チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

車いすでバス

2009-07-31 | 日々のひとこま
昨年の朝日の声欄に載った投稿が気になっていました。

福岡市の主婦、友清さん(69)さんという方が書かれたものです。

『 先日、友人と近郊の低山へ登った帰りのことでした。
福岡市の都心へ向かうバスで、座席がほぼ埋まっていたころ、とあるバス停に車いすの青年が待っていました。
 運転手は降りて「乗りますか」と尋ねました。それから運転手は、バスの中ほどにある座席の2人に立ってもらい、車いす用のスペースを作りました。次に乗降用スロープを引き出して車いすを押し乗せ、所定の場所に幅広のベルトで固定しました。スロープを車体に収めて発車。
 幾つ目かのバス停で青年が降りることになり、運転手はスロープを引っ張り出しましたが、段差が20㌢ほどにある歩道までわずかに届きません。それでバスを数㍍前進させて、今度はうまくスロープが歩道につながり、青年を降ろすことができました。運転手はスロープを引っ込め、座席を元に戻し、バスの遅延を乗客に断り、発車しました。とても暑い日で、見ている私たちにもその大変さが伝わってきました。
 残念なことに、その青年からは言葉も笑顔もありませんでした。20分の遅れと引き換えに「ありがとう」の一言か会釈でもあったなら、仕事とはいえ運転手の汗も報われたことでしょう。乗客も心から「よかった」と思えたことでしょう。』

この投稿は、とても何か引っかかっていました。それは、わたしだけでなかったようで、これに関したものがいくつか載りました。
同じ車いすを使っている女性は『障害者の中には言葉が出ない人、身体が思うように動かずに誤解されている人がたくさんいます。わたしは乗ってから降りるまで、みなさんに迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいです。』、『投稿に書かれていた車いすの青年は「他の乗客に迷惑をかける」「好奇な目で見られる」などと思いながらも、勇気を出してバスに乗ったのだと思います。そのことで頭いっぱいになり、感謝の気持ちを伝えることが出来なかったのではないでしょうか。』と当事者の立場で青年を弁護していた。
また、路線バス運転士は『公共交通という責務を担っている以上、老若男女、障害者も含め同じお客様として接しております。』、『スロープ作業も含め当然の職務と思っている運転士がほとんどですので、あえてお礼を言う言わないにこだわるつもりはありません。』、『安全を最優先に、平等に、定時運行のバランスを常に考えて乗務いたしますので、どうか偏見なく温かく見守っていただきたく思います。』と、何ともプロ意識のある発言です。

わたしも、時間や手間がかかったということでお礼はいうべきなのかどうか...と考えていました。自分なら....とあれこれ考えていたのですが、それはその人、そのときでいいいのではないかと思いました。いいたかったらいえばいいし、別にいわなくても会釈しなくても、いいのではないか...と。

それよりも、この投稿した、この文章...何かひっかかるのです。
何だろうと思っていたら、「乗客も」という言葉です。
投稿した女性は、丁寧な文章で書かれていますが、「わたし」と書かずに「乗客も」と書いています。あたかも全員が礼をいわなかったことに不快感があるといっているのです。

果たしてバスの乗客はどんな思いだったのでしょうか。青年が降りたあと、全員が「礼ぐらいいったらいいのに」とつぶやいていたのでしょうか。

自分が感じたことを、みなさんが感じていたのですよ、という書き方に卑怯な感じがします。わたしは、そこが不快に感じます。









パンフレットから分かること

2009-07-30 | 障害者問題あれこれ
手元に知的障害更正施設Gのパンフレットがある。
これは、市役所に立ち寄った際棚にあったものをもらってきた。
娘の将来の参考に、と手にしたが、実際にこの長崎から施設のある島原へ行くことはないかとゴミ箱行き予定だった。
でも、せっかくカラーで上質な紙を使っているので...しみじみ利用者が写っているパンフレットを眺めてみた。

それであることに気付いた。
利用者は笑顔だ、だけど、....なぜ全員男は坊主で、女はショートヘアーなのだ
かたや支援する側のスタッフはパーマかけ、今風の洋服を着ている。
利用者のほうが若いのではないかと思うのだが、利用者は...わたしからいわせると年寄りの服装だ。

