間違いないと思う。県議会にしても、今のところ無所属会派(自民系?)の議員数人が「昔のように混乱を起こす強制収用をするな」と申し入れをしているが、ほとんどは賛成派。

絶対反対同盟側は「戦後、強制収用してダムを造ったところはない」といっているが、今回の推進派は本気で強制収用するつもりだと思う。強制収用をする際に起こるであろう県民の反発を和らげる目的で、県民に「わたしたちはこんなに一生懸命話し合いをしようとしているんですよ。なのに、相手(反対派)は無情にも追い返します」というパフォーマンスをマスコミを使って何度かしている。(市長と職員らが旗をもって周辺地にお願いコールにきたり...)

でも、その強烈なパフォーマンスが逆に石木ダム問題を知らない人へ感心を呼ぶことにもなっている。
昨日のニュースで、石木ダム建設反対派が県に4000いくらか...?の署名を持っていった様子が映し出された。
また、その前には雪の浦第二ダム反対派は、浦上川のかさ上げにより、ダム建設中止となり、会を解散することになった。不要になった会費や募金の残金を絶対反対同盟へ届け、個人単位で応援する、と地元紙に書いてあった。
31日のシンポで参加者から出た質問は「大村湾の生態圏を壊すのではないか」、「米軍の光熱費タダが、関係しているのではないか」、「今あるダムのかさ上げはできないのか」といろいろ疑問が出ました。

そうそう、2007年10月24日?の西日本新聞に「この20年間で米軍の使用水道量が2.5倍に増えた」という記事があるらしい。(有料なので見ていない。)

石木ダム問題は、絶対反対派とは別に、大村湾の環境を心配する方や基地問題を考える方が、それぞれがそれぞれに声を上げていけば現状が変わるかもしれない。

わたしは「強制収用は人権侵害」だから、絶対反対。税と環境の面でも反対。



7月は、チョコハナともうひとつ

2009-06-23 | 障害者問題あれこれ
 平成21年度自立生活支援セミナー  「地域学校への就学」
 
日時...平成21年7月19日(日) 14時15分~16時30分 ※受付...14時

場所...長崎市障害福祉センター4階研修室 (茂里町ハートセンター内)

参加費...無料

主催...長崎県自立生活支援センター

司会者...穐山 富太郎氏           

 ♪就学前の悩める親たちへのアドバイスになれば...ということでセミナーを企画されたようです。
 ★6人の障害のある子の親たちが10分ずつお話し、参加者の質問に答えるという形式でします。
 ☆よかったら、こちらも参加してください。

6月20日のチョコハナは

2009-06-22 | チョコハナ
まさに、糸山ゼミ...となりました。
プロジェクターに映る資料を見逃さないように、また、糸山先生の声も聞き逃さないように...と今まで以上に緊張感がありました。

今回は、直前に糸山先生と時間の配分を相談しました。
最初からコーヒーを出して、1時間半の時間を糸山先生にお願いすることになりました。
でも、「教育」の話というのは、奥が深いです。時間が足りない感じです。
実際に終わったのが、15時45分頃だったかと思います。

話の内容は、ちょっと難しかったですが、「へぇ~」という感じよりも「はぁ~」という感じでした。
「連想」という創造的な認知活動について、わらべ唄や謎かけをして楽しく話してくれました。
糸山先生、「チョコハナとかけて、私たち夫婦と解きます。そのこころは...どうにか続いている」。
う~ん、...ちょっと複雑ですが、座布団1枚?でしょうか。

また、文科省から「授業学」をつくれ、といわれて最後の10年はそれに取り組んだそうです。
わたしには、全部理解はできませんが、面白かったです。
その中で一番印象に残ったのが、「学習環境」のことです。
親は「いい先生なら、子も学ぼうとする」といいますが、教員の好き嫌いよりも大事なのは「どんな人達と学んだか」ということだそうです。
異年齢の子とともに学ぶのがいい(複式学級)といわれていますが、「仲の良かったクラスの子はいい教師になっている」。
...ということは、いじめのあるクラスは学ぶことにも、人格形成上にも良くないということなんですね。

当日、新しく参加した人が4名です。12人の参加者とわたしたち、糸山先生を入れて15名で時間を共有しました。
充実した一日でしたが、さて、次がすぐ来ます。
その次の次が未定です、誰かいませんか?




