チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

呼びかけて集まった物品

2010-01-30 | 障害者問題あれこれ
「長崎市にもホームレスになっている方が30~40人います。新品で不要な日用品があったら、寄付してください」。
うちの子が利用している事業所などに呼びかけました。


昨日は、大地さんのところで集めた物品がたくさん届きました。(写真)
みなさん、不要なものということで「一石二鳥だ」と持ってきてくれたようです。
ティシュはなかったのですが、タオルと歯ブラシ、髭剃り、石鹸はもう十分かもしれません。

昨夜、ごちゃごちゃのままで銀屋町教会へ届けるのは...と思い、ばばばっーと分別してみました。
その中で気づいたのですが、「うん?」と考える品物もありました。うまく伝わらなかったようです。

でも、元宝塚の...誰でしたっけ、テレビでCMしているお茶の石鹸も3個ありました。
わたしも試したいと思っていた石鹸ですが、値段が結構するので未だ躊躇しています。
これはバザーなどで換金できないものか....とあれこれ考えましたが、提供物品は全て長崎のホームレスを支援する会へ届けます。
あちらのほうでどうするか考えるでしょう。

...月末に届けようと思っていたのですが、予想外の品数となり、教会へ車を横付けしないと一人で持っていけません。
それにあとひとりが未だなんです。
セレブな彼女なら...いろんな物品があるかも....。

協力してくれたみなさん、どうもありがとうございました。
来月中銀屋町教会へ届けます。(ちょうどそちらへ行く予定があるので)






通知書

2010-01-29 | 障害者問題あれこれ
今朝、Nちゃんのお母さんから電話があった。

「通知書が届いたから、平山さんに真っ先に報告しようと思って」。

...という嬉しい報告だった。

通知書というのは、就学通知書のこと。通常、就学・進学する児童・生徒へ1月末までには届くようになっている。

お母さんは、小学校は普通学級でがんばってきたが、本人の体調やいろんなことを考慮して中学校は特別支援学級を希望していた。
けれど、重度の子は「特別支援学校へ」と行かされないか心配だったらしい。
その通知が届いたという。

たった1枚の紙切れで親は胸をなでおろす。
そういえば...Nちゃんのお母さんに「大丈夫、(通知書が)くるよ」とあっさりいっていたが、わたしも何年か前、手にした通知書の文字がかすんで見えたことがあった。
今はそれさえも懐かしく感じる。

さて、今年も、がんばっている親たちとランチの新年会でワイワイガヤガヤおしゃべりしようと思う。


※写真は、時津町にある評判のお店。







どなたにも読んでほしい本

2010-01-28 | 本と食べ物
-障害があるからこそ普通学級がいい- 片桐健司  定価:1600円+消費税 発行:千書房

「障害」児を普通学級で受け入れてきた一教師の記録....と本の表紙に書いてあるが、これは障害のあるなしに関係なく、どなたにも読んでほしいと思う。

障害のある子を持つ親の気持ちも、本人の気持ち(代弁)も、周囲の子の成長も、教師としての想いも...いろんなことが書かれているが、より深く「教育とは何か?」、教育の本質なるものを考えさせられ、教えてくれる。
それに、とっても読みやすい!読み手に書き手の伝えたいことがさらりと入る。わたしも、こんな文章を書く片桐先生の授業を受けたかったなと思うし、自分自身長い不登校時代もなかったのかもしれない。

本の中に、障害のある子、ひとりを大事にする教師というのは、ほかの子全員を大事にする教師でもある、というようなことが書かれていたが、そうだと思う。たったひとりを大事に出来ない人は、その他も大事に出来ない。