施設の立派なパンフレットとは対照的に、利用者は本人の好みは無視され、施設側の都合の良いようにされていることが分かる。
本来施設側は利用者があってこそ成り立つものだろう。
未だに...してやっている感覚なのではないかと思う。

まだまだ....知的障害のある人の人権は...遠いなと感じる。









疑問だらけの事件

2009-07-30 | 日々のひとこま
おととい雑誌などの整理をしていたら、新聞の切り抜きが出てきました。

そうそう、石木ダム建設問題の前には、この事件についてずっと考えていたのでした。

それは、前長崎市長射殺事件のことです。

なぜ興味をもったかというと、ある日の記事に、加害者が知人に電話で殺害を依頼するときのことが書かれていました。加害者、妹尾被告は確か...「一長か金子のタマをとれ(命)、久間はやめとけ」と発言したと、朝日新聞に書いてありました。(長崎新聞は「久間はやめとけ」の発言は書いてありません。)
また、妹尾被告は久間議員から警備の仕事を斡旋してもらう予定だったとか。

これらの記事を読んで、「なぜ久間はやめとけ」なのか?と大きな疑問が生じました。
長崎新聞も「国会議員」としか書いてありませんが、事件の特集を読むと記者もこの事件、裁判に対し疑惑がある..というのが分かります。
過去の事件として埋没させるのでなく、これも注視していかないといけない問題だと思います。

出てきた新聞の切り抜きは、死刑判決に対し書かれたものです。
2008年5月29日(木)の朝日の私の視点から抜粋します。
打つのが大変なので....。

長崎市長射殺に死刑判決 「民主主義への脅威なのか 」作家 高村 薫

 先の長崎市長選に立候補していた現職市長が選挙期間中に暴力団幹部に射殺された事件で、長崎地裁はこの元幹部に死刑を言い渡した。判決いわく「民主主義を根幹から揺るがす犯行」であり、「被害者が一人であることを考慮しても極刑はやむを得ない」ということであるが、これには強い違和感を覚えた。
 この事件は、ほんとうに民主主義社会へのテロ行為と呼ぶような性格のものだったか。...事件のきっかけは、...市の中小企業向け融資を受けられなかったことを巡り、市に不正があったとして地検に告発までしたものの不起訴処分とされたことのようである。判決では、市にも相手にされなかった被告が市長を逆恨みしたとされたが、この経緯と「民主主義への脅威」の間には、いくらか距離があるように思われる。
 被告が市の公共事業で食べてきた暴力団幹部だったという事実が教えているのは、まずは地方自治体の公共工事をめぐる長年の不透明な官民癒着の構造である。
.......なぜ市長を殺そうと決意したのか。要は動機の追及であるが、地裁判決は、これを被告の短絡的な逆恨みと断定しつつ、民主主義への脅威と結びつけた。これは明らかに論理の飛躍であろう。
 判決は、事件が選挙期間中に起きた点を重視したようであるが、そこに至る動機よりも選挙妨害という結果を前面に押し出した判断は、はたして妥当なのか。死刑判決の是非の前に、何よりも刑事裁判で、こうした恣意的な判断がまかり通ることに危機感を覚える。.......。
 行政訴訟や公害訴訟、薬害訴訟などではなかなか民主主義を標榜しない裁判所が、なぜ刑事裁判で民主主義を唱えるか、気味の悪い判決だと私は思った。




第三者の目も必要

2009-07-29 | 支援が必要な子
ここ数日、寝起きの娘の目が左向きにチラッ、チラッと動いていた。
昨日は「明日発作が起きないか」と不安だったが、的中した。
5時22分、トイレ中、発作が起きた。
頭が左右に揺れ動きだした。
ゲッ、これは、このまま頭がはげしく何分も振り動いたら...首も脳もダメージ受けないだろうか。
手足のガクガクという大発作も困るが、それよりもこんな動きがもっと負担が大きいだろう。
二階で寝ている連れ合いに声かけ、その間冷蔵庫から座薬を取ってくる。
座薬挿入で抱きかかえられると首振りは止まりだした。
今月2日と同じ、時間は短かった。

次の発作が来ないように覚醒させないと...娘に話しかけていくと、声が出た。
少しほっ...、でも今までとちょっと違う感じだ。

今度の発作も、薬の減量のせい?
ラミよりもトピナ?トピナが効いていた?

