private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over06.21

2019-01-27 06:06:04 | 連続小説

 水道の蛇口を目いっぱい開けると、強い流水がホースの口から噴出し、激しい水しぶきがボディの汚れを弾き飛ばしつつ、あたりに霧散する細かい水が太陽光をあびて小さな虹色を浮かび上がらせていた。
「なんだよう。いきなり攻撃するなんてえ。はじめるなら、はじめるって、そういってからにしろよなあ」
 文句を言いながらもガキんちょは嬉しそうだ。そんなふうに言われると、おれは余計に図に乗って、ガキんちょを追い立てるようにして水を撒き散らしてやる。やめろよーなんていいながら楽しげに水しぶきを浴びている。
 おれは事務所から死角になる場所からはみ出さないように、ガキンチョを水しぶきで追いたててコントロールしていた。これでも結構気をつかっている、、、 もしかして、いい保育士になれるかもしれない。
 なんだかこういうのって悪くない。暑いし、水は気持ちいいし、クルマに触ってみたいとか、大人の仲間入りをしてみたいと思うのは誰にだってあることだ。それがガキんちょの本当の気持ちかなんて読めないけど、楽しそうな子供の顔を見て、こっちまで嬉しくなってしまうのは、おれもまだ捨てたもんじゃないのか、それともおれのオツムがやっぱり子供並みなだってことか。
 なんだかんだ言いながらもおれがそうしたかっただけで、この子は単にきっかけでしかなかったんだ。おれも子供の頃にこんなふうに遊んでもらった記憶があって、それは父親ではなく近所に住んでいた兄ちゃんで、もう名前も覚えていない。
 おれはその当時の兄ちゃんの役割りを、いま果たしていると思うと、それはなんとも感慨深いと同時に、当時おれが見ていた未来に到達してしまったんだと少しだけそら恐ろしい気分にもなる。
 こうしてひとつひとつ、こどものころに出会った大人に自分がなっていく、、、 それが決められた約束ごとのように、、、 その定めをクリアしていくごとに年齢を重ねて、すべて終わったとき自分の人生も終わってしまうような、あといくつのこうした記憶との再会と、幼き自分との再会を果たしていくのだろうか。すべての呪縛から解き放たれるために。
 あの兄ちゃんも、いまじゃあ30過ぎぐらいになるはずだ。久しく見かけていないから、家を出てどこか別のところで暮らしてるんだろうけど、彼もまたいつかの自分を思い起こしておれと遊んでいたんだろう。
 そんな想像をしていると、またおれがその時期になると思い出したりして、普段は一切思い出さないくせに、こうやって節目、節目で水先案内人のような存在になってきたりする人っているもんだ。時の流れってこういう感じ方をたまに知らしめてくる。おれはそれを遠くへ追いやろうとしていた。
 ひととおり水遊び、、、 洗車、、、 を終えたら、ガキんちょには、なるべくクルマの影に隠れているように伝えた。柔らかいスポンジを渡してガラスとタイヤの部分だけなら拭いてもいいぞと言ったら、サルのように動き回って順番に拭きだした。部下に仕事を命じる上司ってこんな感じなんだろうか、、、 この後のおれの人生に、そんな時間はきっとやってこない。
 そのあいだにも何度かお客が来たけれど、マサトが時折、恨めしそうな顔をこちらに向けて対応している。オチアイさんからの洗車を頼まれているから、そこらへんはおれも強く出られた。
 おれは客が入ってくる度に、ガキんちょに隠れろって声をかける。それもまた子供にとっては遊びと同じで、あわてて隠れては見つかってないかを確認してくる。おれも面白がって、心配気な顔を作って少しおどかしておいてから、親指を立てて無事を知らすと、目いっぱいホッとした表情をするからたまらない。
 最後の仕上げでムース地の布でボディの拭きあげをするおれに、カゲのように付いて回り、神妙な顔つきで隠れていることを大いにアピールしている。ヤツにとっちゃかくれんぼをしているのと同じで、相手が大人で、それも真剣勝負だからスリル満点なんだろう。そりゃ、公園で子供同士で遊ぶより醍醐味があるだろう、、、 クセになったらどうするんだ、おれ、、、
 おれはいまさらながらに、ガキんちょになんて名前なのかを聞いてみた。別に、どうしても知りたいわけじゃないけど、呼びづらいから。ガキんちょとか、オマエとかじゃあなあ。特に親しくなろうってつもりもないし、変に懐かれても困るんだけど、このままというのも気が引ける。
 これで里心でもつかれたら面倒なはずなのに、それがおれの浅はかなところで、、、 里心がついているのは案外おれの方だ、、、 新たな記憶が植え付けられるだけだってのに。
「ボクね、ツヨシ。おニイちゃんは? イチエイ? ふーん、へんなナマエだね。でもボク、おニイちゃんでいいや。ボク一人っ子だから、キョーダイいないし、おニイちゃんとなら、なかよくできそうだからね」
 変な名前と言われるのは、いまに始まったことじゃない。でも年下に、こどもに言われるとやっぱり少しへこむけど、それは子どもの素直な感想だ。しょうがない。おれと同じ一人っ子って言うのも親近感がわくし、年のはなれた弟ができたかと思うと、それも満更じゃない。
 そういえば子供の時に弟が欲しいって、夫婦のあいだも考慮せず、母親に無茶振りしたことがある、、、 一笑にふされたけど、、、 いまはいなくてよかったと思っている。そんなおれに一日限定の弟ができたとおもえば、それもいいじゃないか。
 