ひとつだけ紹介したいところがある。(以下抜粋)
 障害者の権利条約では、「障害」は、「他者との平等に基づいて障害者が十分かつ効果的に社会に参加することを妨げる人々の態度や環境における障壁との対立から生じる」とある。つまり、その人の周りの人と違うことが「障害」ではなく、違うことによって生じた「壁」こそが「障害」と言う。学校でも社会でも、もしそこにうまくいかないことがあったら、「そこにその人がいるからいけない」のではなく、その人がいるところでその壁(問題)を取り除くことが必要なのだ。
 人はみんな違う。その違いをお互いに知り、大切にし合う関係が生まれたら、ともに生きる社会に少しずつでも近づけると思う。そのためには、どんな子もあたりまえに地域の学校でいっしょに過ごしていくことからまず始めなければならないのではないだろうか。





るーちぇ③

2010-01-27 | 障害者問題あれこれ
住民の反対運動にも屈せず建った「るーちぇ」ですが、残念なことに事業は頓挫してしまいました。
宣伝が足りなかったこともありますが、開所が6月と遅れたことが大きかったと思います。

しかし、「るーちぇ」がなくなると聞いたときは、本当に残念でした。
なぜなら、高齢者施設では立派な建物があるのでしょうが、障害者施設ではありません。
「るーちえ」は、床も低反発素材のようですし、内装もきれいです。
こんな立派な施設で、それでいて、利便性の良いところなんて、ほかにない!のです。
送迎、入浴も可で、またスタッフが良かった...。
食事も栄養士が考え、その場で調理員が料理する。
うちの子の将来...にと考えていたので、ショックは大きかったというのが本音です。
いかに高齢者のほうがマシで障害者施策というのは貧弱なものか...と思います。
 
余談ですが、あの新会長となって「るーちぇ」の施設建設に反対した方、彼の現在は知りませんが、直後は知っています。
「脳梗塞になって半まひの後遺症がある」と聞いていたのですが、偶然ご夫妻と出くわしました。
確かに...そうなっていました。
現在、後遺症がどのくらい減っているかは知りません。
高齢者も本人が元気だと「自分が障害を持つようになる」とは想像できないのでしょうね。
人とは自分が実際に痛みを知って少し他人の痛みが分かるのかもしれません。

現在、「るーちぇ」は、コミュニティーセンターとして再出発しています。
コミセン利用第一号はチョコハナです。
明るい色彩のお花が描かれているテーブルはチョコハナの雰囲気を和ませてくれます。

「コミセンにする」という話を聞いたとき、「じゃあ、わたしは...」と、チョコハナをする宣言をしました。
いろんな方に考えるきっかけ作り、それがいい世の中作りにもなるのではないか、そういう想いのほかにもうひとつあります。
住民の反対運動があった場所だからこそ、人の出入りがあって賑わってほしいと思ったからです。

わたしの想いに共感する方はどうか、よかったらコミセンへ来てくださいね。



るーちぇ ②

2010-01-27 | 障害者問題あれこれ
この前、障害者施設建設への反対運動の話を聞きましたが、話し手はどうも時間が経って忘れていたようなのでもう少し詳しくお知らせします。

平成17年6月に知的障害者の通所施設「るーちぇ(イタリア語で輝くという意味だったと思います)」が開所されました。
本当は6月開所でなく、4月に開所予定でした。
なぜ2ヶ月遅れたかというと、市の建築課などの許可が下りるのに時間がかかりました。
なぜ許可が下りるのに時間がかかったというと、多分、地域住民の反対運動があったからでしょう。

ところで、住民はなぜ反対したのでしょうか。
実際にチョコハナへ来られるとよく分かりますが、団地の真ん中に建っていません。
どうも「知的障害者の施設が同じ自治会に入る」ことが気に入らないようで、それにより「施設が出来ると、自分たちの土地の評価が下がる」というのが第一声でした。
もっとも、地域住民の全員が反対していたわけではありません。

最初の自治会役員3役の方はとても好意的でしたし、周辺の住民もいい感じです。
住民説明会のとき、まさかあんな障害者差別発言などを聞く羽目になると思わなかったようです。
3役はつらい立場に追い込まれ、反対派が3役を務めるようになります。
「ここはエリートの住むところだ」と障害者差別のような発言をしていた方が新会長となり、施設側が市へ陳情すると反対派も市へ陳情し、自治会の全世帯を個別訪問して「あなたは反対派か、賛成派か」と聞いてまわりました。

