private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来5

2023-07-09 16:42:48 | 連続小説

「ちょっと、スミレなにしてんのよ?」
 呼びかけられて驚く。振り向くと待ち合わせの約束をしていたアキちゃんがいた。
「アキちゃん… だよね」
 スミレが驚くのも無理はない。そこにいるアキちゃんは小学生ではなく、中学生ぐらいに見えたからだ。
「だよね、じゃなくて、アンタが約束した日に来なかったから、あの雑誌読めなかったよ。もういいけどね、アーカイブに入っているから、見ようと思えばいつでも見えるし。それにもう、あのグループに興味なくなっちゃったから。じゃあね」
 自分の言いたいことだけ言って、アキちゃんは行ってしまった。訊きたいことはいっぱいあったのに、なにひとつ訊くことができず、いったいアキちゃんには自分はどう映っていたのか。そのことになにも触れなかったのは、つまりはそういうことなのであろう。
 アキちゃんは自分の時代を生きている。その目に映る風景やスミレは、スミレが見ているモノとは違うのだ。
「ねえ、カズさん、どうしちゃったんだろう。やっぱりスマホ見てるコは、ひとより早く時間が過ぎちゃうの?」
 とはいえ、自分はスマホを持っていないのに、なんだか急に成長してしまって、これでは不公平だ。
「スミレは、動物を飼ったことはある?」
 なぜここで動物の話し? 成長の件は? そもそも、コピー取らなきゃいけないのはどうなった?
 通りの向こうのコンビニは園芸店になっている。以前は園芸店で家庭園芸をするときの肥料とかを母親が買っていた。いまはクルマでホームセンターまで買いに行かなければならなくなり、園芸にも身が入いっていない。これでふたたびやるきを取り戻すのだろうか。スミレの母親が、まだ母親であればの話しだが。
 訊きたい事は、もはやカズさんに訊くしかない。そんなスミレを放置して、カズさんはスタスタと軽快に歩いていく。あれほど頻繁に走っていたクルマもいまは時折通るだけだ。これだったらカズさんでも十分に横断できただろう。
 スミレは動物を買ったことも、飼ったこともなかった。幼少の頃、ハムスターのアニメが流行っていて、まわりのコが一斉にハムスターを飼いはじめた。
 スミレもご多分にもれず、母親にねだったがウチはムリとあっさりと却下された。なんとかマン・ショックとかで、どこかのヒーローがショックを受けるとフケーキになるのだろうかと、当時はよくわからなかった。とにかく何かにつけてお金が絡む話になると、なにかにつけて言われていた時期だった。
「動物を飼ったら、なんか毎日が楽しくなるような気がして、エサやったり、一緒にあそんだり、成長して大きくなっていけば… 」
 カズさんはつまらなそうな顔をしている。訊いといて興味ないんかーいと、突っ込みたくなる。カズさんに興味を持たれなくても、スミレは自己解決していた。思い描いた未来。学校も、勉強も、塾も、習い事も、頑張れる明るい未来は、毎日仕事を頑張ってスミレの成長を楽しみにしている父親と同じなのか。
 父親にされたくなくて、拒否している自分と同じことをペットにしようとしている。それを前向きに生きるための糧として。そんな言い訳のような理由もスミレ自身をガッカリさせていた。
「そうだねえ、先の未来に希望が持てれば、ひとはそれに向かってやる気が起きる。見えなければ今の生活に何の意味も見いだせない。自分で生み出せるのか、何か別のモノに頼るのか、随分違ってくるだろう。ハムスターが、父親にとってのスミレであれば、スミレの行為は父親を踏襲していることとなる」
 なんだか言いくるめられたみたいでスミレは面白くない。自分が思う所と別の観点から、非を指摘されてしまったのもそれに輪をかける。親から見れて子供は、子どもが動物を飼うことに等しいと肯定することもはばかられる。本質的には違っている論理であるのに、そう言われてしまうと反論できない。
 知らずの内に、親が子にする行為を動物に置き換えて、満足することで親との距離を保ってバランスをとっているという仮説は、スミレには反論できる余地がなかった。
「その感情や、考え方自体に差異はない。日々の生活が前向きになったところで、すべてが成し遂げられるわけじゃない。壁にぶつかり、できないことがあり、それこそ自分の成長が見えなくなるのは変わらない。人から与えられたものはなんにせよ、その場凌ぎでしかないんだから。まやかしであり、ごまかしで、そうなると勘違いするだけだ。スミレの母親や父親がそこまで考えてそうしたのか知らないけど、子どもの成長の過程のために飼われるならば動物には災難だね」
 カズさんはいいこと言ったみたいになっている。少し若返って物言いも闊達になったけど、考え方はアタマの固い年寄然している。
「おとなだって、ペット飼うし..」
 言われっぱなしではおさまらないスミレも言い返す。大人に成りきれない大人がいるからだとでも言うのだろうか。
「おとなになればなったで、親以外にも支配してくる者が出てくるからな。どうしたってなんらかの代替え品は必要になるんじゃないかな? わたしみたいな年寄りになれば今度は、支配者側に立つために欲しくなるとかな」
 父親が”部長がいつもああだから”とか、母親が”PTA会長がどうの”とか言っているのは、その人たちがふたりの前に現れた新しい支配者で、そのバランスをはかるためであり、お年寄りがペットを飼うのは、子が離れたあと再び疑似体験をするためなのか。
 カズさんはそんなふうに凝り固まった偏論を説いていく。みんながみんな、そうではなくても、そういう傾向が見られればすべてがそうだと決めてかかって、他を寄せ付けない。
 スミレには実感がない言葉でも年長者からそう言われれば、世の中はそういうものなのだと納得してしまう。そんな大人の中で暮らしていけば、同様のいくつものバイアスが積み重なって人格が形成されていき、同じような人間ができあがる。
 自分の立場ではままならないことがある限り、普段の生活のなかで調整をはかるのはしかたないことで、ほとんどのひとは死ぬまでそこから逃れられることはない。
 歩が進むにつれ、カズさんはどんどん若くなっていた。スミレの母親ほどの年に見える。そしてスミレも成人を迎えるほどに成長している。
 自分たちはどこに向かっていくのか。そんな街並みは雑多だった。時代劇のような茶店もあれば、スミレが住んでいた時のケーキ屋さんもある。古い駄菓子屋もあれば、見たこともない近未来的なレストランもある。
 歩いているひとたちも様々で、いろんな時代の映画を撮影しているキャストが一堂に会したようだ。それなのに誰もがそれを当然として受け止めている。
 彼らの目にこの世界がどう映っているかはわからない。スミレの目だけがそのように見えているのかもしれない。
 もう、そんなことはどうでも良くなっていた。これまでも、ひとつひとつの風景や、物を、まわりにいる人と確かめ合いながら生きてきたわけではない。勝手に、そうである前提で共通認識していただけだ。そう思えば、話がかみ合わない時とか、自分だけが勘違いしているように思われることはよくある話だ。
 つまり、わたしたちは、同じ世界で、同じ時間の流れで、同じ景色を見ていると信じているだけだ。そこにあるモノと、目に映るモノが同じだなんて誰も証明できないのだから。