private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over19.1

2018-06-17 18:15:41 | 連続小説

「それでよかったんじゃない?」
 おれを放し飼いにしていた朝比奈の可愛い声を久々に聞けて、物語の続きも、意図するところも、訓戒も、思い出すにはいたらなかった、、、 そもそも物語だったのかもあやふやだ、、、 それなのに、なぜよかったと言えるんだ?
「なぜって、ずいぶん楽しそうにしてたし、相性いいんじゃないの。もしかして、ホシノとクルマって。以外とね」
 ああ、物語の続きじゃなくてクルマのはなしね、クルマの。そりゃそうだ。いまそれ以外のこと考えてどうするって。とはいえ、そう言われて、ハイそうですと答えるのも癪なぐらいにおれは楽しんで走っていた。こんなにひとつのことに夢中になったのはいつ以来だろうか。
 
永島さんやマサトや、ついでにツヨシが入れ込むのも無理はないのか。男の子がハマる要素がいっぱいあるし、なにしろ誰よりも上手く運転したいと思えてくる。アイツらが速く走れることを自慢するのもわかるようになった。
 
同じなんだ。自分で走っていたときもクルマを走らせることも。手にした武器が違うだけで、速く走るにはそれなりの工夫というか技術というか、なんにしろ思考を止めずに次の一手を考えていく。その行為自体はなにもかわらない。
「ねえ、ちゃんと聞いておきたいんだけど。ホシノ、最初ときのこと覚えてるの」
 あいかわらず冴えないおれは、朝比奈の言わんとする意味がわからず、なにを言ってるんだか、さっきやって見せたばかりだろなんて、のたまいていると、ああそうかと朝比奈の問いの先が見えた。問いの先は見えたけど、問いへの回答はそんなに簡単には見えてこなかった。
 
初めての行為というものが往々にして、一番印象に残り、記憶に留められ、いつでも懐かしく感じられるからこそ、初体験なる言葉もあるぐらいなんだから、この先何度クルマを動かそうと、この時感じたような、新しい力が体内にもぐり込んできて、指の先から足の先まで血の廻りや、神経をつたう痺れさえ快感に思えるような体験は二度と味わえないなら、今日という日は大切な一日になるわけだ。
「それも、すべて映像とか、五感からの刺激による脳内物質の抽出による錯覚でしかないんだけど。二度目以降からは、だんだんと感動も記憶も薄まっていくのはしかたがない。最初は、あまい味覚とともに思い出になったりするでしょ。ホシノくん」
 
またあ、冷静に語っちゃって。そんなこと言ったら人間の経験なんてものは、脳の感じ方ですべてが決まってしまうじゃないか、、、 たしかに朝比奈とはあまかったけど、、、
 
いつからだろうおれが初めて自分の足で競い合ったのは。そしてその時のおれは今日と同じような快感を得ていたんだろうか。
 覚えてないくらいだから、それはきっと特別な体験ではなかったのかもしれないし、朝比奈が言うように、そのとき脳はいつもと違う強い刺激を受けただけで、強く印象に残ったけれど、生きてくうえでさほど重要でなければしばらくして意味をなくし、多くの記憶の中のひとつとして埋没していったのかもしれない。
 
走ることは日常であり、かけっこだって、運動会の50メートル走だって体育の授業だって、遊びの延長にしか過ぎなかった。初体験として感銘をうけながらも、その後の日常に薄められていくなんよくあることで、誰のコップにだって入る水の量は決まっているんだから。
 
断片的には、先生や友達から誉められたりして優越感に浸った記憶はある。なんだかんだで、部活に入るように勧められて、競技をして人に勝つのは嬉しくて、タイムが縮まれば方向性に間違いはないともっと頑張って練習したし、試合で負ければ悔しくて、タイムが伸びなければ、別のやり方があるんじゃないかと試行錯誤しながらさらに頑張って練習した。
 
そういうのが動機といえば動機なんだろうけど、当時はそんな気持ちはなく、いま思えば何かに突き動かされていただけだ。自分の意志とは別のところで自分が動いていた。そう思えばこれまでの自分の人生は、ほんとうに自分の生きてきた道だったんだろうかと考えさせられる。
 
ああ、そうか、おれがいま置かれている状況は、それと同じなんだ。もう一度あのときの時間を繰り返す機会を与えられた、、、 それがおれの望みだったのか、、、 もう一度、自分の道を取り戻すときだ。
 
夢中になってやれることってそんなに簡単には見つからない。きづいたら日が暮れていたとか、朝になっていたとか、時間の流れの中からはみ出している感じ。おれたちはどうしても同じような毎日を送るのは、それが安全で安心だと思い込んでいるからで、違う一歩を踏み出すのには、それによって起こる変化を想像できずに躊躇してしまう。
 
おれはいま、これまでと違う一日への一歩を手に入れてしまった。人より速く走るために、タイムを縮めるために、なによりも朝比奈を守るために頑張らなければならない、、、 すいません、ちょっとカッコつけました、、、 それが自分の望むところと違っていても、その場に投げ出されたならやるべきなんだ。
「よかったね。ホシノ。動機やキッカケがどうであれ、自分がやるべきことが見つかって。望んだことが本当にしたいことだとは限らないし、思いもせず手にしたモノが宝物になることもある」
 おれに必要なのは、愛でも金でもない、生きていくための動機なんだとでも言いたいのだろうか、そんな雰囲気がそこにあった。
「勘違いがわたしたちの人生をつくりあげているなら、これもまた正しいことなんてひとつもない理由でもある」
 なるほどそうか、思いどおりにいく人生なんかない。あってもそれで幸せになれるわけでもない。安息は狂気を求め、混乱は静寂を欲している。生きることが複雑になるにつれ、選択肢が増えるにつれ、本当に求めているモノがなにかを見失っていくようだ。
「大切なものを手にすれば、別の大切なものをまた失っていくのはこの世の決まりごと、自然の摂理、宇宙の法則。そこで提案だけど、ホシノは家に連絡したほうがいいんじゃない。おかあさん心配するでしょ。まだ失うには早過ぎるしね。べつに帰らなくたっていいんでしょ?」
 朝比奈が首をくるりとまわして見上げた先には薄暗いあかりがついた電話ボックスがあった。蛍光灯が古くなっているらしく時折切れかけてまた点く。モールス信号のように点滅していた、、、 電話しろと解読できたらできすぎ、、、
 そっからそうなるのか。帰んなくていいんでしょなんて、簡単に言ってくれちゃって。自分こそいいのかよって言い返してやりたい。部活で遅くなるとか、汗だくだから銭湯寄ってから帰るとかってノリで話せる状況じゃないんだから。
「なに? ホシノ外泊したことないの? 夏休みももう終わるんだから、口実になるイベントなんていくつかあるでしょ」
 夏の思い出になるようなイベント。ああ、なにも思い浮かばない。部活とその合宿、しかも女子とは別の場所。恥ずかしいくらいなにもなさすぎて返す言葉もない。朝比奈は何て言い訳するつもりなんだ。バイトが遅くなっちゃって電車がなくなったから、とか。マリイさんが急病で一緒に病院へ、とか。バンマスがわたしのこと離さなくて、とか、、、 それはいかんな、、、 なんにしろ、かくも人生の選択肢は多すぎれば、自分の本当の欲求がなにかなんてわかりゃしない。ならば、お気に召すまま、、、 神のご加護がありますように、、、