傷のなめあい?

2009-06-19 | 障害者問題あれこれ
娘が保育園に行っていたとき、ベテランの保育士さんがいった。
「学校は養護学校へ行ったほうがいい」と。
その一番の理由が「障害児の親同士、傷のなめあいができるから」だった。
彼女にも全盲の娘がいた。

でも、それよりも....娘が望む刺激のある地域の学校へ行った。
確かに、周りは障害のない子の親ばかりで、自分の子の悩みなど打ち明けることはできなかった。
できなかったのは、いっても相手が困惑するとわかっていたからだ。

なぜなら、友達も自分の(大したことでない)悩みは長々と話すが、こちらの悩みは熱心に聴こうとしなかった。
相手の立場になって親身に聴くというのは難しい、と思う。
まして「障害」というのは友達にとっても「未知」のものだろうから。
本音を吐露できる、そういった相手がいたら、わたし達親子はもっと楽だったのかもしれない。

先日、娘と大学病院を訪れたとき、帰りに娘の名前を呼ぶ女性がいた。
申し訳なかったが、わたしはどこかで見たことがある、としか覚えていなかった。
去る間際に彼女のネームプレートを見て「あっ、キヨちゃんのお母さん」だったことに気付いた。
中2のときの同級生だったはず。
その1週間前にもスーパーで二人のお母さんと出くわした。
ひとりは階段途中で、もうひとりはレジを終えたときに。
お互い、無視することなく、「どうしているの?」と聞く。
娘を支えてくれた子どもの親たちだ。

「傷のなめあい」よりも彼女らに出会えたことのほうが良かったかもしれないと、やっぱり思うのだ。









理解して、という前に

2009-06-18 | 障害者問題あれこれ
特別支援学校は、当たり前のことなのだろうが、生徒はみんな障害児である。
娘の通う特別支援学校もさまざまな障害のある子がいる。
中学校まで普通学級だったので、毎日送迎をしていると、生徒の数が多い分沢山の親と出会う機会があった。
その中でこちらに好意的な人もいればそうでもない人もいた。

それでは、特別支援学校へ行けば、お互い障害児だからと、親たちは受け入れてくれるもの...と思っていたが、実際は違った。
障害児の親たちは、自分の子の障害は理解してと思っている。
しかし、他の障害への理解は....というと、ない人が、驚いたことに結構いるのだ。

先日、肢体不自由の親が「(知的障害は)怖い、と自分の子がいっている」と、わたしの目の前で平気でいった。
彼女は別の知的障害のある子が「抱っこ、抱っこ」とせがむので、抱っこしてやったそうだ。(これをいうということは、抱っこしたくなかった?)
また、別の肢体不自由の親は「駐車場に(知的障害のある子が)飛び出して、危なかった」といっていた。
まぁ、車への飛び出しは確かに注意しないといけないけど、何も知的障害の子だけじゃない。
うちの近所の子どもたちも道路で遊んでいて、危ないことが多く...親はきちんと見ればと思うことがある。

失礼なことに、遠まわしに「あなたの子が怖い」といっているのだから、正直ムカムカとした。
でも、彼女の話を聞いて、何となく学校が娘を受け入れていない...と感じたのは、これだったんだと分かった。
彼女には、「卒業したらどうするんですか?社会に出ると、いろいろな人がいますよ。ずっと、揺り篭から墓場まで、こんな手厚くしたもらえればそれがいいのでしょうが、手厚いのは学校までですよ」といってやった。

特別支援学校とは、少人数で手厚く、他との交流は少ない。
きっと、親もワガママになりやすいのだろう。
我が子はかわいい、これは誰でもだ。
自分の子が他の障害児の親から「怖い」と思われていたら?
嫌ですよ。

自分の子の障害、自分の障害、自分の病気を理解して、という前に他のさまざまな人達のことも考えて欲しいと思う。















第15回チョコハナの案内

2009-06-17 | チョコハナ

  北欧の人ってどんな生活しているの?

