5月に入った。
今年の”花便り”はどこも遅れがちのようだが、
あちこちで綺麗に咲きそろってきた。
しゃくなげ、あやめ、こでまり、ぼたん、そしてバラやつつじも咲き始めた。
それと今の時期、豪華で香りも良いのが”藤”。
先週仕事の合間に近くの藤園を見てきた。
さて”藤”と言えば、藤あやこ、藤圭子、藤純子と艶っぽい女性が目立つが、
今日は、藤正樹さん(後にふじまさきに改名)について語りたい。
藤正樹さん、中学生のとき、あの『新潟ブルース』で
日本テレビの新人発掘番組に優勝して、
キャニオンレコードから”坊主頭に学生服姿”でデビューした。
花の中三トリオ”と言われた、百恵・淳子・昌子と同世代。
1973年7月、デビュー曲は『忍ぶ雨』。
「忍ぶ雨」
傘をさす手の か細さが
長い不幸を 物語る
路地の石段 夜更けに帰る
弱い女の弱い女の 忍ぶ雨
東京はなれて 西へ行き
なじみない町 さすらって
胸の未練を 捨てたいものと
生きる女の生きる女の 忍ぶ雨
恋にすがって 捨てられて
恋にやつれた この体
誰を恨んで いるでもないが
やせた女のやせた女の 忍ぶ雨。
彼の持ち味はたっぷりと低音を効かせた歌唱力。
本格的実力派の演歌歌手として大絶賛され、
年末には、各種の新人賞を総ナメにした。
それでは藤さんのアルバムを見てみよう。
デビュー2ヶ月後の73年9月に最初のアルバム、
『忍ぶ雨 演歌の怪物初登場』がでた。
曲目は、持ち歌の忍ぶ雨のほか、新潟ブルース、花と蝶、
夜霧よ今夜もありがとう、一度だけならなど、全12曲。
どれも見事な歌いっぷり。
レコードが擦り切れないように、カセットに録音して繰り返し聴いたものだ。
藤さんの時代は勿論レコードだったのだが、
残念ながらCDで復刻されていない。
その為私は自分でCDに焼き付けた。
ついでにジャケットの写真をCDケースとCDに印刷してみた。
普段はこのCDで聴いて、特別の時以外はレコードは大事に保管している。
2枚目のアルバムは2ヶ月後の73年11月に出された。
よっぽどアルバムの売れ行きが良かったのだろう。
相変わらず、学生服姿だが、服の色が紫になった。
『藤正樹 女ごころを歌う』とある。
持ち歌は恋やつれが加わって2曲になり、このほか、柳ヶ瀬ブルース、
雨、京都から博多まで、逢わずに愛して長崎の夜はむらさきなど全14曲。
3枚目は翌74年4月、『あの娘がつくった塩むすび』。
実はこれが私が最も好きなアルバムである。
歌があまりに上手いので、こぶしを効かせた演歌歌手になってしまったが、
このアルバムでは、軽やかなリズムで「青春の恋」のような曲を歌っている。
あの娘がつくった塩むすび、小っちゃなふるさと、春の慕情など全12曲。
全部オリジナル曲だが、遠藤実さん、佐伯としおさん、山口洋子さんの曲もあり、
そうとう力を入れて曲作りをしたようだ。
このような曲で、普通の服装や姿でデビューしていたら、
彼の歌手生命は別方向でもう少し活躍できたのではないだろうか。
3枚目のアルバムが出たちょうどこの頃だが、
浜松の西武デパートのサテスタに出演された時にお会いしたことがある。
その時は学生服ではなく、上下とも薄い水色のジーンズだった。
アイドルとまではいかないが、凛々しい顔立ちで笑顔が綺麗な少年という印象。
『青春演歌』でデビューさせた方が良かったのではないかと思う。
「あの娘がつくった塩むすび」
上りの列車が 出るときに
あの娘がホームに 駆けてきた
大事に抱えた 紙包み
黙って渡して 手を振った
あの娘が作った塩むすび
指さき一粒 ご飯つぶ
別れの涙の 味がする
炊きたて御飯の ぬくもりは
16あの娘の 恋ごころ
百遍好きよと 言うよりも
やさしい気持が よくわかる
都会へ行っても 忘れない・・・・・
指さき一粒 ご飯つぶ
別れの涙の 味がする
藤さんはこの頃も歌っておられて、
平成20年にCDを出されたとネットで知った。
大人の藤さんの歌も是非聴いてみたいと思う。