そのころ、わたしは時々ある喫茶店へ寄っていました。
その日、オーナーに「何であそこの住民は施設に反対するのか」などと言い始めると、隣に座っていた女性が「障害者はね、街中じゃなくて山奥がいいのよ、空気もきれいでのんびりできる」などとしゃべりだしました。
えっ?何で...と思ったら、この女性は新会長の奥さんだったんです。
そして、この女性の夫がまさかあの人だったなんて....と驚きました。

わたしは、その数年前に新会長とも会っていたのです。
当時出会った彼は紳士的で、「普通学級にも介助員拡充を」という署名活動にも協力してくれました。「ボクの名前を出したらいいよ」と知り合いの市議の名刺までくれたのです。
なぜ?なぜ?...障害者に理解ある行動を示した方が実際に同じ自治体に入るというだけで、差別的行動をするのか?

ちょうどこのパターンって、ハンセン病元患者が黒川レディース旅館から拒否され、謝罪した女将に対する態度が気に入らないと、理解していたような人たちから誹謗中傷された事件とまったく同じではないでしょうか。
一見、障害のある人たちの立場に寄り添う感じですが、何かあると本人が知らない心の奥の差別心が湧き上がってくるのでしょう。









29日、行きたい!!

2010-01-26 | 日々のひとこま
本日、急な来客がありました。

近頃、わたしの頭の中は「知事選」のことばかりなので、ついでに誰が一番知事にふさわしいかどうか聞いてみました。

橋本氏については「実際、彼は(県政についても)何も考えていないと思う」。

大仁田氏については「意見がころころ変わる。正直、この人は大丈夫かな?と思う」。

...ということで、どうも落ち着いた感じの深町氏が5人の中ではいいかなと思っているようです。

29日の討論会?に行きたい....けど、行けないので、行った人から感想を聞きたいと思います。

どなたか教えて....ね。







あさり ②

2010-01-25 | 障害者問題あれこれ
 「普通じゃないのよ」
その声に、熊手を持つ手を止めて数メートル先を見た。潮干狩りに興じている幼児2人を連れた若いお母さんの口から出た言葉だと分かると、振り向いて娘を見た。

 先月、中学生になった娘には、重い知的障害がある。思春期のシンボルも現れ始めたその顔や手は、泥で汚れていた。そうか、子供から「あの人、大きいのに泥で遊んでいるよ」と質問され、それに答えたのだろう。母親もどう説明したらよいのか分からなかったのだろう。けれど、「普通じゃない」という言葉は、幼い子供たちをぴしゃりと黙らせるのには効果があった。

 休日で天気も良く、おまけに大潮だったので、かなりの人でにぎわったが、たくさんのアサリを持って帰ることができた。潮をふくアサリは、どれも同じものはない。色も模様も千差万別だ。まるで、他と違って当たり前と自己主張しているようだ。

 「普通」「普通じゃない」と分けられない社会になれば、その時がくれば私も娘を残す不安もなく死ねるのかもしれないと思った。



  2005年5月 声欄投稿 平成20年鹿児島県教育庁人権同和教育課の人権教育指導資料

NIB報道特別番組で1票を考えた。

2010-01-22 | 日々のひとこま
たまたまテレビをつけると、知事選立候補者5名が出ている番組でした。
おおっ、すごい、全員揃ってなんて過去初めての試みです。
一票の行く先に悶々?としていたので、しっかり見極めなくちゃと見ていました。
メモにとっていませんが、以下わたしの感想です。

最初の質問が新幹線についてだったと思いますが、中村氏は金子県政の引継ぎそのままの賛成、橋本氏は国会議員の西岡氏がいっていたように「フルで」という意見でした。大仁田氏は、「今の県の財政では無理。反対、賛成よりもそのお金をどう使ったらいいかを県民で考えるべき」というような意見でした。意外だったのが押渕氏でした。新幹線に反対の意見でした。今度の知事選で離島をまわったそうですが、「離島ではいらない」という声だったとか。でも、正直、離島の人はいらないというでしょうし、今まで県議して何も知らなかったの?何していたの?と思いましたね。深町氏はもちろん「反対」意見で、「フル規格にすると、1兆?かかる、佐賀県は反対している。無理。」といわれていました。

