private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over18.3

2018-06-03 13:05:00 | 連続小説

 座ったからといって何か言い出すわけでもなく、なんだかつまらなそうな顔をしてグラウンドの方を見ている、、、 授業中に窓の外を見ている時と同じように、、、 おれの席から外を向く朝比奈の表情はいつもそんな顔をしていた。てことはこれからおれがすることになにも期待してなく、ときの流れだけを静かに待っている状況なのか。おれがそれなりの成果を見せなければ、その状況は永遠に続く、、、 その顔も良いんだけど、、、
「そんなふうに見てたの。べつにつまらないわけじゃない。つまらなそうな顔をしてるんじゃなくて、ホシノにそう見えてるだけでしょ。自分の不安を他人の顔に映しこんでいる。そうして猜疑と怒りをつくり出してしまう」
 そう、おれはおびえてるだけだ。朝比奈の期待に応えられるのか。家族の期待に、学校の期待に、世間の期待に、、、 世間は期待してないな、、、 で、自分以上を出そうとして、でも、そんなことはできないことにおびえて、ひとの顔色をうかがっている、、、 すべてお見通しだ。
 できないのはその経験をしていないから、できているのは経験済だから。それだけのことをよく見せようとして躍起になっている。赤ん坊はなにも出来なくてもみんなから可愛がられるのに、大きくなるにつれその特技を失っていく。そのかわりに自分で出来ることを増やしていかなきゃならない、、、 これもそのひとつ、、、 
 
差さったままのクルマのカギに手をやり、捻る。ほんとは少しアクセルを踏んだりしてやるらしいんだけど、その時のおれはまだそんなことも、こんなことも、あんなことも、なあんにも知らなかった。ふつうならプラグにガスがかぶって、大変なことになるらしいけど、さっきまで走っていたエンジンは文句も言わずに掛かってくれた。
--プスンッ
 
なのに、せっかくエンジンが動いたのに、朝比奈は身を乗り出して、、、 乗り出したおかげで、やわらかな部分が、、、 エンジンを切り、カギを抜いてしまった。カギは朝比奈の指でクルリと一周して胸のポケットに収まった。さっきの感触が思い出される、、、 でっ、クルマを動かさずにいったいどうするつもりなんだ。
「急がないでって言ったでしょ。そのまえにやっておかなきゃいけないことがあるから」
 プリプリとした唇が艶めかしく動いた。えっ、だって自分の感性でヤレって、そう言ったじゃないか。えっ、教えてくれるの? それならはやく言ってよ。
「キホンはね。基本は教えてあげる。歯をみがくのは好きなようにしていいけど、歯ブラシの持ち方は教えてあげるわ。指でみがくのもいいけど」
 
深いのか、意味不明なのか、よくわからない例えばなしをして。朝比奈の指ならみがいてもらいたいぐらいの思いしか残らなかった。
「指より、コッチでしょ。さあ、しっかりと握りしめて」
 
そんな、、、 しかたない、、、 つーか、指をくわえる選択肢は最初からないな。腕を伸ばす、その先に質感のいい手触り、吸いつくようなグリップ。なるほど一度握れば離し難いのかもしれない。これまでクルマに興味のなかったおれの中の本心が目を覚ましたようだった。これで意のままに操れるわけだ。
「どう、いい感触でしょ。これまでにない、ああ、初めてだったわね。はじめてでこれじゃ、今後は舌が肥えるから、他のじゃもの足りなくなるかもね」
 そうか、そういうものか。はじめて口にした食事が高級ステーキなら、もうあとからどんなニク食っても安っぽく感じられるみないな。
「高級ステーキとかって、そんなんのと比べないで。いい、握る場所は10時10分の位置。肩の力を抜いて、腕を少し曲げてリラックスして」
 10時、、、 おれは8時20分ぐらいのほうが好きだけど、、、 そんなポジションがあるのか。いいやそれで朝比奈が良いっていうならお望みどおりに。
「ふーん、さまになっているじゃない。見た目って大切だからね。それで8割がた決まってくる。ホシノいい感じよ。次は左手をかして。そう、ココへ」
 
