チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

帰宅

2010-10-29 | 風見 治さんとハンセン病問題
風見さんから昨日連絡が入った。
「明日、軍艦島へ行くというけど、僕は行かなくてもいいんだけど、4人で来たんだけど、」。
県のふるさと事業で長崎へ里帰りした風見さん、療養所からスタッフが同行し、県職員と共にあちらこちらとVIP待遇で観光名所巡り。

明日は同行者にはどこかで時間をつぶしてもらってその間前回同様県美術館で会いましょう、明日の朝、また連絡する、という内容だった。
う~ん、風見さんと久しぶりおしゃべりしたいけど、果たしてそれが出来るものか...
風見さんから離れてスタッフが軍艦島クルーズなんてしたら、それが見つかったら...
今回は無理かな、と思う。
今朝の風見さんの電話も「午後2時半なら会える」となった。

「僕も軍艦島へ行くようになって。4時に帰るので、2時半からならお土産を買う時間でアミュで会えるけど、」と風見さん。
「4時には、娘が修学旅行から帰ってくるので午後2時半からは無理ですね」とわたし。
「お正月でも娘と一緒にそちらへ行きますよ、一泊ではそちらへ行くのには遠くて。お盆かお正月ぐらいしか行けないですね」
「あぁ、お盆は暑いから、お正月がいいね、おせちとか料理が沢山出されるけど、僕ひとりでは食べきれないから」

4時に娘が戻ってくる。同じ時間に風見さんは鹿児島の療養所へ帰っていく。


東京の空は

2010-10-27 | 日々のひとこま
娘は修学旅行で東京へと向かった。

ひとり子なのだけど、親元離れても楽しければ平気な子である。

さすが保育園育ち。

バッグに3泊4日分の着替えなどを詰めていると、傍でじっーと見ていた。

当日は、いよいよかぁ~と興奮度UP!

集合場所では興奮がもうどうにも止まらない...ようで叫ぶこと叫ぶこと....

はぁ~

お別れは先生からいわれて仕方なしに「バイバイ」と手を振る。

長崎空港行きの船に乗って娘は去っていった...

後には予想外の空しさが残る。

わたしのほうが子離れしないといけないの...かも...

娘が出かけて2日目の今日、東京の空も同じような青空だっただろうか。


原発は怖いよ~

2010-10-24 | チョコハナ
昨日のチョコハナ、とても少人数でスタート。
途中で3名参加し、参加者が増えて...主催する側としては、ほっ。
一度、雪浦ウィークで自宅を訪れた際お顔を拝見したことがある藤田先生ですが、今回初めてお声を聞きます。

「田舎暮らしのわけ」をパワーポイントを使って説明。
「僕のことはネットで検索すれば書いてあるから」と調べて筋金入りの原発反対者であると知ったので、自己紹介にそういう説明があるかなと思っていました。
しかし、それが雪浦移住の理由だなんて驚きました。

2007年、大学退職し、雪浦へ移住したのが67歳。
先に雪浦へ移住した娘さんのところへ訪れ、水も自然もいっぱいの魅力ある土地だと気に入ったようですが、それ以上にふたつの恐怖のためでした。
神奈川、東京しか住んだことがなかった藤田先生が移動のため67歳で車の免許を取ってまで950km離れた場所に来たわけというのは...

①原発震災の恐怖
②食糧難の恐怖

住んでいたところに浜岡原発がある。東海、東南海、南海の南海トラフ、ここは政府作成の資料に30年以内にマグニチュード6以上の地震が起きる可能性が書いてある。自分自身も調べるとここらは70~80年周期に地震が起きている。85パーセントの可能性。地震が起きていない地域...ブルー色で塗られていたところ、その中に雪浦があった。東京にいたときは頻繁に地震があって慣れていたが雪浦に住んでからは地震に遭うことがない。
もし都市部で原発事故があれば、数千万人の難民が出る。ボートに乗って近くの韓国、北朝鮮へ上陸しようと思っても、その前に彼らから殺されるだろう。(確かに...)

