チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

どうなる?中学部

2011-06-24 | 障害者問題あれこれ
先月、テレビをつけると見覚えのある顔が映っていました。
時津分校の親たちが県教委へ要望書を提出し、「中学部設置」を訴えていたところです。

ほぉー...、やっと親たちも動き出したんですね。

遠くて通うのが大変だというので盲学校の敷地に知的障害児の鶴南分校が出来たけれど、小学部しかありませんでした。卒業したら遠い本校へ通うことになっていました。障害のある子どもたちが遠方通学するのは大変です。

しかし、代表の方が分校まで片道40分かけて通学させているのも、わたしは大変だと思います。特別支援教育を受けさせたいなら、西海市で支援学級を設置してもらったらいいのでしょうが、今は特別支援教育の名の下で追い出し(軽い子は支援学級、重い子は支援学校)が厳しいので難しいのでしょうか。ひとりで戦うのは大変ですし。

さて、来年どうなるのでしょうか。
県議会で決まるのかな...?

他県のように盲学校と統合する形になるのかと思っていましたが、地元紙に「100年以上続く伝統ある盲学校の存続を」と卒業生が反対の意思を投稿していました。
小学部が出来た経緯は知りませんが、猛反対があった...というのも、分かります。

中学部の設置の仕方では、彼らの抗議もあるのでしょうが、でも、学校は今在籍しているものやこれから入ってくるものたちのためにあると思います。「懐かしむ」ために存続させるべきではないでしょう。

盲と分校の保護者や児童・生徒たちが納得いく形で「中学部設置」が出来ればいいですね。わたしとしては、当初の特別支援教育の理念のように、支援学校はセンター的役割でどの子も「原則普通学級」が最良だと思っていますが。





来訪者で

2011-06-16 | 風見 治さんとハンセン病問題
時々、風見さんのことを思い出す。

ご無沙汰していて、連絡していない...な...と。

昨日も、ちょっと考えていたら

本人から電話がかかってきた。

風見さんが連絡してきたのは、

数日前に風見さんをたずねて来た人がいて

そのときわたしの名前が出て

その人も知っているといっていた、

まぁ、それでわたしのことを思い出し

電話をしてみたということだった。

今年の秋にも、里帰りがあるけど、

前回のようにわたしとの会う時間もないような企画なので

「いかない」そうだ。

「県の里帰りがお金はかからないけど、自分で行くほうが自由になるから」。

「足腰が弱くなった」というけれど、電話の声はいつもと変わらない。

うちの親より少し下の年齢だが、風見さんのほうが大分若い感じがするのは

「今度、瀬戸へ行く」というように、まだまだ意欲があるからなのだろうか?

それとも被爆の関係(うちの親は被爆者)もあるのかな...

風見さんの元気な声に

自分の背筋がちょっとだけしゃんとした気がする。












6月

2011-06-03 | 日々のひとこま
こころがモゾモゾそわそわしている感じ

ついに6月

いよいよ誕生日

20年間あまりにもいろいろあった

頑張ってきた本人とわたしへの一段落のために

ささやかで思い出に残る誕生日会の計画中

普賢岳の噴火...

病室でびっくりしたのも懐かしい。

さて、会場を決めたとしても娘が入ってくれるかどうか

悩みはつきないな...