チョコハナな日々

ちょこっとした日常のさまざまなことに対する想いを書いていきます。

バンザーイ!!阿久根市民は最良の選択をした。

2009-05-31 | 日々のひとこま
今日は川棚町で開催の石木ダム反対シンポに行ってきた。
帰りの時間には、今度は「あっ、竹原市長はどうなったのだろうか」と気になってしまった。
さきほど、竹原市長再選という結果を知って、ほっ...。
今回の選挙は投票率、82.59%だとか。
すごい~
まさか...という結末にならないで、本当に良かった。
日本の未来が良くなりそうな気がする。

来年は長崎県知事選、今度こそ長崎県民もマシな選択をしてほしい。
阿久根のような高い投票率になれば可能だろう。
ただ、選択肢が....、いや、少しでもマシな方を選ぶしかない。



「決意」の更新

2009-05-30 | 障害者問題あれこれ
昔住んでいたアパートの近くにリョウ君がいた。
当時リョウ君は特別支援学校の小学部に在籍していた。
娘の障害もすぐ分かるので、リョウ君のお母さんは気さくに声をかけてきた。

ダウン症のリョウ君には少し年の離れた兄がいた。
ある日リョウ君の家の前を通ったとき、「あっ、リョウ君だ」と手を振ったのだが、側にいたお兄ちゃんはリョウ君を自分の背後に隠した。
睨み続けるお兄ちゃんに困惑したが、彼は必死で弟を守ろうとしたのだろう。
きっと今までも沢山の好奇心の目に晒されてきた弟に心を痛めていたのではないかと思った。
お兄ちゃんとは親しくなる機会はなかったが、リョウ君のお母さんとは時々道端で買い物袋を提げたままおしゃべりした。

アパートを出てからリョウ君親子と会うことはなくなったが、何年前だろうか、偶然、リョウ君親子を知る人と出会った。
そのとき、リョウ君のお母さんが癌になって、亡くなったということを聞いた。
「リョウ君のお母さんは最後までリョウ君のことを心配していた」。

リョウ君のお母さんの想いを考える。
ずっと守ってきた子どもを、もう見守ることもできないことを知ったとき、どんな気持ちになったのだろうか。

数年前、新聞投稿したとき、担当の方がわたしのことを知っていた。
彼にも「重い知的障害があって、言葉はしゃべれない40歳になる子どもがいる」という。
最後に、祈るようにいった言葉が今もこころに残っている。
「少しでも良い世の中になればいいですね」。

わたしの心には娘への想いだけではない。
今まで出会った方々の想いも自分の胸の奥に、ひっそりとある。
その想いを、時々思い出しては「決意」を更新させている。







石木ダム反対シンポ

2009-05-29 | 石木ダム・諫早干拓など
前回の新聞記事では、場所が公民館となっていましたが、川棚町公会堂で開催されます。
時間は午後2時~5時まで。

わたしも最後まで聞けるか分からないですが、行ってみようかと思います。
石木ダム問題について、これからどんどん盛り上がっていけばいいですね
33年間、行政と戦って守ってきた場所ですし、わたしは税金が適正に使われるかどうかという視点でも見ていきたいです。

平成21年度第1回ゴミゼロ会議

2009-05-28 | ゴミ問題
26日(火)にゴミゼロながさき推進会議がありました。
わたしも、遅れて参加しました。
なぜ遅れたかというと、場所を間違えたから...。
場所を間違えること、これで2度目。
今回は西彼農協ビルであったのですが、もうひとつの農協ビルと勘違いして、なぜないのかと聞いてまわりました。トホホ...、でも、こういうところは自分らしいかも...。

さて、今回の会議では、各団体の昨年の活動報告や今年度の実践報告などについての話のあと、前回の続きとして①ゴミゼロながさき学生部会(仮称)と②レジ袋削減に向けた検討、③統一標語等の募集などを話し合いました。

①学生部会については、現在参集を予定している団体の紹介を聞きました。
意見としては、学生に全て考え任せるというのでなく、最初に具体的にどうするかという方針を決めたほうが、今の学生は参加しやすい、という意見。
今後、学生に声かけしていくという段階。