今回は「お話のプロ」とあって、とても楽しいひとときでした
笑いもあったけど、とても心に残りました。
被爆者は、お金お金といわないで、放射能の怖さを知っているなら、それで苦しんでいるなら先頭に立って「原発反対」と訴えるべきなのに...と思います。
自分も原発は不要だと思っていましたが、藤田先生のお話とチェルノブイリの被害にあった女の子の顔が眼に焼きついて身近なこととして考えはじめました。
できたら、子どもや孫がいる方々、特に考えてほしいですね。

長崎・広島での「死の灰」はおそらく600gだろう。原発は1tになる。ソ連のチェルノブイリ原発は、600kmの被害。原発で被害にあっているのは、下層の日雇い労働者たち。原子炉の放射能を拭かせるために大量に1日いくらで雇い、使い捨てにしている。防護服は、身体に放射能がつかないだけで、鉛5センチ以上で出来た服を着らない限り、放射能は通過してしまう。日雇い労働者は身体を壊し、ホームレスへ。
この話には怒りが込み上げました...何でいつも弱いものを使い捨てなんだ~

この原発、何で次々造りたがるのでしょうか?
日立、三菱...と電力会社と政府と何か裏であるのでしょうか。
そういえば、三菱といえば、電器や車や船だけでなく兵器も作っているんですよね。
三菱財閥って...昔からそれで財を成しているのでしょうか
怖いですね

藤田祐幸先生、とても深いお話有難うございました 


あと4年も

2010-10-22 | 日々のひとこま
市教委へ7度目の要望書を提出するということで、今日はメンバー6人でランチと話し合い。
昨年以来6人全員揃ったな...と思ったら、ひとり籠を持参してきた。

その籠の中に今年8月に誕生したという赤ちゃんが。
えっ、えっー、いつの間に...3人目が....。
どうも昨年の要望書提出後あたりにオメデタとなったらしい。
ほんと、1年と言う月日にいろいろあるんですね。

以前は何度か集まっていた要望書作成も内容は同じことなので年に2度会うぐらいで済むようになった。
ところでこの要望書は一体いつまで続くのだろうか。

その問いに「メンバーの子どもが卒業するまででしょうね」とOさん。
えっえー、そうするとあと4年?
うちの子はもう23歳じゃん!

まぁ、みんなでランチもあと4回はあるということだから楽しみに集まりましょう。

第31回 チョコハナ

2010-10-20 | チョコハナ
今度の土曜日にあるチョコハナも、さてどのくらいの人が来てくれるものか不安です。
時間の都合の良い方、ぜひ参加してくださいね!

次のチョコハナのお知らせです!

「原則普通学級を考える」

~現在日本は原則分離教育ですが、障害のあるなしに関わらないで原則普通学級学籍となったなら?


日時....11月27日(土)13時30分~15時30分

お話をする人...特別支援学校教員 松尾 眞人さん

参加費....場所代とお茶菓子込みの500円

場所...コミュニティーセンターみずほ

★じっくりと話し合いたいと思います~

虫嫌い

2010-10-19 | 日々のひとこま
小さいときは、わたしも虫取りかごと網を持って近くの草むらへ行っていた。
蝶もバッタも素手でつかむことができた。
それが、小学校へ上がる前後からか...怖くなったのだ、虫が。
虫がつぶれると出てくるみどりいろのもの、蝶の羽がいとも簡単に取れる、バッタの足が片方はずれている...
それらを見ているとすごい恐怖感を抱くようになり、視野の中に虫が入るとそこから逃げたくなっていた。

