『不安社会を生きる(最終回)』 前回(3)の要約は⇒こちら
昨年80歳を迎えられた内橋さんが、戦争体験など、ご自身の経験を踏まえつつ
天寿を全うすることの大切さや、社会を変える社会転換の図り方について、
考え、生きる意味を、問い直します。
(この要約は、 21012年10月28日に NHKで放送されたものの要約です。)
私がジャーナリストになった時、先輩から、三戒(3つの戒告)を言われた。
その頃の私たちの先輩は、戦争中にものを書いて、特高ににらまれた人々ばかりである。
一つは、自分の目で確かめろ、という事。
人の話しだけ聞いて、盲信してはいけない。必ず自分の目で確かめて来い、と言われた。
だから、何か書くと、「これは、自分の目で見て書いたのか?、と詰問され、
あやふやな答えをすると、「それではだめだ、もう一度行って見て来い」と、言われた。
2番目は、上を向いて歩くやつに、仕事師はいない、という事。
本当に仕事ができるやつは、上を向いて歩くやつではない。
3番目は、攻める側にカメラを据えるな、という事。
例えばデモがある。人々が抗議している。警官が襲ってくる。
その時に、攻める側にカメラを据えるな、
あくまで、攻められる側に踏みとどまれ、という事である。
イラク戦争の時も、攻められる側に踏みとどまったNGOの方は、沢山いる。
フランスのアタックを始め、
やって来る米軍がまず第一に何をやるか、そこから見極めていった人々が、沢山いる。
攻められる側に踏みとどまって、攻めてくるやつを写せ、というわけである。
今は、どうか? 今はそうなっていない。
この 三戒をできなくて、ものを書いたり、喋ったり、出来る訳がない、と先輩に言われた。
その通りだと、今もそう思う。
社会を転換する。
ある時、私は本当に敬愛している、尊敬できる先生と、対談して、尋ねた事がある
『先生、いったいなぜ人間は同じ過ちを犯すのですか?』
戦争、災害に遭った人々。
神戸阪神大震災の時も、私たちは、被災者のいわゆる人権を守るために、
もう亡くなった小田実さんと一緒に行動した。
被災者支援のための、国会の周りのデモ行進もした。
神戸の方々を始め被災者支援には、公的支援が必要だ!
ボランティアも良い、絆も良い事である。
けれども、『政府が為すべきを為せ。正当な政府機能を発揮しろ』とやったのである。
数年後に、初めて、被災者生活支援法ができた。
その後、震災とか災害に遭った人は、法律の適用を受ける事ができるようになった。
しかし、その当時は自助努力でやれ、つまり、自分でやれ、と言われたのである。
だから、どういう方向へ向けて社会転換をすべきか、私は一つの例を挙げている。
私たち社会が目指すべきものは、F・E・C(フェック)である。
これを地域内で自給できる社会を作らなければならない。
Fとは、フーズ(食糧)である。農産物である。農業である。
Eは、エナジーである。再生可能な自然なエネルギーである。
Cは、ケアであるが、これについては、デンマークを例にして、詳しく説明させて欲しい。
北欧のデンマークは、面積も人口も、北海道よりちょっと小ぶりな国である。
けれども、知恵ある人々が、素晴らしい制度、社会の在り方、を作っている。
ここでは、どういうケアをやっているかというと、
まず地域の中に四つの施設がある。
第1には、デイセンターである。
60歳を超えた人、退職した人、リタイアした人は、デイセンターに通う。
気が向けば、デイセンターで、地域の人々とお互いに交流をする。
そして、『この地域には何が必要なのか?』とかいった、
自ら、自己決定できるテーマについて語り合ったりする。
『こういう点が欠けているな』ということを、お互いに意思疎通を図るのである。
そして、そうこうしている間に、あるいは体を壊すかもしれない。
そういう時は、自宅から、デイホームに通うのである。
これは、いわゆる、通院のできる医師のいるケアの施設である。
そこへ行けば、『あなたは今は血圧が高いよ』とか、
あるいは、『こういう薬を処方しましょう』と、やってもらえるのである。
そして、大事なのは、活動センターである。
60歳過ぎでも元気な人は、
介護が必要なお年寄りの面倒を、『私たちがみましょう』と活動している。
もちろん、専門のヘルパーさんとかケアマネージャーは必要である。
『私が元気な間は、私はお年寄りの面倒をみましょう』
『けれども、私が動けなくなったら、若者たちよ、その時は頼むよ』
つまり、ケアの地域内の循環である。
お年寄りが、お年寄りを自発的にケアするのである。
これは、まさに、ケアの自給自足圏の形成である。
そして最後に、とうとうお別れの時が来たと、もうそろそろだな、となった時は、
自宅をたたみ、介護センターに行って、そして幸せの旅立ちをするのである。
デンマークは、このように4つ施設がある、安心社会である。
子供はどうするのか?