よーし、それじゃあツヨシ。バンパーと、グリルの部分も拭いていいぞ。と言うが早いか、おれの足元を通り抜け、あっという間に前のバンパーに張り付いていた。
 これほど嬉々として洗車してる姿をみると、なんだか腑に落ちないのは、おれは仕事としてどちらかといえば仕方なくやってるのに、ツヨシにとっては遊びの延長で、やらせてもらえて感謝さえしている。仕事の内容は変わらないのに、向き合う気持ち次第で、それは苦行にも、遊びにもなりえるなんて、、、 子供に仕事のなんたるかを教えられているおれ、、、
「ねえねえ、おニイちゃんは、何のクルマ乗ってるの?」
 ナニ言ってんだ。クルマどころか、免許も持ってない。持ってないどころか、取る予定さえない。この世でクルマに乗るには免許ってヤツが必要で、、、 無くても運転はできるけど、見つかれば手が後ろに回る、、、 若くして自分の経歴にケーサツの御厄介になる記録を残したくない。
 そもそもクルマに興味はない。スーパーカーブームとかって、宇宙船みたいなクルマの写真を見せあってたマサト達のなにがそんなに楽しいのか、ただかたわらで見ているだけだった。
「メンキョなんかさ、とればいいじゃん。ボク、お絵かきのメンキョショウ持ってるよ」
 そりゃ、表彰状だろ、、、 おれは子供の頃から床屋が嫌いなんだよなあ。あの二人だけで向き合う時間がなんとも収まりが悪かった。何のハナシかって? 床屋のオヤジに話し掛けられるのもイヤだったし、話し掛けられないのもイヤだった。自動車の教習所もクルマの中でそんな状況になるだろ、それがどうにも好感を持てない一因だ、、、 ハナシが長いって。
「なんだ、カッコわるいな。スタンドでバイトしてんだろ。とうぜんクルマぐらい、もってるとおもったのにさ」
 悪かったな。スタンドでバイトしてるてえのにクルマに縁遠くて。船を持ってないからサカナ屋でバイトできないし、飛行機を持ってないからペットショップで鳥を売ることもできないから、しかたなくスタンドでバイトしてるんだ、、、 って、子供にムキになってどうする。
 いいかい、働くには動機とエサがあればいいんだ。おれには動機はない。あるとすれば朝比奈にエエ格好するエサに飛びついただけだ。『しょうがないよお、この世はオンナが動かしてるんだからさあ。おニイちゃん』なんて、ツヨシが言うのを半分期待したけど、、、 さすがにそれはなかったか、、、 ただ、おれが何かを言い出すのを期待して目がクリクリとしている。
 
そう言うツヨシはどんなクルマが好きなんだ。おれはそんな気もないくせに上っ面だけの言葉を吐いていた。普段ならこんな場をつなぐような言葉は口にしないから、ツヨシがきっとこの言葉を待っているってわかって言っただけだ。
 
ツヨシはおれがどんなクルマに乗っているかとか、どんなクルマが好きなのかなんてどうでもよくて、自分のことを話したいための前フリだった。気を利かしたつもりでも、そんなコッチの都合なんかおかまいなしにツヨシは待ってましたとばかりに。
「ぼくさあ、カウンタックが好きなんだ。フェラーリもいいけど、ちょっとお高くとまってるみたいだから。なんかそれに立ち向かってる感じのランボルギーニの方がカッコいいだろ。ぼく、大きくなったら絶対、カウンタック乗るんだ。いいでしょ」
 ああ、そう、そういうことね。いくらクルマにうといおれでもさすがにフェラーリとかランボルギーニぐらいどんなものか分かる、、、 ベルリネッタ・ボクサーとかLP500とか、、、 ふつうの人生を送る限り、けして手に入れることのできない類のオモチャだ。たぶん父親のコロナが20台くらい軽く買えるだろう。
 そこはやっぱり子供だと思わざるを得ないけど、子供らしい夢でいいじゃないか。子供の夢と希望に、現実をつきつける権利などおれにはない。そうしておれは、これもまた大人になって失っていくモノのひとつなんだと知り、今日はツヨシのせいで、やたらとそんな思いをつきつけられている。
 そうだなカッコいいよな。ツヨシ、オマエ、大きくなったら買えると良いな。そんな、いかにも取って付けたような合いの手を入れても、おれのミエミエの言葉はツヨシにさえ見透かされているようにも思え、こちらに目を向けずに、ひとりでブツブツと早く大人になんないかなあとぼやいている、、、 こちとら早く大人になっちまって、この先の見通しがたたないってえのに、、、 
 戻ってくる世界を間違えればよかったかもしれないとまで思ってしまう、おろかなおれ。