「子どもができたら、虫嫌いは困るよ」。
子どもは虫が好きだから母親がぎゃーぎゃーいっていたら良くないと友人がいうのだ。
確かに...、子どもにはわたしの影響を受けて虫嫌いになってもらいたくない。
虫嫌いを克服しよう。
子どものために...とはいえ、これがなかなか難しい。
バイオパークへ連れて行くと、熱帯館の中に蝶がひらりと飛んでいる。
蝶嫌いの人は気持ちが分かるだろうか。
冷や汗...身体が固まる。
わたしはハンカチでも蝶の図柄ならぞっとしてしまうのだから。
しかし、これも慣れ、慣れてしまえば怖くないはず。
何度も何度も頑張って熱帯館を通ると、蝶が近くに寄らない限り大丈夫となった。

子どもが小学校の高学年になるときは、自宅でもくわがたを飼うようになった。
ゴキブリに似ているが、ケースの中から出なければ、眼が愛らしいと思うようになった。
名前もつけて呼んでいた。

父親のほうが全く虫が平気なように子どもも虫嫌いにならなかった。
わたしは相変わらず虫は触れない。
ただ庭にちょこ畑を作り、野菜の世話をし始めた以上、虫との距離感が近くなった。
1メートル以内に蟷螂がいても、逃げることがなくなった。
飛ばないでくれれば平気。
畑作業のおかげで少しずつわたしの虫嫌いが緩和されていくのかもしれない。




ひっかかる言葉

2010-10-15 | 障害者問題あれこれ
もうすぐ娘の修学旅行。過去のことが思い浮かぶ。

小学校のときは5年のときの校長から「宿泊学習も6年の修学旅行も、校外学習なども親が付き添え、否なら見送れ」といわれた。
普通学級に行かせた親たちは、わたしと同じようなことをいわれてきただろう。
学校が言う理由は「人手が足りない」ということ。
しかし、宿泊学習・修学旅行は私的な旅行ではなく、学校教育の一環。
他の行事は役員の親も手伝うし、そこは譲歩するとしても宿泊等は納得がいかない。
それに担任も「他の児童と全く同じように参加させてください、といわないなら親が来なくても大丈夫です」というので本当の理由が分からない。

保育園に入るときも小学校へ行くときも、近所の子どもらがすんなり行くのと違ってハードルがあった。それを乗り越えたりくぐったり?してきたのだが、このときも苦労した。何のために親の付き添いがいるのか、本当の理由を聞くために何度校長に声かけ話し合ったことか...担任さえも毎日校長から「何かあったら責任取れるのか」といわれ続け、仕舞いには「他の児童の責任は取りますが○○ちゃんの責任は取れません」という様になった。

親を付き添わせるために平気で嘘ついたり(市教委に確認して嘘だと分かる)、こちらから聞きもしないのに「僕はお母さんと違って馬鹿だから。兄が大学病院の教授をしている」と嫌味の○野校長!二人だけの話し合いだとあーいえばこーいう...話にならない。市議使っても駄目で、PTA会長に頼んで同席した話し合いで校長から「わかりました」という言葉を引き出すことが出来た。会長と校長の事前の話し合いでは親に付かせるようにしていたらしいが。

そんなことがあった宿泊学習当日の朝、わたしは涙が出た。
嬉し涙ではない、悔し涙である。
その理由というものが、こちらは手がかかるという理由で人手不足だから親も付いて来いといわれた。なのに...数日前に足を骨折して松葉杖を使っている子も一緒のバスに乗って行ったのである。その子に当然介助はいるが、私の子のように「親が付け」とはいわれなかった。

中学校においては理解のある校長先生だったので、すんなり一人付けてもらって参加したが、普通学級は親の付き添いが付きまとうので正直大変だった。
今度の修学旅行は特別支援学校のだからそういうことはないので安心。

だけど、修学旅行へ行くという話をすると、「お母さん、付いていくんですか?」、「あなたも付いていかないでいいの?」、とヘルパーさんと風見さんから言われたのである。そして、うちの母からも「付いて行くの?」と。皆さん悪気はないが、わたしはびっくりした。