②については、レジ袋削減に向けて関係団体との懇話会を2回開催しています。
 その中の意見をいくつか紹介します。
「マイバック持参率を上げようとすると、市町村レベルで解決できない、県の指導が必要」、「有料化が一番の削減方法だと理解できるが、コンセンスが得られるかどうか。」、「京都方式など、今一番レジ袋辞退率が高いところの真似をみんなで一緒にやるという方式が、最も負担が少なく、各店舗の差も少ないのではないか。」、「レジ袋は家庭で生ゴミを捨てるときなどにも活用されている。レジ袋を使わずに、上手く生ごみを捨てる方法などの普及活動が必要。」、「マイバツクがらみの万引きが多い、消費者も含めて防止策を検討してほしい。」、「レジ袋有料化により、実際に売り上げが落ちてきているという事例がある。」、「環境に良いというデーター及び科学的根拠の確証が無いまま、国民運動的に行われているのではないかという危惧がある。」、「全国に習って有料化ありきという考え方はやめて欲しい。」、「今後は市民団体の方にも入って頂きたい。」など。
この件については、今後ゴミゼロ会議メンバーを含めたレジ袋削減検討会議を設置し、議論を深めていくという考えです。
わたしもその中に参加することになりました。
予定はしていなかったけれども、いろんな人の意見を聞きながら考えていきたいと思います。
今回の場でも「本当にレジ袋が悪なのか?」という疑問を投げかける方がいました。
確かに地球温暖化の真意は不明ですが、道路に舞うレジ袋を見ると、無駄なレジ袋、ゴミとなるものを減らしたほうがいいと思います。
海の生き物たちも苦しんでいるし....。
風で飛びやすいもの、軽いから。
けれど、生ゴミ捨てるのには便利だとも思います。
しばらくこの問題に頭使うことになりそうです。
考えること、大事です。
そのきっかけに出合って感謝ですね。
③については後日。





眼科医は優しい女医さん

2009-05-28 | 支援が必要な子
月曜の朝から娘の右目に目やにが出てきた。
市販の目薬で、しばらく様子を見ていたが、気になるので今朝眼科へ連れて行く。
病院の中でも娘は眼科が嫌い。
未だに点眼するときは頑なに瞼を閉じる。
こわい、こわいのだ。

その気持ち、ちょと分かる...のだが、連れて行く私は正直気が重い。
大分慣れてパニックにはならないだろうと思うのだが、そこは実際に診察してみないと何ともいえないのだ。

今回もちょと手がかかったが、無事診察が終わった。
眼科医の先生も爪を立てられても動じず、明るく声かけしてくれる。
看護士さんは「前より落ち着いた」と褒めてくれる。
わたしの手も、今回は無傷だった。
大したことがなかったことと何事もなく診察が終わって...ほっとした。

本当に、ここの眼科は有難い。
なんせ、そんなに患者が多くないので、診察に時間がかかっても大丈夫みたい。
また、なんといっても根気良く接してくれる。
優しい女医さんと看護士さんには感謝である。






準公務員?

2009-05-25 | 障害者問題あれこれ
わたしは、20代の頃まで根性も根気も欠けていました。
時給が高くて、楽な仕事が好きでした。
仕事は長続きしなくて、えっと長いので2年半です。
お陰でさまざまな仕事をし、職場でいろんな方たちと出会いました。

その中で、出会ったある女性が結婚することになりました。
彼女のパートナは今の仕事をやめて、関連性のない知的障害児施設に働くというのです。
わたしは「えっ、福祉施設は給料は安いんじゃない?」と聞きました。
ところが、彼女は「いや、じゅんこうむいんだから」と、聞きなれない言葉を発しました。
つまり、公務員に準ずる給与なのです。
そのとき、目からうろこ...でした。
てっきり、「福祉の職は安い」と思っていましたが、大きな施設は違うんですね。