朝比奈は離れ難い感触を断ち切っておれの左手を携えて、真ん中にある丸い突起物に誘っていった。朝比奈がひとりで器用にこねくりまわしていたあの場所だ。鉄の削り出しでできているのでヒンヤリと冷たい感触で、手の中ですべるように左右に動く。
「どう? 触りごこちは。自分の意のままに動くって感じがするでしょ。それでクルマの速度をコントロールできる。なんであるにしろ、自分の思いでコントロールできるっていうのはいいことだわ」
 そんな、簡単に言っちゃってくれちゃって。案の定、言われるままにスティックを動かそうにも、左右以外はびくともしない。朝比奈がかろやかに操作してクルマを動かしていたのだ、力任せにやる行為ではないはずだ。なにやら別の動作が引き鉄となってはじめてこの行為ができるはずだ、、、 論理的に考えれば。
 もたくつおれに朝比奈がアゴと目線で差す先は足元だった。
「イジるにはまだ早いわね。その前に、アソコを押し込んで。左足で。そう、それからソコを奥に入れるの。どう、カチって入るでしょ。さすがレース仕様。あとは手首の回転だけで自分の思う場所へ入れ込む。足の動きと連動させて。それがホシノの思いのままになったら、ひとつ飛ばしとかを試してみて。上手になるといいね。ふふっ」
 
そういえば、スティックを操作するたびに、朝比奈の左の大腿部が意志とは別に動いているように見えた。単に見惚れていたわけじゃない。太ももが描く有機的な曲線があまりにも美しすぎて目を奪われていただけ、、、 いいかたを変えても助平心は変わらない、、、 なんだ。
 なにしろ、おれのスケベ心が功を奏して、その動きだけは脳裏に焼き付いている。左の足元にあるペダルを踏み込むと、なんだかスカッと外れを押したみたいに、手応え、、、 足応え? なく奥まで踏み込めた。そうすると、それぞれ数字が刻み込まれているゲートにスッと入るようになった。
 
それも朝比奈が手を添えてくれたから、どこがどうなのかってわかっただけで、おれが入れなきゃいけない場所もよくわかった。足との連動はまだしっくりこない。ドラムをたたいた時のあのギクシャクとした感じが思い出される。ああいったのはあたまで考えちゃダメなんだ。カラダが勝手にやってくれるまで染み込ませて何度も繰り返すだけだ。
 
おれが時折、ガリっとか嫌な音を立てると朝比奈は目を細め、顔をしかめる。こうして不慣れな動作と、無知と経験のなさがどこかかしらを傷つけていく、、、 迷惑をかけるのはしかたないけど、その認識だけはしておかなきゃ、、、
「やさしくして。無理強いしてもうまくいかないわ」
 おっ、おおっ。だいたいおれはこういうとき力んじゃって。力み始めると止まらなくなり、奥歯噛みしめ過ぎてアゴが痛くなるまでその状況に気づかないから困ったもんだ。
 
どうやら、足で踏んでいるあいだはこのスティックは自由になり、踏み外せば抜くことはできても、入れることはできず半分自由を奪われるみたいだ。
 
なんだって、そんなもんだ。自由は一定の条件下でしか有効ではないのに、そんなことに気づかないまま、おれたちは自由を我がものとして消費していくことしかできない。いったい誰から誰に受け渡されたのか、なにを犠牲にして手に入れたのか。知らないってことはある意味幸せなんだ。
「よかったわね、幸せで。もの思いにふけってないで、手足動かさないと、その幸せも逃げてくわよ」
 おれがちょっと手を抜いているのはお見通しだった。クルマに乗るってラクなことだと思っていた。座ってエンジン動かしてりゃ動くもんなんだって。ところがどうして、こりゃ立派なスポーツじゃないか。練習なのにジットリと汗ばんでくる。それなのに朝比奈は涼しい顔だ、、、 本当にそう感じてんのか、、、
「大丈夫、じゅうぶん上手よ。はじめてだなんて思えない。ちゃんとイケるとこまでできるから。わたしと一緒だから。ねっ」
 ネッ、って、そんなかわいい言い方されたらおれはもう頑張っちゃうじゃないか。部活のときにケーコちゃんのおしりを目指して走っていた時のように、おとこがなにかを頑張る時は、それぐらいの動機しかない、、、 おれだけ?
「いいんじゃない、そんなんで」そんなんて、どんなんで?
「キホン動作」ああ、そう、、、