こういうとき、第三者の目が必要なのだ。
けれども、昨年はセカンドオピニオンはできなかった...が、やっぱりあきらめない。

先ほど別の先生に℡する。
以前も「ちょっと...」と後込みされたことがあるが、しつこく頼んで後日相談してもらうことに。
その先生曰く「難治性てんかんを診る人は二人しかいない」。
うちの主治医と昨年頼みに行って腹立つ思いをさせた女医さんだとか。

ともかく、第三者からのアドバイスがほしい!
昨年、セカンドオピニオンとしてあの女医さんに見てもらうために作ったノートを、今度は見てほしい。
医者同士のゴチャゴチャは、わたしらに関係ない。

困っている患者を救うため、叡智をお貸しください。


追伸...「本日のほうがいいかも」という連絡が入り、今日ノートを持って相談してきました。
本当は医者同士がお互い知らないほうがいいのだと思いますが、それでも話してきて良かったです。
セカンドオピニオンは、てんかん患者にも必要だと思います。
○○先生、いつも突然の℡で申し訳ございません。
お忙しいところを親切に聞いていただき有難うございます。

劇団the・創 舞台劇

2009-07-28 | 障害者問題あれこれ
~魂の詩 近藤益雄の生涯~

 戦前の平戸児童生活研究所、戦後の平戸文化協会、さらに教え子を戦場へやり長男を原爆で失ったいたみと悲しみの中で始めた障がい児の教育と福祉の実践、民間教育の支援。
 そうした先駆的な業績は、文部大臣表彰、読売教育賞、西日本文化賞、ヘレン・ケーラー賞、長崎文化賞ほか数多くの賞にも輝いた。代表的な著作は、没後『近藤益雄著作集・全八巻』(明治図書)に収められている。


日時...7月31日(金)午後7時~(開場/午後6時30分)


場所...チトセピアホール

前売り券/1800円(当日2000円)
学生・障がいのある人/1500円(当日1800円)

チケット問合せ先/0957-26-5567(永山)

★近藤益雄さんは、長崎純心大学客員教授 近藤原理さんのお父さんです。
 娘が小さい頃、図書館で本を借りて彼らの本を読み漁っていました。
 長崎にも、こんな方がいたとは驚きでした。
 先月、愛燐会の田島理事長が家族で障害のある人と共同生活をしたことがあった、といっていましたが、近藤益雄さんはそれよりも前の、より大変な時期に始め、自ら命を絶ったあとも妻が、息子が意思を引き継ぎ実践し続けました。
 そういえば、近藤益雄さんは途中でカトリックに改宗しましたが、わたしは仏よりもキリストのほうがこころの負担が軽くなるのか...それ以来考え続けています。また、孫の近藤マコトさんでしたっけ?彼も教員ですが、わたしはとても興味があるのです。彼こそ幼いときから知的障害のある方たちと共同生活をしてきているので、それが彼の人格にどのような影響を与えてきたのか、それが知りたいです。ぜひ、一度お会いしたい方なのです。

♪劇、よかったら見に行ってください。



ヘルパーになった夢

2009-07-28 | 日々のひとこま
昨日は午後から右下腹が痛み出し...「盲腸?」の不安と戦いながら夕ごはんを作った。

娘は昨日と今日は入浴付きのデイーサービスを利用している。
体調の悪いときは、特にお風呂を入れてくれるのは助かる。

薬の減量で、以前のように20時台には寝る娘に付き添い2階へ行く。
お腹が痛いときは...寝たらどうにかなるだろう...、とそのまま寝てしまった。

早く寝たからなのか、夢をたっぷり見た。
それもなぜかヘルパーの仕事をしている夢。
利用者は、車椅子を使っているTさん。

夢の中でヘルパーデビューをしたわたしは、Tさんの外出ヘルパーとして一緒に電車に乗る。
空いている席を素早く見つけ、お隣の方に「この席、いいでしょうか?」と確認し、Tさんを座らせる。
電車が駅に停まって、今度は特別支援学校の子どもたちが乗ってきたようで...Tさんに近づいてくる。
Tさんと子どもたちの間でワンクッションの役目をしているわたし。

