「おやじさん。めずらしいですね。フロアに出てくるなんて。今日もおいしかったですよ。こんな食材出してたら、店が儲からないでしょう」
キジタさんがおどろいて声を掛ける。今はもう少年ではなく、元のおじさんに戻っている。おやじさんと呼ばれたひとは、所どころに調味料のシミを残した調理服を着ている。キジタさんの言葉を聞く限り、どうやらこの店の料理長兼オーナーらしい。
腕まくりをした腕は細く、血管が浮き上がるほどだった。油のはねた痕が所どころにシミになっているのが、おやじさんの年季を物語っている。
ゴムのスリッパをつっかけたまま、おやじさんはスミレたちのテーブルまで寄ってきた。となりのテーブルから丸椅子をひとつ引き寄せ、テーブルのすみに陣取った。いわゆるお誕生日席だ。
「おやじさん、すいませんがもう少しわたしに話しをさせてください」
キジタさんはそう断ると、おやじさんは目を閉じてコクりと首をうなだれた。その肯定を合図として、再びキジタさんはスルスルと子どもになっていく。そして恨めしそうな顔をカズさんに向けた。
「姉さん、違うんですよ、、」やはりカズさんは仮想姉だった。
キジタさんは小さくなっても話し方は元のままだ。子どもが大人びた話し方をするのは違和感しかなかった。この状況でなければ絶対に目にすることはない風景を、当たり前のように見ているスミレがいた。
スミレはカラダが成長しても知識や思考は元のままなので、この不釣り合いな状態にバランスを崩してしまいそうであったのに。
大人のように賢ぶって話す子どもがいれば、普通ならなにも知らない小僧が生意気を言ってと、冷ややかに見られるだろう。そんな先入観さえバカらしく思える。その人がどんな想いで話しているのかを、もっと自然に聞くことができれば、その人との接し方もまったく別のモノになるはずだ。
「そう、同じことなんだよ、スミレちゃん。わたしだってそうなんだ。カラダや脳の成長とともに、知識が取り込めれるわけでも、与えられる情報が最適化されているわけでもないんだ。だから誰もがその不釣り合いな状況を埋め合わそうと苦慮している」
同じではないとスミレは否定したかった。いまの自分の状況はあまりにも実態よりかけ離れすぎていて、経過した時間も少なすぎる。キジタさんが重ねてきた年数とは比べものにならない。
カズさんは失笑している。
「そうでしょうね。スミレの状況は特殊だけど、それはしかし、わかりやすい環境であり、ある意味、対応しやすいんじゃないの? キジタさんはが言いたいのは、そうではなく、今の状態が正なのかどうかもわからないまま、いろいろな情報を詰め込まれていき、それを正確に処理することが成長の証として、可視化されてしまうことが、どれほど精神に歪を与えているかということよ」
じゃないの?と、軽く言われてもスミレは困惑してしまう。確かに、情報量が多すぎて、処理も追っついていない中で、誰かと比較されることもなく、どの程度理解できているかの基準は自分次第であることは気は楽に違いない。それ以外はすみれの方が負荷が多い。周囲の目や、誰かとの比較が、どれ程プレッシャーになるのか知らしめている。
「そこなんですよ。スミレさん」
スミレちゃんから、スミレさんに変わった。見た目とは関係なくスミレのレベルがアップしたのだ。それをスミレはまだ身に感じていない。
「わたしはね、生まれながらにカラダに欠損があったんです」
「ケッソン?」
その正確な意味はわからないながらもスミレは、なにかが欠けており、他の多くのひとと違いがあることを示したいのだとアタリをつけた。
「なあにスミレさん、安心してください。わたしだって、その言葉が正確かなんて、わかって使っているわけじゃないですから。なるべく配慮した言葉を選んでいるだけです。自分にも他人にも、、 ましてや害があるわけじゃないのに、そんな言われかたしたらどれほど傷つくか。言葉や漢字の振り方と言われればそれまでですが、自分ではそう言わないと、なんだか出来損ないに思えてね、、」
言う方はそこまで深く考えて言っているわけではなくとも、言われる方の感じ方は様々なのだ。スミレだって何気ない一言で、友達から反撃を受けたことは幾度もある。
そんなつもりじゃないと言っても、傷ついたと言われれば返す言葉もなく、これでは一体どれほど気を遣って話せばいいのか、しばらくは咄嗟に言葉が出てこなくなったことがあった。
「通常あるものが、なければ欠損していることになる。それがなくてはならないかどうかは別なのにね。あるかどうかの価値は、人それぞれに委ねられてしかるべきなのに。それが人が平等を享受できる前提でしょ。すべてが同じであることがスタートラインになっていては、そうでない人はスタートラインにすら立てないんだから」
カズさんは、そう持論を展開した。キジタさんはうなずいているので、自分の意図を汲み取ってもらえたのだ。
「わたしのカラダの欠損は、生命に関わる重大なものだったんです。そのせいで、母乳は飲めずにやせ細っていき、両親は当然のように心配になり医者に相談したんです。そこで発覚したんです。そしてそれは手術をしないと治らない欠損だった。当時の医療では成功する確率は低く、医師からは諦めた方がいいと両親に伝えたんです。それに手術代も決して安くはないと」
人情的には受け入れがたいものがある。そうであっても人の死と言えども、確率論は成立するし、値の上下により、手が出るか出ないかも判断される。それも助けられるかどうかの選択肢があるから選べるわけであり、その選択肢がなければ確率はゼロであり、手の出しようもない。
「わたしの両親は、手術をする選択をしてくれました。その理由が親としての責任としてなのか、わたしのことを思ってなのか、医者にそこまで言われて逆に発奮したのか。発奮したという言いかたは言葉が悪いかもしれませんが、人の深層心理というものは決してロジカルではありません。その言葉がトリガーとなって手術を決断したとしても、わたしにはどうでもいいことです。いまここに命があることがすべてなんですから」
難しい話が重い話になってきた。スミレはその重さを取り除こうと、これは自分が望んだ空想の話なので、気に病むことはないといい聞かせた。
マンガやドラマも、作り話とわかっていても感情移入すれば、喜怒哀楽があらわれる。ましてや目の前にいる人が、演じている訳でもなく、自分史を語ればどうしたって、相手を慮ってしまい、スミレはいたたまれない。
そして残念ながら、この先はもっと話しが重くなっていく。
「生後間もないわたしは、自分の生死が秤に掛けられているとも知らず、自分の人生の選択を親に委ねるしかないのです。その時にわたしは、人生で一度目の重大な決断を、自分以外に託したのです。もちろん、自分では何も出来ない赤ん坊は、生のすべてを育成する者に委ねなければならないのは承知してます。それとは別の負い目、そう負い目と言っていいでしょう。負い目を持って、2度目の命を与えられたのです」