どうも..世間では、重度障害児の修学旅行は特別支援や普通学級関係なしに「親も付いて行くものである」と思っているのではないか。
これは、なぜなのか...
また、考え込んでしまう。





元気でした

2010-10-07 | 風見 治さんとハンセン病問題
風見さんから音沙汰がなくなった。

気になりながら、こちらから連絡することもなく何ヶ月か過ぎていた。

8月に残暑見舞いのはがきを出してみたが、何もかえってこない。

多分大丈夫なのだろうけど、念のために携帯へかけてみる。

しばらく鳴らしてみると風見さんの声が聞こえた。

「返事を書こうと思って...そのままになっていたのだが、あなたがはがきにそちらへ行こうかと思っている、また連絡しますと書いていたので」、

わたしからの連絡を待っていた..らしい。

今月末に県のふるさと事業で長崎へ来るから時間があったら会いましょう、ということで℡を切った。

風見さんの元気な声が聞けてよかった。







長崎よりも岩手がすごい!

2010-10-06 | 障害者問題あれこれ
今日、障害児を普通学校へ・全国連のホームページを見ていると、「東村山市が差別的だ」と書かれていた。
これはどういうことか、と調べていると...なぜか岩手県議の高橋さんの記事に出合う。
2007年3月23日と、ちょっと古いが中身はとてもフレッシュ!
あ~、すごい、理解のある方が岩手の県議となっていた~、びっくりひゃっくり...
janjanのザ・選挙の「忙中閑話」から以下引用。

 普通学級で学べぬ障害児~統合教育はいじめ問題の特効薬~

 花巻市のとある小学校で、全盲の女の子が専任教師を1人つけ、普通学級の児童と共に授業を受けていると聞き、昨年の暮れ、放課後時間に見学に行ってきました。その女の子が全盲だということを忘れる程、他の児童と普通に戯れていました。

 周囲の児童にとって、女の子は決して特別ではなく、クラスメートの1人という感覚で自然に接し、彼女が学校生活を送る上で必要な助けも、先生から言われてやるのではなく、自ら気づいたことをさりげなくやっているように見受けました。

 迎えに来た母親に盲学校を選択しなかった理由を聞くと、「ここで生まれ育ったので、近くにある小学校に通うものだと思っていた」と答えられました。当たり前と言えば、当たり前のことなのですが、この当たり前のことが通ってこなかったのが、これまでのわが国の障害児教育、あるいは障害児福祉ではなかったでしょうか。

■障害児が教えてくれる生きることの重み

 障害児は盲・聾・養護学校で教育を受けるのが原則というのが、文部科学省の基本的な考え方ですが、私は、本人、あるいはご家族が普通学級を希望するのであれば、例えどんなに障害が重くても、例外なく、専任教員を1人付けて入学させるべきではないかと考えます。

 確かに、盲・聾・養護学校は、少人数で、障害児教育の専門家である教師が、それぞれの障害態様に合わせた教育が受けられる、障害児にとって恵まれた環境と言えます。それでも、ご家族にしてみれば、「死ぬまでうちの子供に同様の待遇を与えてくれるならまだしも、卒業すれば実社会の中に戻される。そこから健常者との付き合いが始まるのであれば、最初から小学校の教室で健常児と共に学ばせたい」と考えるのもまた親心ではないでしょうか。実際にこうした声を、障害児を持つご両親から何度となく聞いてきました。

 本人にとっても、長時間かけて地元以外の養護学校等に通うことは、ハンディキャップと言えますし、自らが暮らす地域に帰っても近くに学友がいないことも同様と言えます。一方、健常児にとっても、子どもの頃から障害児と学ぶ経験により、支えを必要とする人に自然に手を差し伸べられるようになるなど、大きな意義も期待できるのではないでしょうか。

 さらに、昨今、子供のいじめや自殺の問題についても、いじめられている子供は、障害を持っているにも関わらずひたむきに生きる級友の姿から、生きる勇気をもらい、生きることの重みを教えられるでしょう。