それが、場面が変わり、どこかの集まりに参加していた。
自分が邪魔にならないようにTさんの側にしゃがんだりしているのだが...もたついている。
思うようなスマートなサポートができない...。
「あ-、初めてだから仕方ないかな...」と心で思うわたし。

また、場面が変わり、今度はTさんを迎えに行く場面になった。
初めて行く場所で...小さな街の商店街を通る。
ところが、その先は切れている。
数メートル下の道に行くのに絶壁のような斜面、斜面に付いた柵を伝って降りるしかない。
高所恐怖症のわたしが、目の前で一人のおじさんが平然と降りていく様を見ながら「約束の時間に間に合わない」と、意を決して柵の鉄棒をつかむ。
降りたあと、今度はTさんの家には裏からか表から入るべきか悩んでいる...。

そんな夢を見たのは、昨日Tさんから届いた暑中見舞いだったのかもしれない。

夢の中でヘルパーの初体験をして、...ヘルパーさんの大変さも分かったし、夢はつくづく連想の世界なんだなと思った。

お腹の痛みはなくなったので盲腸ではなかったらしい....ほっ....。


中尾城公園のモノレール

2009-07-27 | 日々のひとこま
今月中旬、休日の暇つぶしに長与町にある中尾城公園へ行ってきました。

実は、なごみ家さんの月一回の便りに「モノレールに乗った」と書いてあったので、わたしたちも「乗りたい!」と出かけました。

受付前の自販機でチケット3枚購入し、モノレールに乗りました。

同乗した小学生の女の子は固まってしまいましたが、娘はお構いなしに大興奮でした。

モノレールから降りて展望所に行き、長与の町を眺めていると、高齢の男性が近づいてきました。

何かと思うと...「戻すから」と100円返してくれました。

そういえば、「モノレールは高齢者と障害者は無料」と受付近くに看板がありました。

係りの人は、うちの子の障害に気付いて...わざわざ下から登ってお金を返してくれたのです。

とても良心的なところでした。





仕事は仕事!

2009-07-25 | 障害者問題あれこれ
昨日は医福懇の事務局会議があって市役所近くまで行った。
せっかくそこまで行くのだからと市役所に立ち寄ってきた。

今年になって知ったのが「高額地域生活支援事業給付費」のこと。
うちの子のように地域生活支援事業を利用し、障害福祉サービスも利用している場合は、合算し上限額を超えた分は払い戻しができる。
それまで、地域生活支援事業の移動支援の利用料と障害福祉サービスの児童ディーの利用料とは合算できないと思っていた。

知ったからには、過去の分も領収書と明細書を準備し、今年の4月中旬に新しい担当者の下で申請手続きをした。ところが...三ヶ月は経つのに未だ振り込まれない。
福祉医療費の振込みは早いのに...なぜ三ヶ月もかかるのだろう、と気になっていた。

早速、担当者に「いつ頃振り込まれますか」と尋ねると、あっさり「わかりません」との返事。
えっ、なんで?と聞くと「2年前の分(1件)を書庫に取りに行かないといけないのですが、未だ見つけることができません」という。
そのあと、彼は「(申請書の)日にちが経ったので今日の日付を書いてください」と用紙を持ってきた。
日付の改ざんを平気で求める行動に、頭の中はぐるぐる回った。
大きな声で上司を呼んで、日付の改ざんを求められていることを伝えようか、いや...。
しつこく迫る彼に「日付の改ざんはできません。したとしても、どうせ遅くなるでしょう」と告げた。
「ともかく早めにしてください」とお願いして、別の担当者を呼んだ。