うちの子がたまに使う児童デイーサービスの施設も、男性スタッフが長く勤めているので、そこもそうなのでしょう。
でも、数年前、そこの施設長が「障害者自立支援法が始まると、新報酬単価では年間4000万減る。(5年間の経過措置)」といっていました。
今年の3月末で、ひとりの男性スタッフが辞めて、あるところでバイト?かパート?かで働いている様子。
彼は正社員ではなかったのかもしれませんが、支援法の余波で辞めたのではないのでしょうか?
支援法もちょこっと修正していますが、入所型施設は今までと違って苦しくなるのでしょう。

...かといって、相変わらずグループホーム・ケアーホームの経営は厳しい。
燦燦クラブさんのように職員のボランティア精神で乗り切るか、それとも近くに沢山のグループホームやケアーホームを作り、支援の効率化を図るか...です。
つまり大きな経営でないと、やっていけない。
でも、近くに沢山のグループホームを作ってしまうと、大きな箱がたくさんの小さな箱へと変わった...だけ...の感じがします。小さなところが単独でグループ・ケアーホームをしても生き残れるようにならないかと思いますね。

わたしは、施設職員が公務員並の給料をもらってもいいと思いますが、それはしっかり利用者のために働くということが前提です。
そうしているところって少ない...かも。










普通の生活とは

2009-05-23 | 障害者問題あれこれ
うちの子は、最重度の知的障害とてんかんがあります。
中学校まで普通学級で過ごしてきましたが、実際は同年代の子らと何でも同じというのは無理があります。そこは、介助員のフォーローや本人の我慢等で乗り過ごしてきました。
障害が重くとも、この世に生まれてきたからには皆と同じように出来るだけ「普通の生活」をさせてあげたいと、そうしてきました。

確かに、実践はとても困難なことです。
自分自身の周囲に障害と名のつくものは...あっ、ひとり叔父がいました。
...といっても、彼は幼少時事故で左目失明しましたが、普通の生活をし、現在厚生年金受給者です。
だから、わたしにとっての障害者とはテレビでたまに見る存在でした。
わたしとは全く無縁だと思っていました。
子に障害があるとわかってから、「もし、わたし本人に障害があったら、どうしたいか?どうしてほしいか?」と考えてきました。ところが、これがなかなか難しいです。
相手の身になって考えるというのは、正直難しいと思います。
「自分自身に重い知的障害があるとして考える」、想像が....。
なんせ、知的障害とは考えることが困難な障害だから。
考えることが難しい障害ですが、感じることはできます。

保育園や小学校、中学校と振り返ってみますと、うちの子も同年代の子らと同じ要求が出てきていました。
例えば、親としては自分でシャンプーできない娘の髪は短くしたいと思っています。
本人も中2の頃までは髪が短いのも気にならなかったようです。
ところが、切るのを嫌がり出しました。
なぜ?かと思うと、中2のときクラスメイトが娘の前髪をピンで留めてくれました。
そのとき、みんなから「かわいい」とかいわれ、嬉しかったのかもしれません。
それ以来、髪をいじられるのを嫌っていたのが、逆ににっこりと思春期の女の子の表情をします。
そういった娘の様子をみていて、「自分も友達がおしゃれしていたら、わたしも...」なんて思っていたよね、と思い出します。

知的障害が重いのでコミュニーケーションがとりにくいですが、欲求は誰でも同じ、ということです。
若い女の子はお化粧して、たまには友達と食事して...、いえ、とうてい若くない(悲しい現実...)わたしでさえも同じ欲求がありますよ。
そういったことも出来て「普通の生活」だと思います。

稼ぐことができないものは、「最低限の衣食住を整えてあげるだけでもいい」、という考えは止めて欲しいです。
その論理は、わたしらに言うのは分かりますが、同じ土俵にあげさせないくせに、そこだけ同じというのは腹が立ちます。
また、怠けて働かない訳ではないのです。
働くことができないのです。

彼・彼女らが、親亡き後も昭和初期の普通の生活でなく、「現代の普通の生活」を営んでほしいと願っています。
その、大変困難な課題を、今後も考えつづけていきます。






理念は同じなのだが...の続き

2009-05-22 | 障害者問題あれこれ
昨日の田島理事長の長~い反論に対し、私もいいたいことがあった。
でも、時間がなくなり、あれだけ反対意見に聞く耳も貸さないようなので、「反対意見の人たちと議論はしたことあるのですか」とだけ聞いた。
「ない」という返事。
「悪法だといわずに、ここをこうしてくれ」というなら、その意見を聞くという。