■先進的な宮城県のモデル事業

 岩手県では、改正学校教育基本法施行令で定められた認定就学制度を適用し、普通学級の児童と共に学ぶ障害児は現在、冒頭紹介した全盲の児童と住田町の肢体不自由児の2人だけです。事前協議により教育委員会が指定した特殊学級で学ぶ障害児は、96人とのことですが、この中にも普通学級で共に学ぶことを望むご家族、本人は少なくないものと推察します。
 
 こうした統合教育及び障害児の普通学級就学を阻んでいる要因のひとつかに挙げられるのが、健常児の親の無理解です。障害児がいることで授業の進行が妨げられ、学力の低下につながるのではないかと心配から無理解が生じているわけですが、実際に統合教育を導入している学校の事例からは、そのような因果関係を見て取ることはできません。

 宮城県では、県内の小中学校のうち、19校23人を対象に、障害児を普通学級で受け入れ、その教室に県費予算で補助教員1名を配置するモデル事業を、17年度から実施しています。

 1人の障害児に1人の教員の配置ですから、お金はかかりますが、自分さえよければという利己的な子供や生きることに意味を見出せずに命を絶つ子供が増えている今だからこそ、意義のある事業だと考えます。実際に事業を導入した宮城県の小学校からは、クラスメートが自発的に知的障害の登下校に付き添うようになったことや、学校からいじめがなくなったという報告もあり、統合教育は、今、大きな問題となつている、学校でのいじめをなくす特効薬の一つになると考えます。

 岩手県教育委員会は、「統合教育は、極めて有意義。各学校に取り組むように促している」と前向きな姿勢を見せていますが、
前述したように実情はなんともお寒い限りです、本県でも、宮城県のモデル事業を参考に、統合教育をしっかり推し進めていかなくてはなりません。(いわて考より)

 岩手県議会議員 高橋博之

ちょこっとだけ追記すると、一人の障害児に一人の教員配置で普通学級はお金がかかるような感じですが、今自分の子どもが通っている支援学校は一人の生徒に教員が1~2名と付いていますし、特別支援学級でも一人で一人というとこもあります。一クラスに教員二人としてクラス全員を見させ、給与も普通学級と同じにすれば、お金の面でもいいでしょう。6歳で親元離れないで済みます。



12月から現物給付

2010-10-01 | 障害者問題あれこれ
福祉医療費受給者証と一緒にお知らせが入っていた。

ついに長崎市も「現物給付」となるらしい。

今年の12月から重度障害(身障手帳1、2級と療育手帳A1、A2)の人は病院の窓口での支払いが医療費の自己負担分で済む。中度障害の人も時期は分からないが、なる予定。

一部現物給付にならないところもあるが、これで少しは楽になる親や当事者たちも多いことだろう。

また、母子家庭だけでなく父子家庭も福祉医療費の対象となったようで、よかった、よかった。

でも...もうひとつ言わせてもらうと...働くこともできず補償も受けることがない重度障害の方には原爆手帳のように自己負担なしにしてもいいのではないかと思う。

長崎生まれで長崎育ちのわたしの周りでは当然原爆手帳をもっている方が多い。

その方たちと自分の子を比べると違和感を感じる。

原爆手帳を持っている方たちは普通に就職、結婚し、年金も受給している。

それに癌などの病気で原爆症と認定されると、前回書いた金額がプラスされる。

原爆症と認定されなくても、ほとんどの人が月数万の健康管理手当てをもらう。

なんといっても医療費の自己負担が全くない。

ちょっと躓いて捻挫して病院へ行き、湿布をもらってもお金は要らない。


カネミ油症、水俣病、薬害C型肝炎...

これらもなんか...でこぼことしたお金の使い方だと思う。

声の大きさや票になるかならないかで手厚さが決まった感じがする。