別の担当者には例の二つの上限額の件を聞いたのだが、厚生労からの回答がきて、話し合うということだった。
今までわたしのように疑問を持った人達はいなかった...と聞いた。
(やっぱり長崎人なんですね,お上のいうことには反論しない)
それから、さきほどのことを話した。
「4月に申請した分が書庫にいかないと処理できない、いつ振り込まれるかわからない状態。早く振り込んでもらいたいが、大変みたいなので、誰か手伝ってもらえないのでしょうか、さりげなく支援を」とお願いした。

障害のある彼が書庫で探しものをするなら時間がかかることは予測つく。
彼の周りのサポートがうまくいかないのは周りの気遣いがないのか、彼自身が他人に協力を頼むことができないものかは分からない。
だが、自分自身の仕事の遅れを隠そうとして日付の改ざんを求めるべきではない。
障害があろうとも仕事として請合った以上は自分の仕事なのである。
できないならできないで上司に支援を求めたらどうかと思う。

障害者が働くということに、あれこれ考えた一日だった。










ラミクタールの減量中

2009-07-25 | 支援が必要な子
先週の日曜日からラミクタールを減量させ始めた。
125㎎→100㎎→75㎎→50㎎
現在50㎎まで減らした。
主治医には「パニックになったので、ラミクタールを減らしたい」と伝え、了解を得た。

薬は増やすときも副作用を気にしながら増量させるが、減量がより難しい。
今月初めの大発作もトピナを切ったからのようだから。
別にトピナが発作に有効だったというわけではないらしい。
自分なりの考えではどうも薬物中毒患者が薬を減らすときの...あんな感じなのかなと思う。

過去、今の主治医の処方である程度の薬の量で切られて発作が止まらなくなったことがあった。
リバウンドである。
本に書いてあったが、本当に恐ろしかった。
今なら主治医がそんな処方しても鵜呑みにすることはしない。
あのとき、主治医は他の患者に気をとられていて、考えずに処方したのかもしれないが、ひとりで発作が止まらない娘を抱きかかえて救急車を待つ間、電話もかけるのも困難だった...大変だった情景が浮かぶ。

そんな苦い経験があったのにトピナのときは注意しなかった。
50㎎から25㎎、5mgと処方してもらったら良かったかもしれない。
だから今度のラミクタール....うまく切りたい。

一部の元地権者

2009-07-21 | 石木ダム・諫早干拓など
昨日の夕方、石木ダムについての特集番組があった。
佐世保市の水道局は「毎日約1万トンの漏水」を認めていたが、「長崎市の次に漏水していない」などと反論もあった。また、佐世保市民に石木ダムのことをインタビューしていたが、あれを見て自分達の水問題なのに「渇水時は困る」などというだけで何も知らないのが分かった。

長崎市民のわたしが関心を持っているのに、自分のことならもっと関心を持ったらどうなのか...と思うのだが、行政のいわれるままで...それを鵜呑みにしてしまうのだろう。これは、やっぱり佐世保市のアーケードで何度も石木ダム問題について訴える必要があると思う。
「自分の土地にそのまま住みたい」と思っている方々の土地を奪ってダムを造り、水道代も高くなる、本当にダムはいるのかどうか、佐世保市民にこそ当事者になるのだから、この問題についてもっと知ってほしい。

この番組報道で特に腹が立ったのが、推進派の元地権者だ。
先日から彼らが「地縁、血縁が元に戻るため、早期にダム着工を」と要望しているのを知っていた。立ち退いた人、立ち退かない人の間でいろいろな感情があるのは想像できる。
情けなく感じたのが、テレビに向かって「農業しなくても寂しくない」などと県のまわしもの?のような発言。
「昔のような付き合いをしたい」というよりは近くで土地を手放さない彼らがいると、土地を売った自分たちは後ろめたさを感じるのだろう。

立ち退いた人は、納得して土地を売却した。
今、反対している方は土地を売ることに納得できないから踏ん張っている。
立ち退いた人は、その強硬な意志を尊重し、そっと彼らを見守ってあげたらどうだろうか、と思う。