ジョージ・いまさきもり の アンダンテ・カンタービレ

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『阪神淡路大震災、被災地は今』  1/28 NHKラジオ 内橋克人さんのお話の要約

2014年01月28日 | ラジオ番組

『阪神淡路大震災、被災地は今』   
           1/28 NHKラジオ 内橋克人さんのお話の要約です。    

阪神淡路大震災から早くも19年経った。
これまでも毎年この時期には、
阪神淡路大震災の被災地と被災者の置かれた現実に就いて、述べてきた。
(昨年の1月のお話は⇒こちら、その前年は⇒こちら
19年経った今、被災地がどのような問題に突き当たっているのか?
その現実を知ることは、
間もなく丸3年を迎える東日本大震災の復旧復興のこれからを予測する上でも、
欠かすことができない。 

住民に厳しい三つの現実

まず、住民にとって厳しい三つの現実から伝えないといけない。

第一に、この19年の間に人口の流動化が激しく進んだ、ということがある。
被害の大きかった西宮、芦屋市などでは、
震災当時の住民で現在も同じ場所で生活している人は、全人口のわずか2割である。
つまり8割の人が入れ替わってしまって、ほとんどの人が”新住民”だということである。

また神戸市では、人口の2/3にが入れ替わってしまっている.
つまり、震災前からの住まいに住み続けている人は1/3に減ってしまったということである。
また、その新住民の大部分は震災を知らない人達で占められている事態となっている。 

第二に、今も災害復興住宅で独り暮らしを続けておられる高齢者の独居死(孤独死)が、
今なお絶えないという現実がある。
昨年2013年の1年間においても、46人が亡くなっていて、
全員が50歳以上、そのうち20人は80歳代の高齢者であった。

2000年以降の14年間に、高層の復興住宅で発生した独居死は824人、
さらに遡れば、およそ1000人もの人が、
誰に看取られることもなく、亡くなってしまったのである。
死後1か月過ぎて発見されたというケースもあった。

第三に、地域とともにあった商店街(関西では市場とよばれる)の衰退がある。
住民が日常の買い物をする最寄りの商店街の店舗数が、激しく減ってしまったことである。

震災に打たれた 12の市で、
震災前と現在を比べると、店舗の数は全体で38%以上も減ってしまっている。
最大の三木市では 64%も減少し、、尼崎でも48%、
震災被害の最も大きかった神戸市長田区では56%減っている。
店の数の半分が消えてしまい、
古くからの住民は”市場が消えた”と言って嘆いている状況である。

地域経済への影響

神戸市長田区では、地場産業として、ケミカルシューズ業界がよく知られてきた。
この業界は震災によって大規模な火災に見舞われ、
実に8割もの業者が全焼、または全半壊してしまった。
長田区の人口もピーク時の 60年代に比べて半分以下に激減している。
現在のところ、復興はままならないという状況である。 

この長田区には、一方で、象徴的な出来事がある。
それは、震災からわずか2カ月後、つまり95年の3月に、
JR新長田駅の南側の約20ha(甲子園球場の約5倍)の広大なエリアに
商業用と住居用の高層ビルを 44棟も建設するという計画が決められてしまった。 

大震災の被害者が、まさに大ショックに打たれて茫然しているその隙に、
あっと言う間に、
巨大ビル44棟を林立させる再開発計画が、行政当局によって決められたのである。
この計画の総事業費は2700億円で、全国最大規模と言われた。
神戸市は震災前からここに副都心を作る計画を温めていたのである。 

それが現在どうなっているかといえば、
地上29階建てのビルが35棟完成し、2棟が建設中、あと7棟は行方不明(計画頓挫?)である。

問題は、この大型再開発のうち、商業用ビルがまさにシャッター通りと化していることである。
かろうじて営業を続けている人も青息吐息で、
ビル内は空き店舗が目立って閑散とした風景である。

当初に大きな負担を強いられた店主の方々は、
『引くに引けないという窮状に追い込まれた』と訴えている。
多くのスペースが売れ残って、安いテナント料で貸し急ぐようになり、資産価値が暴落し、
そのあげく倒産して、店丸ごと競売にかけられたという悲劇も出ている。
それで、訴訟が相次いでいるというのが現状である。 

間もなく3年を迎える東日本大震災であるが、
被災地でのこうした”ハコモノ”中心の復興・復旧計画がどんな結末になるのか、
上述したような、阪神淡路大震災のその後の経験を、どう生かしていくのか、
問われているのではないだろうか。 

返還期限の迫る借り上げ復興住宅 

震災後、仮設住宅で一時住まいを続ける被災者のために、
地元自治体は、
民間マンションや公団( 現在はUR都市機構)の部屋を、20年契約で借り上げて、
被災者を入居させた。いわゆる借り上げ復興住宅(正式には『復興公営住宅』)である。

その賃貸借の契約の期限が、いよいよ近づいてきた。
2015年度からは退去を迫られる入居者が数多く出て来ようが、
住民にとっては、死活にかかわる問題である。 

阪神淡路大震災から19年、一見街の風景をは元に戻ったように見えるが、
震災の傷跡は、かくも長い時間を経て、今もなお消えていないのである。 

  

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