チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

教育者?

2010-11-19 | 学校の中で
卒業後の居場所探しで、今度は某生活事業所を体験することになった。
今日は「その件について話したい」と2人目の教頭先生が言うので、放課後話し合うことになった。
どういった話なのか、分からないまま話し合いの場所へ行くと、担任の先生と1番目の教頭が同席する。

先日、子どもを連れて担任と一緒に事業所へ行った際、先方のスタッフにてんかんと言う病気のことを告げていた。そのことで、どうもわたしに確認したかったようだった。
新教頭先生が「お母さんは事業所に話したようですが、てんかんについて事業所に話してもいいですか」と尋ねたので、わたしは「構いません」と返事した。

しかし、その返事が何か気にいらなかったのか、今度は1番目の教頭が頭をひねりながら「それはどういう意味ですか?」と聞いてくる。わたしこそなぜ聞いてくるのか正直不思議だったのだが、丁寧に答えると...また「どういうこと?」と聞いてくるのだ。担任の先生は、1番目の教頭へわたしが言っていることを教えようと隣で言っているのだが、ご本人ひとり分からない様子。

すると、新教頭のほうから「学校で預かっている座薬のことも事業所へ伝えていいですか?」と尋ねてきた。それに「はい、構いません」と言うと、「今度は10日間の体験なので先方が学校で座薬を預かっていると知ったら...」...などなど...

話し合いの意味がなかなか掴めなかったのだが、結局、「座薬の件は保護者と事業所とで話し合ってください」ということだった。要するに学校が医療行為となる座薬の件で職場体験先の事業所と話し合いたくない、面倒なことはしたくない、ということのようだった。

本当に回りくどい話し方で、1番目の教頭の絡んでくる言い方には正直爆発しそうでした。本当にこの人は、会話が難しい、発達障害?それとも生い立ち?
2年前も、あのときはわたしから「進級についてご相談したい」と担任の先生にお願いして教頭と主事と3人で話し合ったのだ。このとき、わたしはびっくりした。県教育センターから来られ熱心な教育者だと思っていたが、話を聞く態度が....机に頬杖してそっぽを向いていたのだ。わたしが話している間もずっと...また返事もなかったので声をかけると「あぁ、僕に言っているの?」と言うが、頬杖ついたまま!
過去、いろいろな管理職と話す機会があったが、ここまで態度の悪い人間は初めて。今長崎県の教職員の不祥事が表に出ているが、当たり前だと思う。この教頭は、障害児の親と目の見えない主事だから頬杖つきそっぽ向いて話したけど、他の教員がいるときはしない。裏表が激しい人とゴマすり上手は出世するのかも。
あ~、ムカムカする、なるべく怒りたくない...のだけど。


花道?

2010-11-09 | 学校の中で
娘が小・中学校のときは毎年必ず教員異動を新聞で隈なくチェックしていた。
支援学校に行くようになると、見ることもなかったのだけど、今年は見てみた。
すると、学部主事の先生が教頭に昇格していて驚いた。
ということは、現教頭先生はどこかへ異動する、と思っていた。

ところが、昨年度からの教頭先生は引き続き在職。
つまり、この学校に教頭先生が2人もいることになったのである。
なぜ?生徒がたった1クラス分しかいないのに...

近くの支援学校との統廃合を見据えて今年から教頭を2名体制にしたのかも。
親たちの間でも「なぜ、生徒が少ないのに2人もいるの?」と話題。
この疑問に答えてほしくてPTAの総会で尋ねてみた。
校長先生の話では、統廃合ではなかった。
正直、理由が良く分からない。

先日、なんとなく理由が分かった。
2人目の教頭先生となった方は「再来年が定年」だと言った。
...ということは、教頭職はたった2年だけ。
長崎県教委は、来年の退職のために「花道」を用意してあげたということなのだろう。

わたしも、花道で見送られ、見送るのは気分がいいかもしれないと思う。
2人目の方は優しい感じなので。
でもね、これは税金使ってなのだから、そうしたかったなら、もう1人は降格させれば良いのである。
相変わらず、身内には手厚い、と思う。


学級崩壊

2010-07-21 | 学校の中で
「クラスに落ち着きのない子がいて、その子が授業中ウロウロする。それにより周囲も落ち着きがなくざわざわし出し、授業が成り立たなくなる。一人の子により学級崩壊となる。」というような記事を読んだとき、違和感を覚える。
学級崩壊の原因が落ち着きのない子が引き金となった、というのは違うと思う。

遥か昔、自分の小さいときのことを思い出す。
就学前のとき、通っていた幼稚園でおもらしをした子がいた。
先生がその子をトイレへ連れて行き、対処していたのだが、その光景を見て「なぜ、この年でおもらしをするのだろうか」と不思議に思ったことが未だ覚えている。