テレビ出演とあって、さすが大仁田氏は一番イキイキとしていましたし、とても意欲的に話していました。深町氏と橋本氏は落ち着いていましたが、中村氏と押渕氏はあがっていました。特に、押渕氏は途中自分で何を話しているかわからなくなったようで、隣の大仁田氏がフォローしていました。

石木ダムとイサカンの話が出なかったようですが、新幹線だけを考えると、中村氏と橋本氏は除外します。残りの3名ですが、不慣れなテレビであがってしまうのは分かりますが、それで自分の意見がいえなくなる人に県政を任せるのは不安ですから、押渕氏は除外します。
...残りの2名、大仁田氏と深町氏ですが、う~ん、悩みます。

しかし、最後にひとり30秒のアピールタイムで、わたしは大仁田氏がいいと思いました。

多分、現状の票の流れでは、自民支持の中村氏と民主支持の橋本氏が有利なのでしょう。一見、橋本氏が有利という話もありますが、実際は中村氏だという話も...。

ただ、投票率がかなり上がれば分かりません。長崎県知事に大仁田氏がなるかもしれません。

抜本的に県政を変えたいなら、彼かなと思いますね。
正直、一抹の不安もありますが、でも考えてみると、あの金子知事がやってきたのだから、誰でもやれるのでしょう。

他の方の感想はどうだったのでしょうか。

不要な日用品があるなら

2010-01-21 | お知らせ
カイロ、タオル、歯ブラシ、ひげそり、ティシュ、石鹸など不要な日用品が自宅にありませんか

試供品でいいそうです。もちろん、新品ですよ

もしありましたら、寄付してください

ホームレス支援をしている銀屋町教会のほうで集めています。

わたしも自宅に使い捨ての歯ブラシなどが結構ありましたので、近々送ろうと思います。

こちらもすっきり片付いて助かりました

※牧師様、もう少し集めて今月末に送りますね。










あさり

2010-01-21 | 日々のひとこま
子どもが生まれる前共稼ぎをしていたときのお話。

当時、わたしは中心部にあった某生保(今は外資系になった)で事務の契約社員だった。
ある日、お昼休みのランチタイムに休憩室で「あさりを食べることができない」理由をいうことになった。
なぜそうなったかは覚えていない。

「平山さん、えっ、うそでしょう?」と理由を聞いた野中女史?が叫んだ。
彼女は黒いストレートヘアに7センチ以上ある黒のハイヒールを履き、「いい女」を誇示しているような女性である。
ほかの女の子たちは「へえ~」と聞いていたが野中さんはそうではなかった。

「信じられない、平山さんが?」と続けて念を押される。
野中さんは、わたしのことを誤解していたようだ。
どうも「繊細な人間であるはずがない」と思っていたらしかった。

「えぇ、何で、信じてくれないの?本当よ!」と、そのとき負けずに言い返したのであるが、信じてくれたものかどうか。

わたしは結婚する前は結構食べ物の好き嫌いがあった。
でも、確か、小1ぐらいまではほとんど何でも食べていた。
今は食べきれないナマコでも平気だった。
母親が作るあさりの味噌汁も好きだった...と思う。

その「あさり」を食べることができなくなったのは、母親が味噌汁を作っているのを見てから。
大鍋のたぎった湯の中にあさりがざっーと入れられた。
それを見て、そのとき、思った。
「牛は最後に断末魔を叫ぶという。でも、あさりは?あさりは何も叫ぶことができない。何てかわいそう」だと。

それから子どもが赤ちゃんのときまでは「あさり」を口にすることはなかった。
今は、昔のように考えずに食べている。
口の中でじゃりっとならない限り、嫌な感じはしない。

自分自身の子ども時代って、かなり繊細だったなと思う。