~子育て、男女平等、政治をテーマにして、
    日本を捉えなおしてみよう~

 日時・・・7月11日(土)  10時~11時30分      受付9時40分~

 話題提供者・・・中田 慶子さん(NPO法人DVながさき代表)

 参加費・・・500円(コーヒー、お菓子付き)
       お菓子は、ケーキになるかも....。

 場所・・・コミュニティーセンター みずほ 
       ララなめし前方 

 お申し込みは7月9日(木)までに    

今週のチョコハナも面白そうですが、7月のチョコハナはコーヒータイムで熱く話し合うことになると予想しています。
なんだか楽しみです。

タクシーも公共性があるもの

2009-06-16 | 障害者問題あれこれ
毎朝、M君がお母さんと一緒にタクシーでバス停まで乗ってくる。
自宅近くのタクシー会社に配車をお願いしている。
タクシーの運転手さんはいつも同じ人でないので、親切な人とそうでない人がいるようだ。

今朝はタクシーが停まったあとに、すぐスクールバスが来た。
バスの運転手さんが車椅子をもち、わたしが娘を乗せたあと、M君とお母さんの荷物を持つ。
いつもの朝の風景だ。
ところが、M君を抱いて降りようとすると、タクシーがそのまま動き出した。
ドアを開けたまま、確認もしないままに運転手が発車したのだ。
すぐ気付いて車は停車したのだが、みんな、ひやっとした。
何もなくて良かったのだが、タクシーの運転手は「アイタ!」という顔をしただけで、去っていった。

これを見ていたスクールバスの運転手さんも怒る。
「いつもは温和なのに、今日は怒っていた」とM君のお母さんがいう。
M君のお母さんとしては、毎日利用しなければいけないし、利用する距離も短いので、苦情がいいにくいらしい。

でも、いくら支払うお金が少なくても、タクシー運転手が安全面に気を使うのは当たり前。
もらうお金が安かろう、高かろうじゃなく、運転手として「プロ意識」をもって仕事をすること。
タクシーも、長崎バスと同じで、民間であるけど、みんなが利用するもの、公共性のあるものだと思う。
運転するものは、「安全第一」に使命感をもってほしい。

さて、M君のお母さんはタクシー会社に苦情を伝えたのだろうか。


Sさん親子

2009-06-15 | 障害者問題あれこれ
先月、数年前に知り合ったSさんとそのお母さんに会った。
Sさんはわたしより目上だが、お母さんはわたしの親よりはるかに若い。
Sさん親子が二人並ぶと、親子というより姉妹の感じがする。
近くのお店で休憩しながら、3人で語り合うと、Sさんのお母さんは16歳ぐらいでSさんを産んだことが分かった。

Sさんには麻痺があるが、小・中学校は通常学級で学び、短大を卒業した。
わたしは、以前Sさんから話を聞いて、Sさんもすごいなと思ったが、行かせた親もすごいなと思っていた。
だから、一度、Sさんのお母さんから直接聞きたかったのである。

「言葉は聞き取りにくいが、知的障害がないので、地域の学校、通常学級でいいといわれた」そうだ。
また、Sさんの親は自営業なので、学校のことや病院の診察なども父方の母、おばあちゃんがしてくれた。
なんとも、羨ましいことに、お姑さんは障害児を産んだ嫁をいびることなく、献身的に世話をしていたという。
「おばあちゃんが、この子をあっちこっちと外に連れ出してくれたから、この子も一人であっちこっちと出かけることが出来るんです」。

Sさんはおばあちゃん子だったのだろう。
おばあちゃんにとってもSさんは自慢の孫だったのだろう、と思う。
そんないいおばあちゃんに恵まれても、Sさんのお母さんはいろいろ苦労されたのだと想像する。
「まぁ、やっぱりいろいろ....」という言葉の間に、それはいろいろとあったのだろうと感じる。
長い年月だもの、いろいろあるよね、と思う。

Sさんは「特別支援学校はいらない」といっていたが、中学校のときはいじめがあったことを教えてくれた。
お母さんには心配掛けまいと思ってか、長いこといっていなかった。
とても頑張り屋で優しいSさんなのだ。

Sさん親子と出会ってから、わたしは尚更思った。
よし、あのお母さんがいづれ息を引きとるとき、そのとき少しでも安らかになれるように頑張ろう、と。

それに、わたしにとってSさん親子の存在は大きな励みとなっている。
これからもSさん親子とは交流を続けていきたいと思う。