クラスにひとり落ち着きのない子がいるとしても、なぜ真似する子がいるのだろか。
逆にそれが不思議だ。
小1ともなれば、してはいけないことは分かるはず。
就学前の環境が以前より劣化しているのだろうか。
そっちのほうが問題だと思う。

伝えきれない親たち

2010-01-10 | 学校の中で
娘の鼻水と格闘し、ヘトヘトに疲れてきた昨夜、電話が鳴った。
Mちゃんのお母さんからだ。
さて、今度はどういった悩みなのだろうか。
彼女は本題へ行くまでに時間がかかる。
傍で「ママ~、ママ~」と叫び続ける娘がいると、枝葉の話はいいから何?といいたくなる。

しばらく我慢して聞くと悩みを話し出した。
彼女がなぜ別居生活をするのか、その理由は不可解なのだが、ともかく現在も別居している。
その件は子どもが通う特別支援学校の担任にも伝えている。
ところが、先日、子どもが学校で書かせられた作文を持って帰ってきた。
それを読んで驚いた。内容が別居生活を書いていること。また、どう考えても自分の子が書ける文章でないこと。
子どもに確認すると、このように書きなさいと指導され、今月末に作文をみんなの前で読むように担任からいわれている。
それに「主人宛に年賀状を勝手に出させている。差出人にわたしと子どもの名前を書かせていた。担任はどういうつもりなのか?」という話だった。

彼女は「前の普通学校ではこういうことはなかった。」と何度も愚痴る。
愚痴りたいのも分かるが、「変な先生というのはどこでもいます。特に風通しの悪い特別支援学校は親もいわないからひどいでしょう。ともかく、プライベートなことを話されたくないでしょう。そしたら、まずは事実確認をして....」とアドバイスをした。
しかし、聞いているのかどうか、「前の学校ではこういうことはなかったのに...」と繰り返す。
「前のときも小学校はそうではなかったと中学校のことをいっていましたね」というと、
「えぇ、いや、今思えばこんなことまではなかったし...まさかねぇ....」と答える。

相談なのか、ただ愚痴りたいのか、結局担任に言い切れない、言いたくないのだろう。
わたしも極力学校と言い合いはしたくないが、こんなことは言うべきなのだ。
おかしなことはおかしいと言わないと、担任の行為を認めたことになる。
プライベートなことを曝したくないなら、それを伝えるしかないだろうに。

今回も...正直疲れるのだが、できるだけ丁寧にアドバイスをした。
あとは彼女が学校と話し合おうとするかどうかだ。
もし彼女がひとり親になるつもりなら、このくらいでオロオロしてどうする?と思うのだが。






消えないこぶ

2009-12-14 | 学校の中で
「役員でないので、役員会は参加しなくていいですよね?」といっていたのに、またもメールが届きました。
会長さんから「役員会のお知らせ」。
少人数なので寂しいのかな、と協力して参加してきました。

役員会のあと、4人で雑談していると今年役員になったM君のお母さんが昨年の事故のことを話し始めました。
「聞いているほうも何度もなると嫌になると思うし、言っているほうも嫌になるのよ、でもね、おでこのこぶを見るたびに思い出すの」

昨年9月、担任がトイレへ連れて行って、「おしりふきがない」とベルトもしないでM君をストレッチャーに置いて離れた。その結果、M君はコンクリートの床に落下した。担任が戻ると、M君は「落ちていた」そうで、「泣いていた」から大丈夫と思って救急車を呼ばなかった。近くの病院へ連れて行ったあと、給食を食べさせたりしたが、吐いたりしたので、学校から連絡を受けた両親が他の病院へ連れて行った。「軽い脳挫傷、脳内出血」があるというので、入院することになった。

退院したあともM君は落下の恐怖を思い出し、夜中に泣き叫ぶようになった。未だに消えないおでこのこぶを見るたびに「M君を守れなかった」ことを後悔するし、未だに学校の態度には怒りがある。

担任は事故のあと、二回校長、教頭に連れられて病院へきた。そのとき、M君の手があたって担任のめがねを落としてしまったが、担任はめがねを探しながら「あぁ、M君からこんなことをされても僕は怒れない」といった。教頭に「今回の事故で将来てんかん発作が起きる可能性があると聞きました」と尋ねると、教頭は「あくまで可能性でしょう?」と冷たい態度であった。(想像がつきます、この教頭は...)また、今年異動になった中学部主事は「誰にでも起こる事故です。前の○○先生よりは今の担任がいいですよ 」と担任を庇う。入院費は、掛けている保険からで、学校側からは品物が送れてきただけで何もない。