ところで、話はかわるが、今回の学習会は私がしているチョコハナのようで、ただ会費なし、コーヒーとお菓子なしのお茶だけ、講師はボランティアでないことの違い。
チョコハナでは、質疑応答タイムが昨日のような感じで終わることはない。
参加者との言葉のキャッチボールがある。
なるべく一方的な話し合いとならないように、私は声かけする。
(時々、自分自身が熱くなってしまう...のは反省しないと。)
今までの講師が田島理事長のように熱くならなかったせいなのだろう、と思ってしまった。
そう、彼が大変な分野で頑張っているのも、この熱さがあるからなのだろう。
彼の原動力はどこからくるのか、あの貧困の湯原誠さんも兄に障害があるというが、確か、私の記憶間違いでなければ、田島理事長もそう。
大分前の新聞記事に書いていたはず。
私の原動力も娘。他人から役に立たないと思われているかもしれないが、その逆。
日常、腹立つことも多いが、娘の存在はとても大きいのだ。

私は障害者自立支援法が全て悪だとは思っていない。
しかし、利用者の負担は重くなった。
支援法の制度は、生活保護を受けさせないようにぎりぎりのラインで生活させようという考え。
実際に、「年金だけで生活できん、生活保護を受けたほうが楽だ」と当事者はいっている。
「何も知らないものが支援法を反対している」というが、私は説明を聞きに行って、びっくりした。
利用料を払ったあと、手元に最低2万5000円が残るようにするというのだ。
その中から日常用品も買え...となると、自立はできない。
普通の生活は無理。ずっと親ががりになる。
だから、障害者自立支援法では生きていけない。
実際に何人もの当事者が自殺した。

「反対するものは措置に戻せといっている」と田島理事長はいうが、それは入所施設側だけだろと思う。
ほとんどの人は、障害者自立支援法の前の支援費制度に戻せといっていた。
現在の負担軽減でなら、私はこのままでいいかという思いもある。
しかし、この負担軽減は結局「障害者自立支援法に反対」という声を上げたから、
当初の負担が結局支援費なみになったのだ。
例えばうちの場合は、37200円の上限額が9300円となり、昨年の7月から4600円となった。
「国が破産する、財源はどうするのか」、しかし、これはどこも同じだろう。
消費税の件は、あの人気の高い細川政権でもダメだったというが、私はあきらめない。
肝炎問題も世論が味方についたからうまくいったのだ。
障害者問題だけでなく、日本のセーフティーネットをどうするのか、貧困問題と含めて福祉関係者も共に議論したらどうだろうか。
どちらにしても、介護保険と統合しても、うまくいかないと、...やっぱり、私は思う。

それと、私が支援法に反対の声を上げる想いとなったのは、大分県の徳田弁護士の話を聞いてから。
彼はハンセン病問題の訴訟団団長だった。
彼は「障害者自立支援法は今までの法律の中で悪法だ」。
もっとも、利用者が使える選択肢は多くなった。
だから支援法の全てが悪ではない。

反対側から「障害者自立支援法が自立できない法になったのは、現場を知らない者が作ったから」と聞いていたが、今回の話で田島理事長が参加されていたことを知った。
みなさん知らなかったのかな...?
でも...そのわりに知的障害者の単価が低い。なんで?

一部の人を除いては「地域への移行」に反対者も大賛成なので、もっとお互い話し合ったら...と思うのだけど、障害児の親同士もだけど、これが本当に難しい。

理念は同じなのだが、...そこが何とも難しい。
お互いに大きな壁があるようだ。
今回の学習会でますます考えてしまったところである。










理念は同じなのだが...。

2009-05-21 | 障害者問題あれこれ
今日は少人数で田島理事長のお話が聞けて良かった。
自分の想像と全く違う感じだったのも実際にお会いできたからだろう。
福祉の理事長というより、田島理事長は当初政治家を目指していただけあって、土臭い政治家という感じだった。
30年前から知的障害のある人たちが「普通の生活」ができるように力をつくしたきたこと、それはすごいなと思うし、頭が下がる。