子供は18歳で選挙権を得て、同時に最低生活のお金(一種の年金)が国から支給される。
18歳で親から自立するのである。
そして、大学(授業料は無料)へ行く、あるいはまた、就職をする。
就職して収入があると、ある程度相殺されながらも、国家から支給を受けられる。
仕事に就けないと、国から支給される最低限(ナショナルミニマム)の生活資金を得て自立をする。
ここまで話すと、親子の愛情はどうなるのか?、と日本人は不思議がる。
心配無用。親子の愛情は、かえって深くなるのである。
お互いに、重荷にならないからである。
自立した者同士の愛である。これこそが人間の愛である。
安心した社会だから、人間愛は一層深まるのである。
社会をどういう風に転換するか、と聞かれれば、
その答えは、『F・E・C(フェック)を、地域内で自給できるようにしよう』である。
ケア、これも自給できるようにする。
そして、
『政府は、正当な政府機能というものを発揮して、そういう社会への転換に向けて動き出せ』
と、声を上げなければならない。
私は各地を講演で歩くが、
北海道の訓子府(くんねっぷ・屯田兵のいた開拓の村である)に行ったことがある。
そこでは、小さな旅館に泊ったのであるが、食堂に大きな額が掛かっていた。
私は、その額に書かれていた言葉を、一所懸命書き写した。
後で聞いてみると、作者は不詳であるが、その言葉は詩になっていた。
訓子府の役所に勤めている、ある課長さんのお母さんが、
とてもきれいな字で書かれていた。
『親愛なる子供たちへ』という詩であった。
読ませていただきたい。
年老いた私が、ある日、今までの私と違っていたとしても、
(例えば認知症など、年をとれば変わってくる)
どうか、そのままの私のことを理解してほしい。
私は、服の上に食べ物をこぼしても、靴の紐を結び忘れても、
あなたに、いろんなことを教えたように、静かに見守って欲しい。
たとえ、あなたと話す時に、同じような話を何度も何度も繰り返しても、
その結末を、どうか遮らずにいて欲しい。
これは、悲しいことではない。旅立ち、その前の準備をしている私。
どうかそのまま、宿泊の祈りを捧げて欲しい。
私の愛する子供達へ。
いずれは、歯も弱り、飲み込む事すら出来なくなるかもしれない。
足が衰えて、立ち上がることすら出来なくなったら、
あなたが、弱い足で立ち上がろうとした時に、私に助けを求めたように、
どうか、よろめく私に、あなたの手を握らせて欲しい。
私の人生の終わりに、少しだけ付き添って欲しい。
このように、子供たちに語りかける事ができる、
天寿全うの仕方も、あるのである。
それが出来る社会へ向けて、転換をして行かないといけない。
その為には、私たちが克服しなければならないことが、たくさんある
『人が人らしく生きていける社会』に向けて、変えて行かなければならない。
不安社会と安心社会について、もっともっとお話ししたいのだが、時間が来た。
ありがとうございました。
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