担任は今年の3月末まで病気休暇で休み(その間給与はもらう)、4月から復帰し別の子の担任になる。納得のいく謝罪がほしいM君のお母さんは手紙を書いてもらったが、担任からの手紙は「僕は元気になりました。今からがんばって働きます。M君の心と体を傷つけてすみませんでした」という内容だった。本当に悪いと思っていない。

学校や担任がきちんとした対応をとっていれば、M君のお母さんはこぶを見るたび煮えたぎる想いはしなくても良かったのかもしれない。

わたしも何度も同じことを聞かされるのは大変ですが、聞くたびに腹が立ちます。

この日、このあと、みんなでランチに出かけましたが、その間もずっとこの話でした。
わたしが感心したのは、障害が全然違う親たちがいっしょに一生懸命M君のお母さんの話を聞いているということです。お互い時間をかけて話し合っていけば、(障害の種別を越えて)理解しあえるのだと思いました。よっぽどの性格でない限り。

担任のいじめ

2009-08-04 | 学校の中で
この話も、うちの子が小学生のときに聞いたので大分前になると思う。

県央に住むTさんの息子は当時、小学生だった。(多分、3年生だったかと思います)
わたしは会ったことはないが、アヤちゃんのような子どもさんだと思う。
お母さんが泣きながら悲しく悔しい出来事を話してくれた。

「担任の先生から息子の椅子、机を廊下に出されたのは、二度までは知っていましたが、三度目は知らなかったです。子どもが学校へ行くのを嫌がりだしました。無理に連れて行こうとすると、校門のところにくると、入れなくて....。もう家庭がメチャクチャになってしまって...。それから息子は自分から『僕、養護学校へ行くよ』と言い出しました。養護学校へ行くと決め、転校するので、学校へ最後の挨拶に出かけました。すると、教えてもいないのにクラスのみんなに『ありがとう』と礼をいうんです。ひとりの女の子がこういいました。『よかったね、これで泣かずに済むね』って。それを聞いて、わたしは子どもが先生のいじめで学校で泣いていたんだと知りました。」

なぜ担任が、ひとりだけTさんの子どもの机と椅子を廊下に出したのか。
本人に聞いてないので、本当のことは分からないが、「障害のある子どもは、通常学級にいるべきでない」と思っていたからだろう。
先生からいじめを受けた子どものこころの傷もだけど、先生から差別を学んだこどもたちにも相当な影響があるだろうと思う。

阿久根の竹原市長なら...こんな教員、さっと首切ってくれるのだろうな...。






アヤちゃんの修学旅行

2009-08-03 | 学校の中で
もうずいぶん前になると思う。それでもアヤちゃんの話は今でもしっかり覚えている。
アヤちゃんは、当時県央付近の中学生だった。
彼女は、車いすを使っていた。
学校の施設面に関しては、あちらこちらをアヤちゃんのためにバリアフリー?にしてくれた。
しかし、本人の意見なども聞かないで勝手にしたものだから、何とも使い勝手の悪いバリアフリー?になったと聞いた。
施設の面では一応、町もお金をかけてくれたのだが、ところが、修学旅行になると学校は「親の付き添い」をお願い?、要求?した。

それを知ったアヤちゃんは、「何で修学旅行に親と一緒に行かないといけないの?」、「わたしはお母さんと一緒に行くなんて、嫌だ!」と先生に抗議した。
すると先生は、アヤちゃんに諭すようにいった。
「お母さんは、あなたのために、あなたを想って、付いていってくださるのよ」。
先生からすると、自立できない子は親が付いてくるのは当たり前、それを否定するアヤちゃんはただのワガママな子に映ったのであろう。
アヤちゃんはしばらく職員室の中にいるはめになった。

アヤちゃんは悔しくて泣いた。
泣いたがどうしようもなく、結局、親子二人の旅行に行ってきた。
いえ、一応、修学旅行なのだが、みんなと一緒のバスに乗ることができずにお母さんとタクシーで移動、宿泊もお母さんと二人で寝た。
それらの費用は、全部親が負担したと聞いた。

これらの話を、お母さんから聞いたあと、アヤちゃんからも聞いた。
アヤちゃんは、悔しくて悔しくて、泣きながら話した。

彼女は高校への進学は特別支援学校にしたそうだ。
小・中学校は普通学級できたが、学校側のこころのバリアに疲れたのだろう。

今回の話を長崎市教委へ告げたとき、「知的に問題がないなら...」といった。
わたしは、「知的にもあっても(みんなと同じようにしたい)気持ちは同じです」と言い返した。

アヤちゃんの話は大分前だけど、アヤちゃんと同じように悲しんでいる子達が続いている現実。
親が立ち上がらないと...改善できない、いや、親もつぶされるのかもしれない。
日本にも差別禁止法ができたら、こういう涙はなくなるのだろうか。

アヤちゃんの「なぜ?」と訴えた姿は、今もわたしの胸の中にある。