しかし、私が「障害者自立支援法では生きていけない」という署名活動をしたと告げると、顔がちょっと強張る。
そう、統合保険と障害者自立支援法の統合について、自分と周りの意見を伝えたのだが、結局、これに対する反論で時間が長くかかってしまい、質問はこれだけになった。
田島理事長本人が勧めてきた支援法なので反対意見はタブーだったかもしれない。
「支援法をわからないものが悪法だと、いっている。当事者が苦しいというが、自分のとこでは負担が重くなったというのは、2人だけ。逆に軽くなったものもいる。日比谷での反対デモは当事者でなく、参加していたのは事業所側。自分の知っている顔があった。確かに事業所は苦しくなった。以前のように措置制度と違い、まとまったお金がはいらなくなった。しかし、措置制度のときは親が子どもの年金を使ったりしていた。」
「お金の問題。財源はどうするのか、ということ。国が破産してしまう。介護保険と統合し、20歳以上から徴収する。それで赤ちゃんから高齢者までみる。一部二階建てにし、1階部分の基礎的給付は介護保険で、二階部分は障害特性で加算金を上乗せする。ここは一般財源から支給。」
「消費税を上げる話は、今の政治では無理、今の政治家にはその話を出すものはいない、税で賄うのは無理。」
「支援法に反対するものは以前の措置制度に戻せといっている。」など....。

この続きは後日...。







楽しみな学習会の前に

2009-05-21 | 障害者問題あれこれ
今日は南高愛燐会の田島理事長のお話が聞ける。
予定では1時間のお話のあと、1時間の質疑応答タイムがある。
さて、いっぱい質問しちゃおう。
その前に、と事前に配布されたパンフレットを見る。

これからの福祉にむけた5っの政策提言が書かれている。
そのひとつが介護保険との統合。
そう、ここが一番に聞きたいこと。
前宮城県知事浅野氏が障害者自立支援法の旗振り役だった。
その下で働いていた(知事在職中に見込まれて宮城県へと連れて行かれていた)田島理事長も同じ考えだろうとは思っていた。
確か、新聞記事で浅野氏の「自立支援法は70パーセント成功」と言うコメントがあった。
介護保険との統合については、障害者団体等から反対の声が相次ぎ、統合に至っていない。
推進の方は「財源」のことで統合したほうがいいという。
このパンフにも同じことが書かれている。

ただ、介護保険の財源は半分が保険料でまかなわれている。
これに統合となると、障害者も原則負担ということなのだろう。
もし、障害者だけ免除となると、票田を沢山もっている年寄りは許さないだろう。
なんで障害者だけ特別扱いをするのか、と。
まず、日本では障害者への理解が乏しいのだから。自己責任論は根強い。

それに大半の障害者は働くことができないか、もしくは働いても雀の涙の収入。
障害者年金も生活保護を受けているほうがいいという金額。
方や高齢者は働いて貯めたお金がある。
わたしの親もその高齢者だが、親がいうには自分達の年代は頑張った分、お金も入ってきた。
今の若者世代と違って貯蓄も沢山ある世代。
障害者に介護保険料を負担させ、それから1割負担となると、障害者は生きていけるのか?

今、全国で障害者自立支援法の裁判が係争中である。
なぜ訴訟したのか、以下、わたしなりの見解。
障害者年金などの収入では負担軽減策があろうとも、わずかなお金を引かれても生活困窮になる。
働いて得たわずかな収入から支援という利用料を負担しなければならない、それなら自宅に引き篭もっていたほうがまし。応能負担でなく応益負担は、負担が重くなるだけでなく、障害は自己責任だという考えから基づいている...など。

もし介護保険と統合というなら、それと同時に障害者年金のUPなどで所得を保障させるか、もしくは消費税を本来の福祉目的となして、食料などを省いた贅沢品に高い税率をかけさせ、高齢者も障害者も負担なしにするかである、と私は思っている。

あっ、この質問だけで質疑応答タイムがなくなるかも....。簡単にしなくちゃ。
他にも質問したいことがあるのだけど、時間がないかな....。